如来寿量品 (13)
 経文: 『所以者何 如来如実知見 三界之相 無有生死 若退若出 亦無在世    ★12ここの経文
 
「所以ゆえ いか  如来にょらい  如実にょじつ 三界さんがい そう 知見ちけん す。
 
生死しょうじ の若 しは退たい しはしゅつ あることなし。亦また 在世ざいせ 及び滅度めつど の者なし
 
じつ あら  あら  にょ あら  あら 三界さんがい を見るが如ごと くならず」

 世尊
                                              「三界は唯心の所現
 「
三界さんがい 人間の住む世界のことで 目に見える世界 目に見えない世界を含めた世界をいう。
  
1 欲界よくかい  五欲に満ちている人間社会。   2 色界しきかい  心のなかで 形などを考えられる世界。
  
3 無色界むしきかい 純粋な心の世界。
  三界は唯心の所現であるの意味  三界の現象は 心の現われである
   生死 しょうじ → 変化するという意味の言葉で 生まれて死ぬということではない。
   退出 たいしゅつ  → 退はものごとが消え去ること 出はものごとが現れ出ること。
   生死の若しは退 若しはあることなし → 
         現象界では 変化すると見えるが 永遠不滅の実相界では 消えることも無く 現われることも無い。
  
在世及び滅度の者なし  生命不滅の原理を説いている。
         現象界の人間界では 肉体を形造っている物質の状態が変化するが 実相生命は不滅である。
  
実に非ず 虚に非ず 如に非ず 異に非
         
はあると見えること は無いと思えること。  変化しない常住の存在。は 常に変化すること。
         現象だけを見て 喜んだり悲観することもないという意味。
         今ここに水はあると見えるが やがて 水蒸気に変化すると もう眼には見えない。
          水蒸気は、眼には見えないから無いと思ったが 雨が降ると ヤッパリ有ったと思う。
          人間の目の浅い見方では 有るとか無いとか判断するが 如来の眼で見れば 実に非ず虚に非ず
          如来の眼は 変わらぬ姿も 変わりゆく姿も平等に見通すので 如来の眼は 実相の姿を見ている。

 衆生たちよ
現象界のものごとの 変化にとらわれてもいけないし 不変にこだわってもいけないのです。
 つまり
 差別や違いだけを見ることや 平等だけを見ることは 完全な見方ではありません。
 正しい仏の見方とは 現象界の奥の実相界
じっそうかい  慈悲の眼で見ることなのです」。      つづく