谷中村連絡ノートより
平成10年(1998)
 栃木県下都賀郡藤岡町・渡良瀬遊水池内の足尾鉱毒事件に巻き込まれて廃村となった谷中村遺跡を訪れた人達が、延命院墓地跡に設置の「連絡ノート」に記した熱き思いを転載してあります。
年月日記          事記入者
H10/03/09  ここは何回も来ていますが、冬に来るのは初めてです。なかなか冬もいいですね。4月からは私も社会人なので平日に来られないのが残念です。平日は人があまりいないからのんびりした時間を思う存分楽しんでいます。今日はいい天気です。 佐野市
小林義則
H10/03/14  毎年巡礼のように正造跡を巡っています。子供達に嫌われるほど語り継いできました。遺跡保存の皆さん頑張って下さい。 鷲宮
州浜ゆき
H10/03/14  約5年ぶりに渡良瀬遊水地に来ました。かってここでは人々の生活の営みがあったけれど、今ではひっそりとしています。人間の過去の過ちを再び起こすことがないように努力したいです。 Y.S
H10/03/15  しばらくぶりに此処へ来て昔の面影を思い出しています。馬頭観世音の塔が印象的です。往事この辺で馬耕、馬運送が行われていたことを思うと感無量です。 邑楽町
横山栄一
H10/03/17  日本の環境問題の原点として、この光景を目に焼き付けました。日本はもとより世界で々過ちを繰り返さぬよう努力したいと思います。 T.M
H10/03/24  田中正造さんの像を、ここに来るときに見ました。すごく偉い人だと改めて実感しました。
 佐野市 13日で12歳になった新里マユ
  
H10/03/24  いろいろな遺跡があり勉強になりました。田中正造さんもとっても偉いと改めて思いました。また来たいと思います。 中山弘子(12)
H10/03/24  安らかにお眠り下さい。二度と過ちは繰り返しませんから。 直井
H10/03/28  何年かぶりで来ました。もう12〜13年前、まだ工事中で入れなかったので無理に入れてもらったのです。谷中村の歴史を改めて思い起こしています。焼けた黒い土地の上に若い草芽が芽吹いています。苦しい時代の中で谷中村の歴史を思い出しています。
 上尾市 石岡みち子、しらいしひとみ、みんなで自転車で来ました。
  
H10/03/30  千葉市稲毛区より、連れてきてもらいました。宇敷香津美(20)。思っていたよりも10倍は広かった。水もないんだ。へぇー黒こげの葦の上をパキパキ歩くと時々ズボッとはまり、なかなかいけます。葦草の上に寝ころぶと結構柔らかい。喉が渇いたらミカンを食べます。 谷内   
H10/04/04  3月31日に葦焼きを見学に来ました。カメラマンが多く、遠くから来られた方が多いようでした。今年は少し焼け残りがありますね。水が多かったからでしょうか。今日はヒバリも鳴き、桜も満開の最高のお天気です。谷中村にもかっては桜の木もあったことでしょうね。   
H10/04/05  中学生達16人で東京から来ました。毎年のように訪れますが、賢明な保存のお陰で往時を偲ぶことが出来ます。 東京都練馬区
斉藤俊男
H10/04/05  東京から来ました。天気はいいです。公害があったとは思えないところだと思う。 東京都板橋区
小宮義徳
H10/04/05  雷電神社の建物は何も残っていないけど土台だった石や瓦が重ねて置いてあるのを見ると、なんか寂しい気がした。 山道亜希子
H10/04/05  遊水地は思ったより広かった。今ではみんなが釣りやサイクリングをしたりして楽しんでいるけれど、ここで昔、苦しいおもいをして闘う人達がいたことを忘れてはいけないと思う。 東京都
塚田菜実
H10/04/05  雷電神社を見て石や瓦が積んであつたので、僕も探そうと思っていたらお金があった。昔の村の人々が作った水塚とか墓を見ていると、明治政府はなんと残酷なことをしたなと思うし、なんだかこの村に最後まで残った人達の気持ちがわかるような気がする。 樋口 遼
