谷中村連絡ノートより
平成9年(1997)
 栃木県下都賀郡藤岡町・渡良瀬遊水池内の足尾鉱毒事件に巻き込まれて廃村となった谷中村遺跡を訪れた人達が、延命院墓地跡に設置の「連絡ノート」に記した熱き思いを転載してあります。
年月日記          事記入者
H9.8.2  佐野市から来ました。田中正造のことは小学校の時に勉強しましたが、すごい人だとは思えませんでした。今日、藤岡町の歴史資料館を見て、天皇に直訴しようとしたなんて谷中村のことをよく考えた人だったんだなあと初めてすごい人に思いました。
 ここは自然が残っていていいと思いますが、その反対に何もなさすぎのように思えます。昔の家を再現してくれたり、ヨシ原が見渡せる高いところなどを作ってくれたらいいなあと思いました。
 今日だけなのかもしれませんが、ヘリコプターが直ぐ上を飛んでいて、とてもうるさく頭にきました。ヘリコプターもお客様のためかもしれないけど、歩いて見学する人の気持ちも考えて欲しいものです。
 一つ不思議に思ったんですが、ここの水が流れた後は、なぜみんな赤いのですか。
佐野南中3年
小林
H9.8.9  過去の悲劇をつづることも、いかに大切な事なのかということを痛感すると同時に、緑の多い自然の美しさに感動しました。 宇都宮市
是永芳子
H9.8.10  新潟からきました。まるで「ナウシカ」の腐海の森のようですね。ヨシが鉱毒で汚れた土を少しづつ浄化してくれているのだと思います。 C.M.K
H9.8.13  (もしかしたら幼い頃、来たことがあるのかもしれませんが)、初めて来ました。とても静かなところだと思いました。自然はずっと公害事件のことから今まで、私たちの行いを見つづけているんだなあと思います。    
H9.8.15  京都からここを見にきました。なかなか場所がわからなかったんで、もっと看板立てといてください。 吉村佳代子
H9.8.15  吉村さんと一緒にきました。公害の原点であるこの地を見て、同じ過ちを日本のあちこちで起こしていると感じました。
(案内人 足利両毛タクシー 阿部充)
細木京子
H9.8.16  公害問題やダム建設問題などを考えました。 利根川下流
住民
H9.8.16  事後の風景、事後から始めなければならない新しい世代、伝えることが本当に大切と思う。がんばってください。 川野田 信
H9.8.17  とても大事な場所なのに、もっと人の目にさらされるようになってもらいたいです。 大橋
H9.8.17  大泉町の休泊川は渡良瀬川から取水しており、毛里田の皆さんと同じく鉱毒水が流入して被害を受け大騒ぎしたことがあったと近所のお年寄りが話していました。
 今も栃木県に「大雨洪水注意報」と聞くと足尾の山々が目に浮かび心配しているこの頃です。
大泉町西牧
主婦(53才)
H9.8.17  前から何回か一人でぶらりと来ていましたが、今回は立松和平さんの「毒」を読んで来ました。感一増です。 豊島区千早町
藤原慶子
H9.8.24  主人と共に来ました。また子供を連れてこようと思います。 大間々町
館石幸子
H9.8.27  とても懐かしい感じがしました。高いビルばかりの東京から来ましたので余計そう思ったのかもしれませんが、いつまでもこのままの姿で保存してほしいと思います。 江戸川区
小口
H9.8.29  渡良瀬川の源流で生まれ育った者です。父は足尾銅山通洞抗坑夫でした。物覚えついた頃から住む土地が公害の原点であることを知らされましたが、谷中村の強制廃村のことを知ったのは中学生になってからでした。悲劇の生地としては過去の事件に触れるのはタブーだったのでしょうか。
 谷中村の名は知っていても、つい最近まで位置は知りませんでした。しかしいつかは訪ねたいと思いやっとここに実現しました。今、延命院跡の大きな栗の木の下でこれを書いています。
 慰霊碑も訪ね、この地に立ち昔の風景、生活がよみがえるかのようです。国策とはいえ、ずい分とひどいことをしたものです.住む家を取り上げられた村民の苦難を思います。「国やぶれて山河あり」この方がまだ良いのかと思います。
唯志
H9.8.29  50年ぶりでアメリカ・オハイオ州からきたWDJです。父の祖国にこんな自然が残っているのにビックリしたです。これからもよろしく。    
H9.8.30  田中正造翁の真の願いとは何なのか啓蒙すべきです。    
H9.8.31  ダイアナ妃が交通事故で亡くなられたニュースここで聞く。 坂上
H9.8.31  昨日より、足尾、佐野そしてこの谷中村の遺跡に来ました。ここは2回目。足尾鉱毒事件を通して明治の社会史を研究しています。大学でも講義の中に取り上げ、内村・島田・黒沢諸氏の思想との関わりに関心を持っております。また来ます。 新藤
