世尊  ー休憩が終わって
 休憩前には、私だけでなく1切の諸仏
ただ1つの根本の真理を説いていると、話しました。
  つまり
根本の真理はただ1つなのですが衆生のひとりひとりが求めているものに対して、
  仏は、その衆生に見合った教えを理解しやすい言葉で 説かねばなりません。
  ゆえに
仏は無量な姿で衆生の前に現れ無量な形の働きを現わし無量な教えを説くのです
      仏は、数限りないさまざまな姿で 衆生の前に現れ
数限りないさまざまな教えを説く
ということは
       
仏さまは、たくさんの名前を持つ、ということでしょうか? だから多くのお経があるのでしょうか? ‥‥ボサツマン
  仏の境地は、まことに奥深く
不可思議な境地なのです。                
辟支仏/声聞
  
辟支仏びゃくしぶつ 縁覚
えんかく声聞しょうもん でも菩薩の境地まで到達してまだ知り得ないのです。
  それほどに
仏の境地とは 奥深いものなのです
  だから
誰もが
無量義の教えを学び仏の境地をめざして修行することが大切なのです。
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     声聞 ー 学習主義の修行者で、仏の教えを聞いて守り修行して、悟りを得た人。
  
  辟支仏
縁覚 ー 体験主義の修行者で、自分独自の体験や修行を経て、悟りを得た人。
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  諸仏が深く守護しているこの
無量義の教えは、この上もなく尊い真実の教えなのです。
  この
教えを学び修行するものは、どんなものにも負けることなく、どんな境遇の変化にも勇気を失わず、
  間違った諸々の考えの人たちにも、惑わされることはありません。
  故に
衆生はこの甚深無上
 じんじんむじょう 無量義経の教えを学ぶべきなのです」。

  説法を聞き終えた菩薩衆の心は定まりこの教えをしっかりと会得できました。
  さらに
陀羅尼門
だらにもん・(衆生に対し悪い行いを止めさせ、良い行いに導く)の力も得ることができました。
  又、比丘
びく 、比丘尼びくに 、優婆塞
うばそく 優婆夷うばい たち全員が、
  
仏の教えに従い怠らずに仏の教えを広め仏の悟りの境地に達する志を強くもったのでした。

  世尊の説法が終了すると、
 
 天も地も感動して喜び震え仏をはじめ菩薩声聞縁覚大衆たちを褒め称えながら、
  この世とは思えないほどに光輝き美しい花が振りそそぎ
会場全体が浄土の如く思える光景となり
  衆生たちの
歓喜の声いつまでも途切れることなく、響き渡っておりました。
  
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