H10/04/05  このような広い土地があれば多くの田畑が作れると思い明治時代はもったいないことをしたなと思いました。 山道真人
H10/04/05  こんな広い所を鉱毒でうめつくすなんてひどいと思った。 水谷壮平
H10/04/05  政府もひどいことをしたなぁーとつくづく感じた。谷中村というのはとても広いんだなぁーと思った。今ではたくさんの人が遊んだりしているが、ここで昔あったことは忘れないでほしい。今日は来てよかったと思う。 石井由香
H10/04/05  古河市で上映された映画を見たことがあるが、こんな形で自然に残っているとは思いませんでした。このまま歴史と共に残しておきたいと思います。 茨城 鈴木
H10/04/05  人間が命をかけていくことはどういうことなのかということを田中さんの生き方からいつも深く学びたいと思っています。哀しみの中からでしかし究極の愛は掴めないということを学びました。田中さんの解説だけじゃなく生き方で証することが一番田中さんが喜ばれることだと思います。この国の平和、見守って下さい。 福島県
中島啓幸(28)
H10/04/05  神社なんて本当にあったのでしょうか。だって跡がないです。それに雷電神社に石が積んであって、俺も積もうとしたら崩れそうになった。でも田中さんはすごいと思う。 北海道
藤井
H10/04/05  とてものどかなのに昔、谷中村が滅亡してしまったのは大変残念な気がします。昔の日本の風景を見ているようでのどかな気持になる。 A.K
H10/04/05  湖をじっと見ているとなぜか泣きたくなった。その昔、村が沈んだなんて信じられない。村の人々はあの湖を見て何を思ったのだろう。こんなことがもう二度とありませんように。 A.N
H10/04/19  田中正造に南無妙法蓮華経、創価学会男子部有志   
H10/04/21  人間が生きていく限り、便利さを追求していく限り、自分さえよければいいと思う限り、自然はなくなっていくのだろう。この渡良瀬遊水地だって人間が作ったものなのだから、一つの自然破壊なのだ。私たちは自然を少しづつ食いつぶして生きていることを自覚しなければならない。谷中村も人間がなくしてしまったものの一つなのだ。 茨城県総和町
富永
H10/04/23  東京都 猪狩邦男 悲しい気持ちになります。   
H10/04/28  広い草原、谷中湖に驚き楽しませていただきました。8人出来ました。 藤沢市鴨沼
石原康子
H10/04/29  昨日、足尾銅山を見てきました。渡良瀬川の鉱毒以外にも煙害のために禿げ山となった松木川沿いの山々を見て驚きました。治山事業が進みそれらの山にも緑を取り戻そうとしました。足尾銅山にしても旧谷中村にしても現在の私たちは、それよりも大きな規模で悪さをしているのではないかと疑問を持ってしまいます。 愛知県豊田市
西ケ谷仲也
H10/04/29  12年ぶりに来ました。田中正造の足跡をしのぶ団体に入れていただいての巡検です。12年前、3月うっそうと葦の中をかき分けて来た時とは、全く変わった姿の谷中村跡地となってしまいました。あれからいろいろな形での保存運動の力が脈々と今のこの姿を作ってきたのだなぁーと感激一塩です。 東京都大田区
水代慶子
H10/05/10  子供二人と散策、楽しい一日でした。 総和町 N.K
H10/05/10  今日初めて来ました。心が洗われるようです。また機会がありましたら寄らせていただきます。 M.T
H10/05/17  水と土を汚して生物は生きられません。あなたの飲み水は、この遊水地の水質で決まります。日本公害の原点をしっかり見つめて、この泡のたまった遊水地、渡良瀬、利根の水をもう一度きれいにする運動をしっかり根付かせましょう。(中略)谷中村跡を大切に保存してくれている方々に感謝しています。
 群馬県境町 北爪正夫 貞子
  
H10/05/19  沙々とした風景、荒涼たるたたずまいに心打たれます。大切な遺産として、心を込めた保存に頭が下がります。
 大利根町社会福祉協議会主催 一人暮らし老人の旅 品川記
  
