如来寿量品 (11)
経文:『諸善男子 如来見諸衆生 樂於小法 徳薄垢重者・・・・得阿耨多羅三藐三菩提』 ★10「ここの経文」
「諸々の善男子 如来 諸々の衆生の小法しょうぼう を樂ねが える徳薄垢重とくはくくじゅう の者を見ては
衆生の為に 我われ 少わか くして出家し 「阿耨多羅三藐三菩提」 あのくたらさみゃくさんぼだい を 得たりと説く。
然しか るに 我われ 実に成仏じょうぶつ してより 已来このかた 久遠くおん なること 斯かく の如し。
方便を以って衆生を教化し 仏道ぶつどう に入らしめんとして 是かく の如き説せつ を作な す。
世尊
「諸々の善男子ぜんなんし よ 未いまだに「六煩悩」を遠離おんり できない衆生の多くは 徳が薄いゆえなのです。
小法を樂ねがえる徳薄垢重の者とは 声聞しょうもん や縁覚えんかく 程度の悟りを得た衆生たちのことです。
彼らは ある程度の悟りを得ただけで 満足しようと思っている衆生たちなのです。
これらの衆生たちは 仏の教えを有限なものと思い 小さな自分を考え描き 心を満たしているのです。
私(世尊)が 実際の体験談を語るのは これらの衆生たちに 正しい仏の悟りを理解させる為なのです。
私(世尊)は若いときに出家して 厳しい修行を重ねた結果 ついに
完全な仏の悟りである/真の悟り 阿耨多羅三藐三菩提を 得ることができました。
だから 私と同じく努力する衆生は 阿耨多羅三藐三菩提の境地に到達できる と説いてきました。
だが これは 方便ほうべん として 説いてきたことです。
このように 私は 遥か昔から今まで衆生を教化する為 方便ほうべん を手段として用いてきました。
しかし 私(世尊)が実際に成仏じょうぶつ したのは 無限の過去でありました。
正確に言いますと 衆生を教化する為に語ってきた体験談とは
人間/釈尊の体験ではなく 迹仏しゃくぶつ /釈迦牟尼如来しゃかむににょらい の体験談なのです。
もう一度言いますよ 私(世尊)が実際に成仏したのは 無限の過去でありました。ここは大事な所です」。
ボサツマン 質問する
「世尊 ちょっとまってください そうすると 世尊(釈尊)は もともと 人間では無く 如来にょらい さまなのですね!
でしたら オイラは人間だから 世尊の真似などできる訳ないじゃないですか ハッキリ言って すみません」
世尊 笑顔で答える
「ボサツマンよ 心配しなくて良いのです。今はこれ以上説明しませんが きっと 君は大丈夫ですよ。
仏法を信じて 私の足跡を自分の力で歩んでみてください 歩みの途中で必ず解ることでしょう」。
世尊の笑顔に 小声ではい でも 大丈夫って 何が大丈夫なんだろう‥‥‥‥ ボサツマン つづく