H9.9.4  1行7名で旧跡を見に来ました。当時を思いながら話がつきませんでした。今後も旧跡が残ることを更に念じながら。 同友会
H9.9.7  滋賀県からここに、ヨシの調査などとあわせて見に来ました。いろいろな話を聞くことが出来て楽しかったです。    
H9.9.7  ヨシ原見学後遊水池会館ヨシ原問題シンポジウムに向う途中一行と別れてここへ来ました。 沼崎英夫
H9.9.28  10年程前に当地に来たことがありますが、今日来て見て大変変わっておりビックリしました。   
H9.9.29  埼玉、生きがい大学ハイキング24名で来ました。広々と大変勉強になりました。    
H9.9.30  服部浩子、弓平秀文、結婚日、よろしくお願いいたします。幸福です。お弁当美味しかったです。    
H9.10.1  埼玉県より来ました。歴史の過ちを2度と繰り返さないように、公害の原点である足尾鉱毒事件を風化させてはいけないと思います。教育に携わるものとして、谷中村のことは子供たちにしっかりと伝えていく義務があると痛感しています。 川口市
利根川千絵
H9.10.5  15年前田中先生の本を読んで一度この地を訪れたいと思っていました。胸詰まる思いでこの地に浸っています。 総和町
H9.10.9  大学の授業の一環で新潟から来ました。鉱毒事件解決のため、村をなくしてしまうのは本当に解決したといえるのだろうか。長い目で見れば良かったことなのだろうが、その当時の村民のことを考えると、人間が自然を変えて解決するのではなく、自然をそのまま利用した解決策が望ましいのです。新潟にも奥三面ダムなど国策で土地を追い出された村があります。反省も無く谷中村を繰り返しているように思えました。 石山
H9.10.9  渡良瀬川には3度目ですが、この地は初めてです。公害に立ち向かった田中先生、私たちもこれから公害に向って闘って行きたいと思います。又、谷中村たよりはこれからこの地に来た時には頂き読み続けたいと思います。皆さん頑張ってください。 庄和町
大城(沖縄県)
H9.10.10  谷中村が気になりまた来ています。先日、立松和平氏の「毒」を読みました。沢山の資料をもとに書かれたのでしょうが、ここ谷中村の人たちの苦しみや悲しさが伝わってきませんでした。それだけ風化してしまったということでしょうか。 千葉県船橋市
島倉昌司
H9.10.19  かんばんをよんでいろいろなことがわかりました。遊びながら勉強ができました。 白石あゆみ
大平町
小学3年生
H9.10.19  谷中村って広いんだなと思いました。墓地を見て足尾銅山の鉱毒で死んだ人もいるのかと思い、少ししゅんとしました。 大平町西山田
白石聡美
小学5年生
H9.10.25  スケッチに来る。遺跡の周りに生えた柳の木の見事さに圧倒される。どの来も高さはさほど無いが、根元のあたりがどっしりと太く堂々とした姿をしていて、耐えてきた年月の重さを感じさせる。これだけ見事な柳の老木は他ではちょっと無いだろう。最近、幸田文の木についてのエッセーを読んだ。もしも幸田文がこの柳の老木を見たら何と言っただろうか。 大島英太郎
H9.10.25  渡良瀬遊水池へ来て足尾銅山の鉱毒にあった人々の苦しみが骨身にしみる思いがします。現在も日本各地で問題が起こっていますが、日本人みんなで問題を分担して解決できるように…    
H9.1031  6才の子供と一緒にこの地は初めて来ました。藤岡に住んでいながら今まで関心があまりありませんでしたが、今日見学し思ったことは、人間の勝手な唯物主科学により自然を破壊し、公害をまねき異常気象をもたらした人間のおろかさを感じます。
 草一つ作れない人間がこれ以上自然を破壊して、これからの世がどうなるのか不安です。もう一度、田中正造のことを学びたいと思いました。田中正造のことをもっと藤岡町の人にアピールしてください。学校の授業でも、守る会の方、頑張ってください。
   
H9.11.2  田中先生の偉大なる戦い、それを感じさせない現在の景観、その中にこそ大いなる魂と自然との調和、これを感じてなりません。先生は私たちに環境の重要性を絶えず訴えております。 石川敏一
H9.11.3  久し振りに来ました。会報が無いので残念でした。原の浄水工事が始まりましたね。またいつか見に来たいと思います。 北村 操
H9.11.5  群馬県に住んでいながら初めて来ました。足尾鉱毒事件、谷中村廃村の事は知っていましたが、この地に来てみて当時の谷中村の人々に思いをいたすとき胸が痛みます。 群馬県太田市
柴田清志
H9.11.6  今日は谷中村を訪ねさせていただき、発展の陰に多くの人の犠牲があったということがわかりました。公害の無い世の中を願いたいと思いました