H10/05/21  来てみて少しショックでした。ここまで何もなく草だけの場所とは、公害に汚された場所は、ここだけではないでしょう。日本の未来を見ているような気がします。多くのたくさんの人に見てほしいです。保存に努力して下さっている方々ありがとう。 埼玉県 K.T
H10/05/22  活動ご苦労様です。環境自治体会議出席者   
H10/05/22  足尾銅山のことは小学校で習いましたが、今自分自身が土に根ざし水と関わる生き方を模索している時に、ここに来て学ぶことの多さを感じています。その場に来て感じること、これからも見失わずにいようと思います。自分の足元を絶えず見ていなければ、彼らの辛酸は教訓となり得ないと感じています。
 那珂郡山方町役場 檜垣里果
  
H10/05/23  渡良瀬川 うたた荒涼、20年位前に取材に来ました。ここの墓地まで探し歩いてやっと見つけた時は彼岸花がきれいでした。遊水地が整備されたと聞き又やってまいりました。とても素晴らしい公園になりましたね。又来たいと思います。
H10/05/23  とても驚きました。つらい現在を見つめ直して私たちは生きていかないといけないのです。
 現在中学校1学年1年1組 岡島梓 13歳
  
H10/05/23  夏に(8/22)にまた来ます。 岡山県
渡辺美和子
H10/05/23  とても貴重な遺跡です。岡山県 安達嗣世   
H10/06/13  小雨の中でノートを書いています。昨年、「風木の悲」のタイトルで谷中の写真を発表しました。終わりのない「風木の悲」の姿に今日もカメラを向けています。 船橋市
島倉昌司
H10/06/20  真夏のようなお天気になった。昔の雷電様のようにと杉とケヤキの苗を植えました。 遺跡を守る会
H10/06/20  今日は久しぶりの真夏日でした。空が青くて気持ち良いです。今日のことは一生忘れないです。 川越市 あいこ
H10/06/23  谷中村の自然を忘れないように近所に住みたいと思いました。 尾島町 青治
H10/06/26  かねてより正造と谷中村のことに関心を持ち田中正造伝(嵐に立ち向かう男 ストロング著)を読み、ここに来ました。彼の主のように生きることになったこの地に足を踏み入れ感無量です。この地で彼は用いられたのかと!ただ一つ気がかりなのは、生前あれほど嫌われていた正造が今や神格化されつつあるということです。本人が作るなと言って怒った銅像が造られ、神に従って生きた彼が神にされようとしている現実は悲しむべきことです。私もまた彼がそうしたようにキリストになって生きていけるよう願って止みません。 豊坂泰史
H10/06/27  マウンテンバイクで走りながら、やっとここを見つけた。昔ラーメン屋のおばちゃんが、田中正造の末裔だといっていたが、本当なんだろうか?
 田中正造はえらい!人のため自分の財産をなげうってもつくしたんだから…いつか見習おう。−後略−
徳川忠明(21)
H10/06/28  やっとここまで来た! 奥戸礼治(12)
H10/06/28  こんなに素晴らしい処、しかし、これが先人の涙の地とは…。自然を守るのは大変だ!頑張れ! 館の会
H10/07/12  今日は参議院選挙投票日。息子は釣りをしている。一人で散歩、緑、緑、緑の中で田中正造を想う。 野木町
稲葉秀子
H10/07/18  谷中村のことばかり勉強しても方手落ちと思い銅山史も読み現地も訪ねていますが、世界に飛躍した足尾銅山でプライドを持ち一生懸命会社発展の為に尽くしていた人たちや地下で銅鉱石を掘っていた多数の坑夫にとって下流の村々がどんな状態になっているのか、テレビも無い時代どうして知ることが出来たでしょうか。
 わかったからといってどうすれば良いのか、銅山の人たちも農民もそれぞれが自分の道を真剣に真面目に歩んだからこその悲劇です。
 今の世も昔も政治の力の無さを嘆くばかりです。不況は人の心にあるのかと…
群馬県大泉町
主婦
