では、その霊験成就 れいけんじょうじゅ の 霊験 れいけんとは、何なのでしょう?。 
  霊験とは、神仏の思し召し おぼしめし による、霊妙不可思議な現象や体験を 感応 かんのう することです。
  それは、人間の力では、絶対に成し得ないことですし、それを人間の浅知恵では、思い議 はかる ことはできません。
  霊験とは神仏の絶対力の作用なのですから偶然でもなく、魔術の類でもありません。

  ここで、霊験が不可思議な力なのか、偶然のことなのか、ゴマカシやマヤカシなのかを、論じる気はありません。 
  ふと考えてみるに、現代の科学の先端の粋も、人間が生まれ生きてやがて死すことも、実に摩訶不可思議なのです。
  人間は、夏の太陽の暑さに文句いい、冬が来れば冬の寒さに文句言うが、夏が来てすぐ又夏が来たら地球が混乱します。
  自然界の森羅万象自然の法則、当たり前と思い過ごしている事すべてに、不可思議な力が働いているのです。
  万物の生成 せいせい を司る摩訶不思議な力に、アリガトウという、感謝の言葉が当たり前なのです。 ……… ボサツマン

  人が皆、最も欲しい現世利益という言葉は、大変に嬉しい響きをもつが、残念なことに、あくまでも、現世の限りのものです。
  人が生きている間だけの現世利益は、あの世(来世)には通用しません。 当たりまえのことだ、とお叱りを受けるでしょう。
  宗教を論じる立場から言うと、この現世利益を得ることだけが、宗教の最高使命ではありません。
  宗教の究極の解決に到るには、現世と来世の利益の二つを得ることしかありません。
  生きているこの世でも幸せに暮らし、そして、肉体を捨てて往くあの世でも幸せに‥というのが、宗教の本願なのです。
  人間という生き物が、死ぬことが無く、肉体が永遠ならば、現世利益のみを求めれば充分なのだが、そうではありません。
  人間は、生まれた瞬間から、死というゴールへ向かって歩んでいるのです。 生者必滅の原則から逃れることはできません。

  又、こんな考えも……もし人間が500年も生きるならば悪人も、後半の100年で改心し世の為に生きることも可能です。
  でも、残念なことに、人間の現世は、50年〜高々100年の域を出ません。
  絶世の美男子も美女も、世界有数な財産家も、超有名人も、必ず、平等にこの世を去りあの世へ旅立つのです。 
  よく世の中に、絶対は絶対無いと言われるが、この世には絶対が二つあります。 
  人は必ず親から生まれ必ず死ぬ、この二つです。
  辛気臭いしんきくさい 話は辞めろ、という声が聞こえますが、何人なにびと も、ここのところを腹にくくらねばならないのです。

  人間は皆、現世の財産名誉肉体を捨てて、あの世に往く運命さだめ 、だから、無性に現世利益を願うのです。
  なぜなら、あの世とはどんな世界なのか、何処にあるのか、誰も知りません。 あの世から帰ってきた人は誰もいません。
  だからこそ、自分が生きているこの世を最高のものと、誰もが願うのです。 もちろん、ボサツマン(オイラ)もその一人です。
  だから、この法篋印塔の法門を勉強して、現世利益を願っているのです。
  現世利益を求めるのは、浅ましいと思う人も多いでしょうが、でも、現世利益の欲求が皆無なら、人間に宗教はいりません。
  現世利益を望むから、あるいは、来世には極楽を望むから、人は宗教に惹 ひ かれるのです。
  
 人間は皆、現世をより良く生きたいし、来世には極楽浄土で暮らしたいのです、だから、仏の教えを聞く気持ちが起きるのです。
  この世をより良く生きたい、とは、経済良好身体健康自由で楽しく暮らし、この三つを人は皆、望んでいるのです。
  さあ〜、そのすべての願いを叶えましょうと、この法篋印塔の法門が語っているのです。
  霊験成就富貴成就健康成就、この三つの現世利益を 誰もが成就したいのです。 ボサツマンもしたいのです〜。
  だが、この現世利益を万人が望むといえども、これを満たすのは多難であり寧ろ不可能に近いのです 

  世尊は、 「一切如来心秘密全身舎利法篋印陀羅尼経」で、三つの現世利益を成就する道を、衆生に説いています。
  大変嬉しいことです。 皆さん、オイラと一緒に学びましょう        …つぎへ…