五百人弟子授記品第8 
 
数多くの弟子という意味で五百人弟子ごひゃくにんでし と表現していて具体的な人数ではありません。
 この品では
最初の説法会せっっぽうえから欠かさず参加し 法を良く学び高い境地へ達した弟子の富楼那ふるな 
 及び大勢の弟子たちにも
成仏じょうぶつ の保証授記が与わりました。
 富楼那ふるな の名はよく雄弁の代名詞として ー富楼那の弁を揮ふるなどと使われる。
 富楼那は
優秀な弁舌家 べんぜつか でしたが偉ぶった態度は一切無く凡俗な平民として生活していた。
 周囲の目からは温厚な性格に思える富楼那だが
強い意思と勇気を心にもっている弟子でした。

  富楼那の不惜身命
 ふしゃくしんみょう 
 
世尊は弟子たちにこれからは菩提ぼだいの心をもって多くの人に説法を行ってよろしいと 説法を許しました。
  
そこで富楼那は自分と縁が深いユルナの土地へ行って教えを広めたいと 世尊に相談した。
   世尊:  ユルナの地は人の心の非常にけわしい地域だからそれはかなり難しいことです。
          もし、一生懸命に教えを説いても、誰も 聞かなかったらどうしますか?
   
富楼那:  聞いてくれなくても がっかりはしません、笑われないのが幸いと思います。
  
 世尊: では、笑われたらどうする?    富楼那: 笑われても、悪口をいわれないのが、ありがたいです。
  
 世尊: では、悪口をいわれたらどうする?  富楼那: それでも、杖でぶたれたり石をなげられなければ 幸いです。
  
 世尊: では杖でぶたれたりをぶつられたらどうする? 富楼那: 刀で切られたりしなければ ありがたいです。
  
 世尊: では刀で切られたりケガをしたらどうする?  富楼那: ケガをしても殺されなければ ありがたいです。
    世尊: ではもし死ぬほどのケガをしたら どうする?
  
 富楼那: 仏のお教えを広宣流布ために、この身この命を捨てるのは、ありがたいことです
 
世尊は不惜身命ふしゃくしんみょう の富楼那の覚悟を感じユルナの地の布教を許しました。
              う〜ん!すごい根性の持ち主です オイラには無理 ‥‥‥ボサツマン小さくつぶやく
 長い間世尊に仕えてきた富楼那にもようやく布教の許可が出たので大歓喜していますが、
  彼は
世尊のお世話をしてきた間大弟子たちの授記(成仏の保証)自分の目で数多く見てきました。
  その体験により
 ー仏と衆生との前世からのであることを深く知り得ていました。
  また彼は
諸仏の素晴らしい大自在神通力 だいじざいじんつうりき 過去世からたくさん見てきました。
  今
説法の許可が出たので喜びの感動でいっぱいの富楼那はやる気が漲みなぎっ てきました。
  今
さらに心が清浄になった富楼那は踊りだすほどの喜びを 身体で表わさずにはおられません。
  そこで
富楼那は座から起ちあがり世尊に礼拝合掌し心を落ち着かせて自分の座へ退きました。
  その後は
安堵の気持ちを持続させたまままばたきもせずじっと世尊を仰ぎ見ていました。
 富楼那の心の中は
 
世尊は他に比類はないほど尊いお方です。その言動は本当にありがたい極みである。
  世間は
衆生の種類や性質の違いを見極めて それぞれに応じた教えを説き与え導いてくれます。
  世尊の説く教えは
衆生の心の中の貪りの心執着する心を 拭い去ってくださるのです。
  世尊
の功徳はとても言葉では 言い尽くすことはできません。 只感謝あるのみです。
  世尊は
仏の境地を願う弟子の心の奥を知っておられるのだ深く感動しておりました。
   つづく