無量義経 説法品第2 せっぽうぼん    この品は 正宗分しょうしゅうぶん とよばれ 無量義経の本論。
  ………………………………………………………………………………………………………………………………………
 大荘厳菩薩 だいしょうごんぼさつ
 「
涅槃の門の入り口は 私たち菩薩衆は 良く理解できました。つづいて 真理の法について教えてください」。
 
釈尊
 「
よろしいよろしい大荘厳菩薩よ。私は まもなくこの世を去るのです。 すでに カウントダウンに入っています。
 
だから私は 今 ぜひ 伝えねばなりません。 しっかりと聞きなさい。
 大衆たちよ
尊い教えを聞く機会は今です。 少しの疑問を残すことなく 何なりと聞きなさい」
                            え!お釈迦さま もうすぐこの世を去るって どういうこと?‥‥‥ボサツマン
  大荘厳菩薩

 「
世尊は 今 まもなくこの世を去ると仰いました。 それは大変に悲しいことです。
  しかし
それも法ならば 止むを得ないことです。 ならば 今 聞いておかねばなりません。
  菩薩衆が仏
ほとけ の境地に達するには どういう教えを学び どういう修行をすると良いのでしょうか」。
  釈尊
 「うむ 大荘厳菩薩よ 素晴らしい質問です。 では 崇高な大乗の教え無量義むりょうぎ を説きましょう。
 現在 菩薩の境界に達している者にとっては
仏の境界きょうがい もう真近まじか にあるのです。
 ですから 菩薩衆が無量義の教えを学ぶと 確実に速く 仏の境界きょうがい を得ることができるのです。
  並み並みならぬ修行を積んだ菩薩衆が 無量義の教えを学び 大乗の修行をするならば

 
差別を超越した くう 
の世界 及び 永遠に不変な じゃく の世界の存在を 理解できるのです。
 
  常に心に迷いを生じる 浅い修行の衆生の目には
この世の万物が 刻々と変化していると見えています。
  衆生の眼
め には 同じものはひとつも無く まちまちに 皆違うと見えるこの世の万物なのだが
  菩薩の境地を得た眼
で見ると この世の万物の奥の大元
おおもと にある 不変の大きな力が見えるのです。
  この大元の大きな力が 永遠不滅の真理なのです。

  だが まだ 菩薩の段階では
 その大元の力ちから  無始の過去から永遠の未来まで不変であることまでは
確信できていません。
 
この不変の大元の力真理無量義の教えの根本なのです。
  こういう理由が あるのだから 菩薩衆がこの無量義の教えを学ぶならば
 この世のすべての形を形成している
のは
真理であるという真実を 知り得るのです。
 だから
菩薩衆たちよ この無量義の真実の教えは 素晴らしいのです。

 
衆生たちよ よく聞きなさい
 大元おおもと には 永遠不滅の真理あることを理解しない衆生は 自分本位の考えだけの衆生です。
 
自分勝手な損得そんとく を先行させ 他人を蹴落としても自分だけが得すれば良いという考えの衆生です。
 これを
我田引水がでんいんすい の衆生といい 常に 諸々の悪しき迷いに振り回されている衆生なのです。
 この衆生の心の中は 常に
苦や楽が生死しょうじ(生まれては消え)しているのです。
 こんな衆生は
いつまでも 六道を輪廻りんね して 苦の世界を巡り回っているのです。
 真理の教えを聞かず 修行もしない衆生は いつまでも 六道の世界をぐるぐる周っていて
  六道の世界から抜け出せないので 苦しみや悩みから解放されることはありません。
  だから 衆生は 仏道を学ばねば なりません」

 …………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

 「六道」 ろくどう   天上界 人間界 修羅界 畜生界 餓鬼界 地獄界 の六世界。
 
天上 てんじょう  肉体の快感的感覚や快楽的感情に心が支配されている有頂天うちょうてん の世界。
          仏の悟りの世界の完全な喜びは無く
自分勝手な歓喜の世界にある不安定な心。
          故に
再び 地獄餓鬼修羅の世界へ落ちる可能性がある。
 人間 にんげん  天上地獄餓鬼修羅の四つの心があるが それを抑制する心もある世界。
 修羅 しゅら   常に自分に都合のいいように考えていて 何でも自分本位に振る舞う。
          我儘
わがまま な利己心同志が突っ張り ぶつかり合い すぐ 争いになる世界。
 畜生 ちくしょう  本能の命じるままに行動する 智慧が無い 愚かな世界。
 餓鬼
 がき   貪むさぼ りの心や 強欲ごうよく の心が限りなくつづき 満足することが無い世界。
 地獄 じごく   心が怒り迷い煩悩だけの世界。 この世の悪人が死後 苦果を受ける世界。
  ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

 世尊 予楽抜苦 よらくばっく の教えを説く
 「菩薩衆たちよ あなたたちの役割りは 苦の六道を輪廻りんね している衆生たちに対し
 
大慈悲の心をもって接して法を説き 六道の苦の世界から救い出すことなのです。
  菩薩衆たちよ
それにはまず1切の法真理 深く理解しなければなりません。
  この1切の法 つまり 真理を深く知ることで しょう これから未来に起こること 知るのです。
  つづいて
じゅう ものごとは しばらく変わらずにつづいていくこと ものごとの変わっていく ありさま
 
めつ いつか 終わりが来ること 良いことや悪いことが起こることわり も 理解できるようになります。
 さらに 衆生の限りない様々な性癖せいへき や欲望の種類に関しても 理解できるようになります。
 また
衆生の様々な願望に対して 無量な説き方(説法)が あることも 知る得ていくのです。
 そして
次に 説法の仕方が無量だから 教えの内容無量であることも 知る得ていくのです。
 そして
ついに この無量の教えの元はただひとつの法であることを 確信するのです。
 その”ただひとつの法”とは 真理のことです
 
真理とは 1切のものは皆 仏性ぶっしょう を持っていて平等である ということわり です。
 そして
1切のものの区別を超越した 本性のことです。 つまり 真実の姿のことです。
 また
真理無相むそう とも 実相じっそう ともよびます。  
 
そして この本物の世界である実相界じっそうかい こそが 仏界ぶっかい仏の住む世界なのです。

 この大乗の無量義の法門を学ぶ すべての衆生は 仏の功徳を体験できるのです。
  菩薩衆たちよ
真理を悟り 慈悲の心が湧き起こる衆生には 必ず功徳くどく が予あたわ るのです。
 仏の功徳を得ると 衆生の現世の苦がすべて消えて 現世が楽ばかりの世界と成るのです。
 これを
功徳が明らかになったと言います。
 一切の諸仏は
衆生を苦から解放し 楽を現す予楽抜苦 よらくばっく の教えを説いているのです」。
   
つづく      ボサツマンの質問