世尊、つづけて
「私(世尊)がまだ、沙弥しゃみ として修行していた頃、たくさんの仲間たちが 周りにおりました。
私や仲間たちの多くは、それぞれに無数の衆生を教化したので、仏の悟りを得ることができました。
しかし、なかには、現在もまだ、声聞しょうもん という境地のままの人々も 多くおります。
私(世尊)は、それらの人を仏の悟りに至らしめようと 今も常に教化しつづけております。
やがて、これらの人びとも、仏の大乗の教えによって、除々に、仏の悟りを得ることができるでしょう。
なぜ、徐々になのかというと、仏の智慧は非常に深縁なものだから いきなりそれを説いたとしても、
信じることすら、まして、理解することなどは、なかなかできないのです。
このような衆生には、まづ、浅い教えを説き、次第に深い教えへと進めながら、説いていく必要があります。
私はず〜と、過去世から、段階式に説法を行い、無数の衆生を仏の悟りへ利導りどう してきました。
その過去世から私の教化を受けた衆生とは、実は今、私の教えを聞いている皆さん方も含まれます。
また、この人々の中には、未来世でも私の弟子となって、仏の道を修行する人々も多くいるのです。
譬たとえ
滅度後の私は、きっと、他の仏国土ぶっこくど に住し、ほかの名前の仏ほとけ になっていることでしょう。
これまでに、私の教えを聞いた衆生の中には、大乗の教えに触れ無いまま、菩薩行を知ることも無く、
仏の悟りを求めることも無く、ただ、自分の心の迷いを除くだけで良い、と考える人々も多くいるでしょう。
これらの衆生は、小乗の境地に達しただけで、満足している衆生なのです。
小乗の境地に達しただけのそれらの衆生でも、やがて来世には、私の住する仏国土へきて、
私に、真実最高の教えを 聞き求めることになるでしょう。
仏の悟りの道のりは徐々にの意味は、こういうことなのです。
衆生にとって、本当の悟りを得られる道とは、私(世尊)からー真実最高の教えーを聞き学ぶことなのです。
その真実最高の教えとは、これまで、繰り返し説いてきた”一仏乗 いちぶつじょう ”の教えです。
諸仏や如来は、時には方便を用いて説法しますが、当然、方便の説法も大事な意味をもっているのです。
故に、一仏乗 いちぶつじょう の教えを説く過程で、方便として二乗 にじょう の教えを 説くことも必要なのです。
ですが、
最も大切な教えは、一仏乗 いちぶつじょう の教えなのです。一仏乗の教えが、真実最高の教えなのです。
しかし、最高の悟りの境地を得ることは、人間としての一生や二生の修行では、なかなかでき得ません。
つまり、仏の悟りを得ることは、生半可な修行程度では、できないものなのです。
まれに、この世で仏に成る人々もいますが、その人たちは、仏の修行を前世から行ってきた人々なのです。
その人が、前世から積み重ねてきた因縁の作用が、「十如是」 じゅうにょぜ の如是報 にょぜほう として現われ
その結果が、成仏となったのです。
人間の生命とは、永遠不滅で無限だから、現世の修行で仏の境地に到達できなかった衆生でも、
来世においても、ひきつづき仏の教えを聞いて、他を苦から救う菩薩の道を心から実行するならば、
その衆生は、その未来世にて必ず、成仏することができます。
ということは、前世で、声聞や縁覚の境地まで到達した衆生だけが、
いよいよ現世で、声聞・縁覚の境地を卒業して、菩薩行を実践できる縁が生じた衆生なのです。
つまり、現世で仏の教えに出会った衆生は、いよいよ仏になれる「縁」が生じた衆生なのです。
衆生の皆さん、このことは、非常にたいせつなことなのです」。
ボサツマン、世尊に聞く
ー世尊、ということは、今の現世にて、このサイトの法華経に出会ったオイラや読者たちも
未来世において、必ず仏になれる縁の生じた人たち、ということですよね。 ね!そういうことですよねー
世尊、答える
「ボサツマンよ、その通りである。法華経に出会ったことは、仏縁が生じたのです。
つづけて、修行に励みなさい、未来において、必ず君も成仏じょうぶつ できるでしょう」。
ははあ!ありがたき幸せに存じます。帰ったら報告します うん!誰に報告したらいいのだ?‥‥‥ボサツマン
世尊、つづけて
「皆さん、迹仏しゃくぶつ は、いつまでも、この世に存在するものではありません。
自分の教えのすべてを説いたのちは、しばらくは この世から滅度(姿を消す)します。
仏の教えに対する大勢の衆生の信解が固まり、人間平等の真理を良く理解し、心が安定した時にまた
仏は、この世に出世しゅっせ してきて、尊い妙法蓮崋 みょうほうれんげ の教えを 説くのです。
私(世尊)も未来世にて、きっと又、菩薩や声聞たちの前で、この妙法蓮崋の尊い教えを説くことでしょう。
皆さん、忘れてはなりません。真の悟りを得る道は、一仏乗いちぶつじょう ただひとつだけです。
私(世尊)は、衆生の性質や機根を深く知りわけて、「方便」ほうべん を用いて教え導き 教化してきました。
しかし、まだまだ、低い教えのままで満足し、高い教えを望まない人たちもたくさんいます。
とくに、五官の欲望に執着していて、自分が招いた苦しみから脱脚できずにいる衆生も 多いのです。
そういう衆生たちには、まず、迷いを取り除いて心を安定させることから始め、徐々に導いていくのです。
衆生が一番早く理解できる方法とは、その人々の段階に合った適切な教えを、説くことなのです。
衆生が皆、法を信じ仏法を求め、自ら進んで修行する意識が高まるには、この方法が最適なのです。
このことを、次に、譬え話を用いて 詳しく説明いたしましょう」。
つづく 化城宝処 けじょうほうしょ