如来寿量品 (8)
 経文: 爾時仏告 大菩薩衆 諸善男子 今當分明 宣語汝等 是諸世界 若著微塵  ★7ここの経文
 「諸々の善男子ぜんなんし  まさ 分明ふんみょう  汝等なんじら 宣語せんご すべし。
  諸々の世界(
)に微塵みじん を置き 若しくは 置かざる星を ことごと く塵ちり と為な して 一塵を一劫とす。
  我
 成仏してよりこの来かた  また これに過ぎたること 百千万億那由他阿僧祇劫なり」
 

 世尊
 「もろもろの善男子よ
ハッキリと 説いて聞かせましょう。
  微塵を一粒ずつ置いた世界
 微塵を置かずに ただ通過したのみの世界
  いっしょにしてすりつぶして
 微塵にしたとしましょう。
  その微塵の一粒を
一劫こう という時間とすると 私が成仏してから過ぎ経ったところの時間は
  その微塵の数ほどの劫よりはるかに長い
 百千万億那由他阿僧祇劫という時間なのです。
   
                         ええ~!そんな長い時間! オイラ 口がアングリ ‥‥‥ ボサツマン
  世尊
無限絶対の世界のことを 話しています。
  しかし
最初から 無限とか絶対を説いても 衆生の皆さんには 理解できません。
  そこで
 私は 衆生の目に見えている星の世界や 宇宙の果てしなく遠くに存在する星の世界など
  ひとまづ
衆生が頭と心で思い描ける世界 つまり 有限の世界の話を説くのです。
  その後
衆生の理解の進行具合いを見て だんだんと無限世界絶対世界のことを説いていきます。
  つまり 衆生が徐々に理解しやすいように考えているのです。
 百千万億那由他阿僧祇劫 ひゃくせんまんおくなゆたあそうぎこう とは 無限に長い時間のことをいいます。
  娑婆世界の
地球を小さな粒にして 一つの星を通過する毎ごと 一粒づつ置いていきます。
  そして
その粉が無くなるまでに 通過した星世界の数は どんなに頭脳明晰な衆生であっても
  覚えることも計算することも
 できないでしょう。
 ましてや その微塵を置いた星と 通過しただけの星の数を 加えた計算などや
  さらには
五百千万億那由他阿僧祇という 無限の数の星も合わせて計算することなどは
  衆生の皆さんには
無理なことなのです。 仏の智慧のみが 出来得ることなのです」。

  ボサツマン
 「無限の数の星を
全部すりつぶした数って聞いただけで オイラは完全にアウトです。
  世尊
 絶対世界の計算は 衆生の領域を越えています。
  でも
今オイラが住んでいる日本のスパコン「京」ならば 計算が可能かも知れません」。    豆知識
    
法座の大衆:  なんだスパコン」…て  しまった オイラは過去世にいるんだった………ボサツマン
  世尊
 「
ボサツマン君 私は未来のコンピューターの時代も その先の 未来永劫までも見透しています。
  しかし
大事なことは 機械の頭脳に頼らずに 自分の頭脳で考え行動することです。
  人間の知能をはるかに超えた
スパコン京の世界でさえ まだ 仏の世界の領域に属していないのです。
       
え!スパコン京を 世尊は知っていたのですか……お釈迦さまでも 知らないと思っていた…… ボサツマン
  この話は
 機会があれば そのときに詳しく説きましょう。
  さて 話を戻しましょう。
 
世尊が成仏じょうぶつ してから今までに過ぎた時間は 百千万億那由他阿僧祇劫なのです。
  一劫とは
人間界の約10万年の時間なのでとてつもない 無限の年月が経過しているのです。
  つまり
私が成仏じょうぶつ したのは 百千万億那由他阿僧祇劫という 無限の過去なのです。
  私は
 その無限の過去からこの世に存在しています。 つまり 私は 絶対の存在なのです。
  衆生の皆さんは
世尊絶対の存在 ということを カッキリと理解しなければなりません。
  衆生を本当に救うことができるのは
絶対の存在だけなのです。
  この世の人や物は
有限な存在であるので 真に衆生を救うことは できません。
  あくまでも 手助け
(協力)するだけなのです。
  衆生を本当に救う絶対の存在
この広い宇宙のあらゆる所 この娑婆世界のあらゆる所
  そして 衆生一人ひとりの内側にも
 存在しているのです。
  それも
無限の過去から無限の未来まで 常に変わることなく存在しているのです。
  この絶対の存在 人間は「ほとけ」とよび 崇め奉っています。
 
ほとけ」は 「絶対の存在無限の存在」だから 人間は信じ頼りすべてをお任せできるのです。
  すると
すべての衆生の心が”ありがたい”という感謝の気持ちで満ち溢れてきます。
  この”ありがたい”という感謝の心が
仏の心なのです」        ‥‥‥‥  合掌        つづく