飛駒塩釜神社春祭(獅子舞) 〔開催場所=地図〕

 佐野市飛駒町に伝わる「鍋沢なべさわの獅子舞」は市指定無形民族文化財である。2015(平成27)年3月1日、地元の塩釜しおがま神社で4年ぶりに奉納された。昨今、郷土芸能の維持は難しく、御多分にもれずこの地にあっても困難を極めたが、地元有志の熱意により再演舞えんぶができるまでになった。鎮守ちんじゅの森に軽快なお囃子はやし勇壮ゆうそうな獅子舞がよみがえった。

飛駒塩釜神社春祭(獅子舞)
 この獅子舞は鍋沢地区に古来から伝わる伝統芸能で、横笛の音に合わせて獅子頭姿の舞子3人と"ひょっとこ"が、サンバ、ヒラザサラなど十数種の演目を舞う。所要時間は2時間に及び、子供の健やかな成長と無病息災を願う行事として、毎年、春(3月)と秋(10月)に塩釜神社の例祭で奉納されてきた。
 約20年前から少子化などの影響で後継者不足に直面、神社総代らは対策に苦慮してきた。舞子は伝統的に小中学生の長男に限られていたが、年齢制限を排除し、近年では60歳代が参加して、どうにか維持していた。しかし、2011(平成23)年春の奉納を最後に休止となってしまう。
 2014(平成26)年春、塩釜神社の例祭の折り、氏子から「完璧でなくとも獅子舞を復活させよう」との提案があり、30歳前後の会社員5人らの賛同もあって、以来、地元の集会所で週1回の練習を重ねてきた。今後もできるだけ貴重な獅子舞を残していきたいと頑張っている。
塩釜神社(佐野市飛駒町)
 塩釜神社の祭神は、「味耜高彦根神アジスキタカヒコネノカミ」である。味耜高彦根神は、日本の神様辞典によると、「大国主神オオクニヌシノカミ」と「田心姫命タゴリヒメノミコト」ととの間の御子神みこがみであり、蛇神、または雷神とみなされる。
 「出雲風土記」に記されている味耜高彦根神アジスキタカヒコネノカミは、髭が伸びる年齢になっても言葉を発せず泣いてばかりいた。父神の大国主神オオクニヌシノカミが夢で願をかけ、口をきける夢をみる。すると味耜高彦根神アジスキタカヒコネノカミは初めて言葉を発し「ミザワ」と言う(島根県仁多町の三沢池の名の由来)。
 時は移り、皇祖「高皇産霊尊タカミムスヒノミコト」が葦原中つ国あしはらのなかつくに(豊前中津平野)に“国譲くにゆずり”の交渉のため「天若日子アメノワカヒコ」をつかわした。
 ところが「天若日子アメノワカヒコ」は、その地で大国主神オオクニヌシノカミの娘、下照姫シタデルヒメと結婚し、その国を自分のものにしようと目論もくろんで、8年もの間、何の報告もしなかった。そのため「高皇産霊尊タカミムスヒノミコト」の怒りにふれて殺されてしまう。
 その「天若日子アメノワカヒコ」の喪に味耜高彦根神アジスキタカヒコネノカミが列席する。死んだ天若日子アメノワカヒコ味耜高彦根神アジスキタカヒコネノカミの容貌があまりにも似ていたため、天若日子アメノワカヒコの父「天国玉神アマツクニタマノカミ」や妻「下照姫シタデルヒメ」は天若日子アメノワカヒコが生きていると勘違いして抱きついてしまう。味耜高彦根神アジスキタカヒコネノカミけがらわしい死人と一緒にするなと怒り、喪屋を十掬剣とつかのつるぎで切り倒し、飛び去ったという逸話が伝わっている。
 味耜高彦根神アジスキタカヒコネノカミは、島根県の三澤みさわ神社、陸奥の都々古別つつこわけ神社などの祭神になっている。