世尊が、この神咒・じんしゅ・(法篋印陀羅尼経)を、説き己・おわり・給うと、一切の諸仏如来は、地中より讃嘆・さんたん・の声を発した。
  「善哉善哉。 釈迦牟尼世尊が今、この法篋印陀羅尼・ほうきょういんだらに・の深法・じんほう・を説き給もうたのは、
   五濁・ごじょく・の悪世・あくせ・に生まれ、依る所なく頼む所なき衆生を憐れむ故である。
   この深法の法要(真髄)は、久しく世間に住し、衆生を利益し、安穏快楽・あんのんけらく・ならしむること、広大無辺であろう」。

  その時、仏(釈迦牟尼世尊)は、金剛手菩薩及び大衆に向かいて告・つ・げ給う
  「汝らよ、諦・あきら・かに聞きなさい。 この法篋印陀羅尼の深法・じんほう・は、神力極・きわ・まりなく、利益・りやく・は無辺なり。
   譬えば、・はた・の上なる如意宝殊・にょいほうじゅ・が、常に高貴な宝を降りゆらかして、行者の一切の願を、満たすが如くであろう。
                                      幡・はた・ー仏の法門の象徴   如意宝殊自在なる宝の珠・たま・ー
   我(世尊)、今、略して、その霊験・れいけん・の萬分の一を説きましょう。
   汝ら、宜しく憶・おもい・・たもち・て、世のすべての人々を利益するがよい。
  若し、末法の世の悪人が死して やがて地獄へ堕ち苦を受くる時に、この悪人の子孫たちが亡者の名を称えて、
   この法篋印陀羅尼の経を、僅か七遍・へん・・じゅ・するに到らば、亡者の沈む熱鉄の地獄は忽ち変じ、八つの功徳の池となる。
   その亡者は、如来の神力により、即座に、極楽世界に上生・じょうしょう・することであろう。
  又、百病の身なる衆生あって、苦痛心魂・くつうしんこん・に迫るとき、この法篋印陀羅尼の深法を、21遍・じゅ・するならば、
   百病萬悩は、一時に消滅し、寿命延長し、福徳は尽きることは無いのである。
  又、衆生あって、前生・ぜんせい・が慳貪・けんどん・(物を惜しむ)なりし故、現生・げんせい・にて、貧窮・ひんきゅう・(貧乏)な家に生まれ、
   身を隠し包む衣もなく、命をつなぐ食にも事欠き、痩せ衰え、世の人々に嫌われ賤・いや・しめられている衆生が、
   自分の身の宿業・しゅくごう・を深く懺悔・さんげ・して、深山・しんざん・(奥深い山)に入りて、
   主なき(誰の持ちものでない)山の花を折り、朽木・きゅうぼく・を粉にして焼香・しょうこう・に代え、
   この法篋印塔の前に来りて礼拝供養し、塔を七遍巡り、涙を流し懺悔するならば、七宝は雨の如く降り注ぎ、
   貧窮・ひんきゅう・は瞬時に消滅し、忽ち富貴に至る。 つまり、富貴財福の衆生と成るであろう。
   
   だが、富貴財福を得た衆生は、次のことをシッカリと心に銘記・めいき・しなければならない。
   貧窮・ひんきゅう・を消滅し富貴な身分を得た衆生は、一切如来のご加護に恵まれた衆生である故に、
   今後は、益々三宝・さんぽう・に供養し、一切如来から仰せつかった貧人に施しを与える役務・やくむ・を、実行することである。
   だが、然・しか・らず、その天命を忘れ自我・じが・のみに心が没頭し、惜しみ蓄える衆生は、その財宝は瞬時に滅することになる。
   よく、心に銘記・めいき・することである。

