如来寿量品 (15)
  経文:『如是我成仏己来 甚大久遠 寿命無量 阿僧祇劫 常住不滅 諸善男子』   ★14ここの経文
  「是かく の如く  成仏じょうぶつ してより 己来このかた  はなはだ おおいに久遠くおん なり。
  
寿命無量阿想祇劫 じゅみょうむりょうあそうぎこう なり 常住じょうじゅう にして滅せず。
   諸々の善男子
  菩薩の道を行じて成りし寿命 今猶なお いまだ 尽きず また かみ の数に倍せり。
   然るに
 今 実じつ の滅度に非あらざ れども しか も便すなわ  唱えて当まさ 滅度を取るべしという。
   如来
 是の方便ほうべん を以って 衆生を教化す」。

  世尊

 「 成仏してより己来このかた 甚だ久遠なり
とは 久遠実成くおんじつじょう 宇宙本仏のことです。
  本菩薩の道を行じて成りし所の寿命 今猶 尽きず
とは 迹仏しゃくぶつ の私釈尊のことです。
  久遠
くおん の無限の過去に成仏した私の寿命は尽きず 永遠に不滅寿命無量阿想祇劫という意味です。
  つまり 
世尊が成仏したのは 久遠の無限の遠い過去でしたのでした。
 ここで 私世尊またまた 方便ほうべん という言葉を使いました。
 
方便とは 仏が衆生を救済するため 相手の機根に応じ譬えを用いて行う指導の手段 のことです。
 
うそも方便などと 衆生は日常使うが これは 自分の目的を達成するための都合のいい方法の意味です。
  正確な意味で使用されておりません。

        ええ~!世尊は そんな過去から生きておられるのか ふむ やはり仏さまは 永遠に不滅ですよね ……ボサツマン
 
衆生たちよ 苦難の修行を経て悟りを得た 人間の肉体でこの世に生まれたことは 事実なのだが
 迹仏である私
(世尊)の本体は 実は宇宙の本仏ほんぶつ ということを しっかりと理解してください」。
 ボサツマン
 「迹仏の世尊
 苦難の修行を重ねて 穢れをすべて祓い落として 仏に成ったということですよね。
  日本人の祖先の宗教である
 惟神かんながら の道古神道では 穢れを掃はら えと教えています。
  古代日本人は
不幸病気は穢れが元もと と考え ツミケガレ 非常に忌み嫌っていました。
  穢れ
ケガレ  気枯れケガレ と信じて とは 霊気生気実相の生命と考えていたようです。
  世尊
 このことについて 我々衆生はどう捉えたらよいのでしょうか」。

 世尊
 穢れを説く
 「
ボサツマン 大変素晴らしい質問です。君もかなり成長しましたね。      えへへ照れる……ボサツマン
  実相界の生命は生き通しが故に
 現象界の人間の生命も枯れることはありません。これは真実です。
  衆生の肉眼で見ると
 人間の生命や気が枯れたように見えるでしょうが、
 
仏の法眼ほうげん で見ると 本当の生命や気は 枯れてはいません。絶対に枯れることは無いのです。
  このことは
どういうことかと言うと
  本当は枯れていないのに
 衆生の目に枯れたように見えるのは 迷い生命を包んでいるからです。
 
迷いや煩悩 実相の自在無礙じざいむげ な本性を 包み隠くしているからです。
  「
ツミ」には 積み包み」という本来の意味があります。 
  他のものの上に積み重なり
 そのものが持っている 本来の自由性を妨げていることを 言います。
  このことは
 観世音菩薩が般若心経で 説いている無明むみょう 同じことです」。
                                     
         「仏眼/法眼/肉眼般若心経の無明
 
ボサツマン 思う
 「古神道の「
ツミ」と 世尊の説く「迷い」とは 言葉が違うだけで 同じものといえるでしょう。
  神道では
禊の祓みそぎのはらえ 大祓いの詞おおばらいのことば や「十種神宝加持秘文 とくさのかむたからかじひもん を唱えて
  気枯れをふり払い
 病気や諸々の禍いを 遠離おんり するのです。すると 
 
法身ほっしん御魂みたま 天照大御神(実相界の生命) 完全円満な悟りが現象界に顕現してくるのです。
 仏道の観念では 大般若経だいはんにゃきょう や法華経などの仏教典を読経して 迷いを取り去ると
  この世が浄土と変化
へんげ して その人の境遇や環境が好転するので 病気や苦が消えさるのでしょう。
           
                                    「神々の系図禊の祓遠離1切顚倒
  オイラは 仏教も神道も 各々 教えの説き方や言葉の違いはあるが 目的は 一致していると思います。
  世尊
 人間に内在する 実相の永遠の生命 を自覚せよと 説き教えているのです。
  オイラも まだまだの人間です 永遠の生命を自覚していないのです。 う~ん、残念!

 ★ オイラ/ボサツマンが思うには 人間の絶縁体の役割りをしているのでしょう。   世尊罪を語る
  
神仏は常に 人間に向けて 心の交信の念波ねんぱ を発信しているのですが
   人間の罪煩悩迷い 神仏との交信を遮断する絶縁体となってしまい 心まで届いていないのです。
  つまり
 心がツミで包まれているから 神仏との交信が断ち切れてしまうのです。
   実相界から出てる念波を絶縁してしまうです。 これは恐ろしいことなのです。
  まづ
 神仏からの念波を遮断している その罪
気がれを 取り除かねばなりません。
  それには
仏の教えを聞いて
五種法師の行
を実行することです」。    
                                      
オイラもいいこと言うね~ ………ボサツマン
  世尊
 「ふむ!確かに ボサツマン君 素晴らしい考えを述べてくれました。
  このように
本物の我 無限の遠い過去にて もうすでに 仏に成っておりました。
  仏と成った私
世尊は 寿命も無限なので 滅することはありません。 未来永劫 この世に常住しています
  善男子
仏道を志す皆さん方 これで 本仏の寿命は無限であることを 良く理解できたでしょう。
  又
 私が前世で菩薩の道を行じて得たところの寿命も 非常に長く なかなか尽きることは ありません。
  しかし
今 私は皆さんに 私はもうすぐしたら 滅度めつど することを伝えました。
  本当は滅度ではなく
衆生を教化する方便として 一旦 皆さんの前から姿を消すということです」。
 ボサツマン 世尊にお願い
 
世尊 そんな寂しいこと云わないでください 悲しくなってしまいます。 世尊の寿命は永遠不滅だと聞いたばかりですよ。
  それこそ
 オイラたち衆生の寿命が終わらないうちに 世尊と お別れするなんて 絶対に嫌です。
  いくら
 衆生の教化の方便とはいえ 衆生を置きざりにするなんて 世尊ひどいですよ。
  世尊 お願いします。
未熟な我々のために これからも この娑婆世界で ず~と 教えを説いてください」。
 世尊
 「
ボサツマンよ 何も歎くことはない。私が滅度した後は 衆生の眼には 私の姿が見えなくなるが
  実際に
私はこの世に常住しているのです。 だから 何も心配しなくても良いのです。
  これから
この法華経の法座で なぜ私は滅度するのか”を 順を追って詳しく説明していきます。
  ボサツマンよ しっかりと聞いておくのですよ
 」。     ハイ‥‥‥‥ボサツマン         つづく