如来寿量品 (5)

 経文: 一切世間 天人 及阿修羅 皆謂今釈迦牟尼仏 出釋氏宮 去伽耶城不遠』  ★4ここの経文
   「一切世間の 及び阿修羅あしゅら は皆 また 今の釈迦牟尼仏 しゃかむにぶつ
   釈氏
しゃくし の宮を「出宮しゅつぐう  伽耶城がやじょう を去ること遠からず。      阿耨多羅三藐三菩提
   道場に坐して
 阿耨多羅三藐三菩提 あのくたらさんみゃくさんぼだい を得たりと おも えり。
   然
しかる  善男子  まさに 成仏して 無量無辺百千万億那由他劫 むりょうむへんひゃくせんまんおくなゆたこう なり」
 

 世尊 意味を説く
 「一切の人間や天界に住むもの他の世界に住むすべての生き物たちよ 世尊の話を聞きなさい。
  今
ここで法を説く私世尊 かって 釈迦族しゃかぞく の王宮を出て 仏の道を求め 苦行を重ね
  伽耶城
がやじょう の近くの川辺で修行して 阿耨多羅三藐三菩提を得たと 誰もが思っているでしょう。
  しかし
本当の事実とは 世尊成仏じょうぶつ 仏の悟りを開いてしてから現在までは
  とてもとても長い 無量無辺百千万億那由他劫という
無限の長い時が経っているのです。
 世尊 一切世間の天及び阿修羅…… を救いの対象にしていますので
  人間だけでなく
天上界のもの 阿修羅のような人間以外のものにも 分け隔へだ てなく法を説いています。
  天上界に住むものは
 真に涅槃ねはん を得たものではなく 仮の喜びの世界に住んでいるだけです。
  だから
やはり 天上界に住む者も 仏の教えを聞いて 本当の救いの道を求めているのです。
  どんなに悪い人間でも
あるいは 人間界以外のものでも 仏の目から見ると平等なので
  一切世間の天
及び阿修羅…… 平等に表現しているのです。
 世尊にとっては菩提樹の木の下が1番落ち着けて 瞑想めいそう や修行の最適な環境なのです。
  道場に坐して
……の意味は 修行の場に坐して……の意味で建物の中ということではありません。
  ボサツマン
 
 歩歩是道場なり ほほこれ道場なり つまり 仏の道は毎日の日常が道場です。決して 忘れてはなりません」。
   娑婆世界は修行の道場なのです オイラ 少し解かってきました‥‥‥ボサツマン ホントかな 疑問だ!      つづく