分別功徳品第17 ふんべつくどくぼん (1)
                  「2」 「3」 「4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
 如来寿量品の説法を聞いた衆生は皆 仏の寿命は無限であり仏はこの世に常住じょうじゅう しておられて
  いつでも
 どこででも あらゆる場所において 1切の衆生を導いていることを 信解しんげ できました。
  そして
 衆生は常に仏に守られ 生かされ 導かれているという確信を得たので
  皆
 深い魂の喜びを感じ 大饒益だいにょうやく 大きな利益りやく を得ることができました。
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 世尊
 「前の寿量品で衆生の皆さんは
仏は常に 衆生のすぐ側そば にと共に居るという教えを 学びました。
  本仏である久遠実成
くおんじつじょう 釈迦牟尼仏 無始の過去から未来永劫まで永遠の存在なのです。
  久遠実成の本仏は
いつでもどこでもどんな場合でも常に人間を護っているのです。
  本仏が衆生を常に護っていますので
 すべての衆生は勇気をもって悠々として
  
大安心だいあんじん 境地 人生を明るく積極的に生きていけるのです。
  仏の教えは 衆生にとっては
このうえない嬉しい教えなのです。  ‥‥‥‥‥‥ 合掌
  
衆生は皆 仏の教えを信じ人生を幸せに生きたいと本願を もっているのです。    「人間の本願とは
  だから
世尊も諸仏も 衆生がこの自覚を常にもちつづけていけるように 説法を続けておるのです。
                    
       世尊 ですよね〜 オイラもそう思います ‥‥‥‥‥ボサツマン
  
弥勒菩薩みろくぼさつ 
  この分別功徳品では
 仏の無限の寿命を信じる者の功徳について説きましょう。
  この功徳は
 衆生の信解の程度に応じて与わるのです。
  
真の功徳とは 仏の教えを信解しんげ した衆生の人生が 素晴らしいものになることです。
  つまり
 その衆生の心境が変化して周りの環境が好転する という現世利益げんぜりやく の大きな功徳です。
  仏が与える功徳は 衆生の心にも肉体にも周りの環境のすべてにも 好転の変化を表わします。
  人間の心と身体は 心身不二
んしんふに 精神と肉体は一つなので、
  
真の功徳を得た衆生の心が に変化することで肉体も健康になり良い環境となっていくのです。
  衆生の一部の人たちは
仏の教えは心の世界のことだから現世利益を願うことは不純である‥‥
  などと思ってる人たちもおるのですが
 そんな頑固な考えは今すぐ捨ててください。
  なぜなら
 三界は唯心の所現である すべての諸仏が 同じく 説いているからです」。
 三界は唯心の所現であるとは 三界(欲界色界無色界)は皆 心のまま顕われる世界 という意味です。
  欲界よくかい  五欲の世界で つまり 人間の住む世界のこと。
  色界
しきかい  衆生が心の中の世界のこと。 衆生の心は常にいろいろな物事を考え廻らしています。
        
   ほかの解釈は 欲望を脱して肉体だけの世界で 初禅しょぜん 二禅
にぜん 三禅さんぜん 四禅しぜん の四つがあり
             さらに
 二禅と三禅には 三つの天界がある。
  
          最上階の四禅 ー
色究竟天しきくぎょうてん とも呼ばれ 通称/有頂点うちょうてん とよばれる世界。
  
          この有頂点の世界
 物質界のトップに君臨する天界で 満円微笑得意の絶頂にある状態の世界です。
  無色むしきかい  物質が消滅して精神だけの世界で
 特別な空間世界であり無の心の世界です。
 衆生は皆 なんらかの悩みを持っているもので いろいろな悩みから解消されたいと 願っています。
  故に
 現世利益げんぜりやく 功徳の結果として捉とら えずに 最初から目的と捉とら える衆生も多いのです。
  しかし
 あくまでも現世利益は 功徳の結果なのです。
  現世利益
 功徳の結果として 現われてくるものです。つまり 与わりものなのです。
  だから
 衆生は心から素直にありがたい と思う気持ちが生じてくるのです。
 病気を治したいとか 金銭に恵まれたいとかいう気持ちが いつも念頭から離れずにいたり、
  心に思っていることは
 病気とか金銭の不足の事柄が 自分の心に住みついているのです。
  その人の心が
 それらの負の事柄にとらわれているのです。 つまり 心が負に執着しているのです。
  捉
とら われの心は マイナスな波動を ガッチリと握りしめているマイナスの心の作用です。
  例で簡単に説明しますと、
  良い結果を出そうと頑張っているのだが
 なかなか順調に進まない時が 誰にも応々にあります。
  そんなときに
 もう仕方が無いのであきらめようと 思った瞬間に状況がいきなり好転して
  最初に願っていた通りの結果が得られた
 などという経験を誰もが あるでしょう。
  執着した心を
 つき離した瞬間 捉われていたマイナス心が プラスの心に変じたのです。
  プラスの心になったから
 その衆生に 功徳が飛び込んできたのです。

   
人事を尽くして天命を待つ」という言葉があります、
  例えば
 病気平癒祈願などの場合 祈願している最中は まだ病気に捉われている最中ですが、
  ついに
 満願祈願の日が終了の時が来たら ーああ!これで治るという明るい心が生じます。
  この時が
今まで握っていた病気を 一気に 心から離した瞬間なのです。
  つまり
 祈願終了したので 絶対の存在である神や仏に 病気を手離したと思う心に 変化したのです。
  祈願とは
 心でとらえていた苦悩を 心の外仏の世界 解き放つ行為なのです。
   すると
 病気は平癒の方向に 急展開していくのです。 苦悩も消え去っていくのです。
   このことを
一般社会の言葉で ー人事じんじ を尽くして天命てんめい を待つ 言いあらわします。
   
三界は唯心の所現である このように考えることができるのです。
   衆生の皆さん
 もう1度言いますよ
   仏の寿命の
永遠不滅えいえんふめつ を信じる者には 現世利益の功徳が授かるのです。
   衆生が
 仏の寿命の永遠不滅を信じることは 自分の寿命の永遠不滅を 確信することなのです。
   だから
 迷いを吹き消して 仏の道を目指して突き進むことができるのです。
   その結果
 過去からの宿業しゅくごう が消えて 仏の境界きょうがい に近づくことができます。
   すると
 現世に浄土が現れてくるのです。 このことは真実なのです」           つづく