世尊
 「光明如来 こうみょうにょらい 
摩訶迦葉の仏号が治める仏国土について話しましょう。
  その仏国土は
光徳こうとく という名の国ですばらしく美しい国です。
  諸々の汚れや醜いものは何も無く
人間の大小便も 巧みに処理されています。
  穴や凸凹などが無い平坦な道が永延と続き
地面は瑠璃るり で舗装されたの並木道が続いています。
  国中を道が縦横無尽
じゅうおうむじん に走り巡り道と道の境界は黄金の縄で区切られています。
  空からは
様々な美しい花が常に降りそそぎどこもかしこも隅から隅まで 清らかで美しい国であります。
  その国には
仏の教えを求める人々が無数におります。
  また
大勢の菩薩ぼさつ たちが仏の教えを実行して広宣流布こうせんるふ に励んでいます。
  衆生たちは皆
明るい表情で誰とでも仲良く和気合い合いとした毎日を 暮らしております。
  仏の教えを妨げる
魔事まじ は起こらず悪魔やその仲間でさえも仏の教えを護る役目をしています」。
 ビックリ! これって、現代社会のことでしょ                        深信観成未来世の都市
  光徳こうとく という国は人の大小便も巧みに処理されて‥‥道は平坦で凸凹や穴などは無く‥‥
  まさに
現代の文明社会の都会の姿日本社会そのものです。
  しかし一番の驚きは世尊が2500年も前
話していたことです。 ビックリ!
  まさか、いくら世尊でも、2500年後の社会が分かっているなんてことは、信じがたいことです。
  やっぱり世尊は
釈尊という人間ではないのです。宇宙の仏さまなのです。  ‥‥当たり前だ‥‥すいません
  もし
光徳が日本の国だとするとこの仏国土の王は、光明如来
こうみょうにょらい なのでしょうか?。


   仏国土光徳とはズバリ、現代社会のことでしょう。 オイラが生きている国のことです。
    ということは、摩訶迦葉が光明如来になったのだから、昔の名前で親しみこめて、
摩訶・まか・チャンでよんでいいよね!
    いいわけ無いだろう、この調子者が
・たわけ・ ‥‥‥‥ スイマセン ‥‥‥‥ ボサツマン
  そういえば、世尊は言っていました、仏は無始の過去から 無終の未来まで見透していると、
  やはり、世尊は未来の社会のことも、お見通しなのですね。
  そうか、世尊は仏さまだから、無始のはじめから無終の未来までお見通しは、当たり前ですよね。
  これで、世尊
は、最初の最初からこの世に居るという意味が、証明されました。
  オイラは最初聞いた時、
ビックリもしたが、やがてなんとなく、安心した気分に変わってきました。
  私たちは今、この仏国土に生かされていることを
感謝して本仏釈尊に合掌しましょう  ‥‥‥ 合掌礼拝
 
 
世尊魔/魔事/魔民を説く 
  「経典に、魔事有ることなけん。魔及び魔民有りといえども 皆仏法を護らん‥‥という言葉があります。
    魔 ま   正しい道のじゃまをする邪悪なものすべて。
   
魔民 まみん   邪悪なもの()の家来たちで、仏道を修行する衆生の前に、出現し混乱させて迷わす存在。
           
  魔民は、私が瞑想中の修行の道場仏陀伽耶ぶっだがや・ーの場にも、やってきました。
               徒党ととう を組んでやってきた魔の1族は、私に さまざまな妨害や強迫を行いました。
               しかし、私は 魔の誘惑や妨害にうち勝ち、ついに、確固不動の悟りを得ることが出来ました。
               つまり、結果的には、魔民の登場は 私を強く育てる役割りとなったのでした。
   魔の種類ー  身内の魔しんないのま 身外の魔しんがいのま があり、どちらも、迷いの中ではマイナスの作用だが、
              正しい仏の教えを求め、信じ、実行するときには、
プラスの力を発揮する。
 
1、身内の魔:   正しい心をかき乱す本能の衝動や、邪悪じゃあく な考えや、「六煩悩ぼんのう のこと。
       
     衆生が仏の道の修行中、時どき、邪よこしま な考えや本能の衝動誘惑など、身内の魔が襲ってくるが、
       
     その身内の魔が逆に、衆生の道を求める志しを、強くする役割りとなる場合が多くあるのです。
       
     つまり、その身内の魔は、衆生の仏法を護る心の 応援部隊の力となるのです。
             格言: 魔民が襲ってきても、仏の教えに従うならば、魔事は無し
 2、身外の魔  仏法を広宣流布する衆生に、非難妨害強迫誘惑圧力など、外部から加わる行動や言論のこと。
           
しかし、衆生は皆、悉ことごと く、仏性があるので、身外の魔の力にうち勝つことができる。
  おまじない チチンプイプイみたいなことは、まじない魔事無いからでたもので
   正しい道の障りとなるものごとを 仏法の力をもって 祓いのける修法のこと。
   それがだんだんと形式的になって、いつしか迷信のように解釈されるようになりました。
   本当の
魔事ないとは正しい仏の教えを正しく信じ実行していくことなのです。
   すると、衆生の心や身体にこびり付いていた
魔事が消えて無限の生命が輝きだすのです」。
   
つづく