世尊
「では、一念三千の教えを説きましょう。
この教えは、後の中国の天台大師てんだいだいし が、法華経の教えを学問的な体系に確立したものです。
天台大師は、生命は皆、仏性ぶっしょう があるから成仏じょうぶつ できるという仏の教えを基に、
仏性の種たね というテーマで、摩訶止観まかしかん という本を書き、世の人々におおきな影響を与えました。
この書物は、人間の善い心を学問的見地から探求し、仏の教えをひとつの思想として述べたものです。
後世の仏教学者たちも、一念三千の教えに絶大的な評価をしています。
では、一念三千の教えを 解りやすく説きましょう。
常に苦しみや悩みが尽きない衆生は、心がいつも六道の世界をグルグル廻っているからなのです。
そんな凡夫なのだが、良い言葉使い・良い行い・をしようという良心も必ずもっているのです。
現実には、どんな人間の心の中にも、聖者せいじゃ の心が常に頻繁に湧き起こっているのです。
人から褒められて嫌な人はいません。 又、人を褒める気持ちが0ぜろの人もいません。
人の喜ぶ姿は自分の喜びであるという善行ぜんこう の心は、誰でももっているのです。
善の心である次の三つ、
正しい仏の道を学ぶ声聞しょうもん の心 経験や体験で正しい仏の道を悟る縁覚えんかく の心
世のため人のために尽す菩薩の心を、衆生は必ずもっているのです。
さらに、自分の欲や得(利)を捨て去った 絶対慈悲心ぜったいじひしん も、衆生には必ずあるのです。
しかし残念ながら、衆生の誰しも、六道を輪廻転生する心も、合わせ持っているのです。
でも、確実に言えるのは、仏性の種 ぶっしょうのたね が、すべての衆生にあるということです。
仏性の種があるから、衆生は必ず成仏できるのです。
この世・現実世界では、種が無いものは、形にはなりません。 これは真実です。
仏が説くー仏の慈悲は一切衆生を包みこむーという、真理の言葉を、衆生は忘れてはなりません。
仏性が有るからどんな衆生でも救われる‥‥この言葉は、衆生の心に大きな希望と光明を与えるのです」。
一念三千の教えは、希望の湧く喜ばしい教えですね、オイラにも仏性があるんだ うれしいな!……ボサツマン
世尊
「次に、十如是 じゅうにょぜ を説きましょう。十如是とは、宇宙に存在するものの、奥にある十の姿です。
如是とは必ずという意味です。 如 にょ とは真如 しんにょ のことで、真実の姿のことです。
1 如是相にょぜそう あらゆる存在には 必ず相そう (姿)がある。 2 如是性にょぜしょう 姿あるものは 必ず性質がある。
3 如是体にょぜたい 性質があるものは 必ず本体がある。 4 如是力にょぜりき 本体は 必ず 力(エネルギー)をもつ。
5 如是作にょぜさ 力・エネルギーは 必ず外へ向かう作用がある。
6 如是因にょぜいん 宇宙には、3の如是体にょぜたい が無数に存在していて あらゆる作用が働きあっている。
故に この世にポツンと離れて存在するものは ひとつも無く 必ず他のものと 複雑につながっている。
だから いろいろな現象を起こす原因になる因いん も 無数に存在する。
7 如是縁にょぜえん 因は 何かの機会で条件が整うと ある現象となって現われるのです。
空気中の水蒸気は 地面の草や葉に触れた時・水蒸気が触れた温度が縁えん となって霜や露となる。
8 如是果にょぜか 因が縁を得て 生みだされた結果。 9 如是報にょぜほう 如是果が残すはたらき。
10 本末究竟等ほんまつくぎょうとう 本(初め)から末(終わり)まで 究竟(結局)等(同じく) 法の通りに成るという意味。
1〜9番までは この宇宙で 常に無数に起きていて さらに これらが 複雑にからみ合っています。
人間の智慧では どれが原因なのか? どこが結果なのか? 解り得ないのです。
それらは 必ず宇宙の真理である ひとつのー法ーに従い動いているのです。
この世のすべては 宇宙の法で成立しています。 これを 諸法実相 しょほうじっそう という。
この十如是 じゅうにょぜ は、個人の心の中にも、十の方面として現われるのです。
又、社会を離れて個人は生きられないので、個人の心の状態と社会との良好な関係が大切になります。
故に、次は、三世間さんせけん という衆生の三つの社会を、ときましょう」。
つづく 三世間 さんせけん