ボタン(牡丹)
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学 名 | Paeonia suffruticosa |
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科属名 | ボタン(牡丹)科 ボタン(牡丹)属 |
別 名 | 富貴草、富貴花、百花王、花王、花神、二十日草、百花の王、名取草、深見草etc |
原産地 | 中国西部秦岑一帯の山間部 |
渡来年 | 大同1(806)年(空海が唐より薬用として持ち帰る『四季の花事典』) |
花 期 | 4月下旬〜5月初旬 |
高 さ | 1m〜1.5m前後 |
花 色 | 赤、赤紫、紫、薄紅、黄、白など多数 |
花言葉 | 高貴、富貴、壮麗、王者の風格、恥じらい、誠実 |
誕生花 | 2月27日、3月20日 |
コメント
庭に牡丹が3本植えてある。姉の家から貰ってきた「花王」と呼ばれる品種とホームセンターで購入した黄色の「金晃」及びフリル咲きの「獅子頭」である。3本ともそれぞれの特徴があり、「花王」は淡いピンク色でこの地方では一般的な牡丹である。「金晃」は黄色花で花色は牡丹とは違うものを配合して作ったらしい。「獅子頭」は濃い赤色で3本の中では花輪が一番大きく咲く時期も遅い。牡丹の花が咲く時期が、他の花も一斉に咲き揃い、我が家の庭は一番華やかなものとなる。
雑 記
牡丹は中国原産の花で清時代以降、1929年までは中国の国花とされてきた。日本への渡来は、奈良時代に中国から入ってきたとされるが、一説には、平安時代に第18回遣唐使として渡った空海(弘法大師)が、薬用として持ち帰ったものが最初とされている。当時、牡丹は「深見草」や「二十日草」と呼ばれ、貴族や文人たちを魅了しながら長い年月を経て品種改良され、江戸時代には「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と言われるほど、庶民にも観賞用として大変親しまれるようになった。
一方、中国では古くから牡丹の根皮を薬用としており、隋の時代から観賞用としても栽培されるようになった。唐の時代には「花の王」として牡丹が大流行となり、詩人・李白(701-762年)は「清平調詩」にて楊貴妃の美貌を牡丹の花に喩えている。以降、現在に至るまで中国において、牡丹は最も愛される花の一つとして君臨している。
学名の「Paeonia suffruticosa」は、「paeonia(ボタン属)」、「suffruticosa(亜低木状)」の…という意味である。また、「paeonia(パエオニア、ペオニア)」は、ギリシャ神話に登場する「神々の医師」である「Paeon(ペオン)」の名に由来している。
戦前、牡丹は種からの栽培しかできないため手に入れるのが難しかったが、戦後になって「シャクヤク(芍薬)」を使用した接ぎ木が考案され、入手が容易となり現在のように普及した。品種改良も盛んに行われ、花色も豊富になり、花形も一重や二重、多重、フリル咲きなど多彩である。
古くから生薬として用いられている「牡丹皮(ぼたんぴ)」は、一重咲き在来品種の、根の芯を抜いて皮を乾燥させたもの。主成分は「paeonol(ペオノール)」で、血の滞りを除き、血行をよくする働きがあるとされる。