   衆生あって、善根を植える目的でその身分に随い、石や泥や瓦の類・たぐい・であっても、自分の力の及ぶ程度に応じて、譬えば、
   高き梅の実三十三寸にもせよ、如法法篋印塔を造り、神咒陀羅尼経を書写し塔中に安置し、礼拝恭敬・くぎょう・するならば、
   その咒力・しゅりき・と信心の故、その法塔の中よりして大香気・だいこうき・、雲の如き光明を放ちて、法界に周遍することであろう。
   その馥郁・ふくいく・(良い香りが漂う様子)として、現生も光輝くことになるのである。
   結果、仏事円成・ぶつじえんじょう・の功徳として、その衆生の願いは、すべて叶い満たされることであろう。

   又、野鳥や走獣や虫類など、諸々の生類・しょうるい・が来りて、それが少時・しばらく・にても、この法塔の影を受けたならば、
   さらに、この法塔の周りの道場の草土・くさつち・を踏むならば、それら有情・うじょう・の者は、勝縁に恵まれて、罪業ことごとく消滅し、
   有情の求める意に随い、現生・げんぜ・は安穏・あんのん・を、後生・ごせ・では、極楽の浄土に往生・おうじょう・(生誕)するであろう。

   我が滅後に、仏法を学び行・ぎょう・を実践し慈悲心を生じ、苦界・くかい・の有情を救わんがため、至心に発願する弟子あって、
   この法塔の前にて、香華・こうげ・を以って供養し、法篋印陀羅尼を念誦・ねんじゅ・せば、
   文々句々・もんもんくく・に光明を放ち(1字1字が光明を放ち)、現生と来生の二途・にづ・を照らすことであろう。
   故に、苦具・くぐ・皆、微塵に砕けて、忽ちに苦患・くげん・(苦悩)をまぬがれ、仏種・ぶっしゅ・の芽を生じることであろう。
   その衆生は、果報・かほう・の意に従いて十方の浄土に往生するであろう。

  衆生ありて、高山の峰に登り四方を願望・こぼう・しつつ、法篋印陀羅尼を誦・じゅ・せば、その衆生の眼力が及ぶ遠近・おんごん・の世界、
   つまり、山谷林野・さんこくりんや・、江湖河海・こうこかかい・の中に生くるもの、鳥類畜類、魚類甲類、微細の菌類、諸々の生類、皆、
   断心・だんしん・に惑障・わくしょう・を歳破・さいは・し、無明・むみょう・を覚悟(悟り)し、本有・ほんう・の仏性を顕現・けんげん・するであろう。
   つまり、それぞれの意によりて、大涅槃・ねはん・のうちに、安所・あんしょ・することであろう」。

   最後に、仏は金剛菩薩に告ぐ
   「今、この秘密の神咒法篋印陀羅尼を、汝じ等一同に附嘱・ふしょく・(言いつけ頼む)する。
    厳・おごそ・かに尊重し護持し、世間に流布・るふ・し、後代末法の世の衆生に伝えて、必ず、断絶せしむることなかれ」。

   金剛菩薩、仏に申しあげる
   「我今、世尊の附嘱・ふしょく・(言いつけ頼む)を 確かに蒙・こうむ・りました。 大きな光栄・こうえい・でございます。
    唯、我願うは、世尊の深重・じんじゅう・の恩徳・おんとく・に報い奉・たてまる・らんがため、この尊い法篋印陀羅尼を昼夜に護持し、
    一切世間に広宣流布・こうせんるふ・することを 誓い奉ります。
    若し、末法の世の衆生が、この法篋印陀羅尼を書写し護持し、憶念して絶えざるならば、
    帝釈天梵天は、四天王龍神八部衆を指揮し、昼夜にその衆生を守護し、暫くも捨離・しゃり・することは、ございませぬ」。

  爾時その時、世尊はこの法篋印陀羅尼を説いて、広く仏事を作・な・し給われました。
  その後・のち・、大善利妙光の家に往き、諸々の供養を受けました。
  爾時、大福利を獲・え・た、天大衆比丘比丘尼、天龍夜叉、人非人・にんぴにん・等、皆、大歓喜でありました。
  彼ら皆、この法篋印塔、法篋印陀羅尼を信受し奉ることを、固く決意いたしました。
  そののち 世尊は 大本おおもとの住所に還り給わました。   一切如来心秘密全身舎利法篋印陀羅尼経 (完)  TOPに戻る