化城諭品第7 けじょうゆぼん
前品で世尊は、因縁いんねん ーについて、説かれました。
今、現代の私たちの因縁として、幸いなことに法華経に出会えることができました。
ならば、現代を生きるオイラ(ボサツマン)も修行すると、授記も授かるし成仏もできるということです。
迹仏しゃくぶつ としての釈尊は、二千数百年前に入滅されました、しかし
久遠実成くおんじつじょう の本仏・釈迦牟尼世尊しゃかむにせそん は、永遠に生き通しなのです。
ということは、つまり、仏は今も法華経を通じて、衆生を教化し授記されているのです。
また、世尊が衆生に二乗の教え(声聞・縁覚の悟り)を説いて励ましている理由は
衆生が一仏乗(最高の覚り)への長い修行の途中、弱音を吐き心が挫くじけるのを防ぐ為なのです。
オイラは、このように授記品で学びました ………ボサツマン
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
世尊 「では、私と衆生たちとのー宿世の因縁 すくせのいんねん ーについて説きましょう。
遠い昔の過去世に、大通智勝如来 だいつうちしょうにょらい という仏が、おりました。
国の名は、好成 こうじょう 時代は、大相 だいそう といいました。
その仏が入滅にゅうめつ してから今日まで、衆生には想像すらできない、超長い年月が経っているのです。
その超長い年月とは、譬えるならば、この地球世界全部の土を砕いて きめ細かな粉にして、
その粉を持って宇宙の東の方角へ出発し、千の国土(星)を通過したら、その粉をひとつまみ落とします。
そこから、また出発して千の国土(星)を通過したら、また、その粉をひとつまみ落とします。
このようにして、千の国土(星)を通過するたびに、その粉をひとつまみづつ落としていきます。
この地味な行動をつづけていって、いったいどれほどの数の国(星)を通過したのならば
遂にその粉を使いきることになるでしょうか?。 計算に強い方、答えてください。
千の国土と表現しているのは、無数にある宇宙の天体の星のことです。
世尊、オイラは無理です、弟子の菩薩摩訶薩 ぼさつまかさつでも、計算できませんですって………ボサツマン
ふむ!では次に、その粉を落とした国土と、粉を落とさなかった国土を、すべて一緒にまとめて‥‥
つまり、宇宙の星をすべて集めて、一緒にまとめて砕いて粉にしたとしましょう。
そして、そのひとつまみの粉を、1劫 いっこう (1劫年は10万年)と決めて、考えてみましょう‥‥
その宇宙の星をすべて粉にした数を、年月に換算すると、どのくらいになると見当がつきますか?
衆生の皆さん、皆目、見当がつかないでしょう。 衆生の智慧で、及ぶものではありません。
大通智勝如来の入滅から現在までの年月は、宇宙全体を粉にした数の年月よりも、さらに長いのです。
つまり、永遠ともいえる長い時間が経っているのです。
世尊、もうやめてくださいよ、オイラ・頭ぐちゃぐちゃです………ボサツマン
ボサツマンよ、こんなくらいで頭・ぐちゃぐちゃでは情けない、仏の教えはマスターできませんよ。
私(世尊)の生命は永遠なので、その久遠 くおん の昔を、今日の如く鮮明に見えているのです。
私だけではありません、すべての諸仏も皆 ー無限の過去から永遠の未来までー 生き通しの存在なので
諸仏は皆、久遠の昔から無終の遠い未来まで、すべて見通しているのです。
そうなんです〜よ。 世尊は、過去も未来もすべて見えているのです ‥‥ボサツマン この調子者め!
諸仏が無限の過去から永遠の未来まで生き通しであるのは、諸仏の生命が無限だからなのです。
無限の生命をもつ諸仏だけが、久遠くおんの過去を今日の如く見ることが可能なのです。
人間は仏の子供なのです。仏の子供である人間の生命も無限なのです。
私は、物質である人間の肉体のことを言っているのでは、ありません。 生命をのべているのです。
人間の生命が無限である、ということは、
今日きょう という日は、ただ1日だけの今日きょう ではありません。昨日きのう からつづく今日なのです。
昨日きのう という日ひも、前の日ひ からつづく日ひ であったのです。
つまり、
無始むし の過去から、無終むしゅう の未来へつづく生命の川の途中に、今日という時が存在しています。
だから、今日の心が濁にご ると、無限に流れる生命の下流である未来の心も、濁にごつ てしまうのです。
今日の心の乱れが、未来の人生を乱すことなるのは、当然のことなのです。
今日のー自分の身と心が清らかならば、未来の人生は清らかに澄んだものになるのですー。
衆生の皆さん、これは真理(宇宙の法)なのです、しっかりと理解しましょう」。
つづく