H10/08/07  足尾鉱毒事件と環境問題を考える学習ツアーで谷中村跡の視察にきました。会の皆さんが保存されていることに感謝しています。ぜひ周りの多くの人に事件のこと、現在に至るまでの運動のことを知らせていきたいです。 東京労働学校
三多摩教室
学習ツアー
視察団一向
H10/08/08  保存対策後の遺跡跡はじめて拝見できました。歴史に残る跡には心に残るものがありました。保存ありがとうございました。 館林市松原
H10/08/27  墓石のみ残る谷中村跡也 淋しくもまたけなげなり 鹿沼市村井町
加藤金造(72)
H10/08/31  台風4号の余波でここまで水がきた。谷中村連絡ノートNO.4も水でぬれたが、幸いにも字がはっきり読めるので安心しました。 守る会
H10/09/12  先週、赤麻橋のほうへ行ってみました。台風の水が随分高くまできた様子で川岸の木の上の方までゴミやビニール袋が引っかかっています。当時の谷中村の洪水もこれでは手の施しようもなかったでしょう。
 今日は彼岸花がそろそろかと来てみましたが、来週が見頃でしょうか。去年は9月20日が満開でした。
A.S
H10/09/13  守る会で草刈をしました。 石井・針谷
H10/09/20  水がきた跡がハッキリしている風景の中、雲龍寺をまわってここに来ました。約5年ぶりの谷中村探訪です。ここに来るとダンプ群、一面のヨシ原の風景を思い出します。
 谷中もすっかり変わりましたね。でも昔日のことでもこうして残っただけでも有難いです。このノートもびっしょりでした。今、太陽に当てて乾燥させながら書いています。また来ます。
足尾研究会
橋本康夫
H10/09/24  今年もと期待していた彼岸花が、なぜか咲かないのでがっかりです。原因はわかりません。初めてのことです。 守る会
H10/09/26  宝栄工業歩こう会にて訪れ、はじめてこの地の歴史を知り田中正造翁への思いを語り合う
 http://www.hoeikogyo.co.jp/index1.html
真岡市松山町
宝栄工業
H10/10/02  建設省公共事業の失敗例、事業目的はすでに破綻、次の開発計画、第2貯水池、ゴルフ場開発もすでに破綻している。絶対反対、絶対阻止、水辺環境の再生を!−博多湾を守る市民の会− 東京都北区
中島新太郎
H10/10/07  今日、背広・ハイヒールで来てしまい失敗しました。近々、ウェアーを替えてゆっくり見学に来ます。田中正造先生は私の大事な精神的な柱です。映画「風と共に去りぬ」のタラのテーマが今にも聞こえてきそうな雰囲気ですね。 ゆうゆう会
一同
H10/10/09  足尾からここまで下ってきました。いろいろな場所の自然を見て考えさせられました。 http://www.sc.niigata-u.ac.jp/ 新潟大理学部
鈴木剛
H10/10/09  このような村が存在したことすら知らず大学の講義で訪れました。日本人の多くの人が谷中村のこと、田中正造のことを知って将来につなげるべきだと思います。 横田
H10/10/09  政府に対して反対運動が起こるとき、その問題のすりかえや(この谷中村のように)一時の補償金による被害者同士の連帯を崩したり、大多数の人のために一部の人々の人権が侵害されることは、今でもなお続いています。そういう意味でもこの谷中村の事件は原点といえるのではないでしょうか。 三杜
H10/10/09  消えし村 思ひて泣くは ヒガンバナ 詠み人知らず
H10/10/11  私は「地域を総合的に研究する学問、地域科学」を研究しており、本日はこの地を訪ねました。国と地方のあり方、国と地方の力の均衡点とこれらを考えることの難しさを実感できました。 K.S
H10/10/24  歴史教育者協議会茨城県西支部生沼さん・森さんの案内で共同研究をしています。地域史研の会員が12時に伺う。実地の見学を通し当時のありさま、今の課題をしみじみ感じます。   
H10/11/06  田中正造の生き方に共感し、この谷中まで来ました。
 http://fu-syou.miyakyo-u.ac.jp/
宮城教育大学
付属小学校
佐藤崇
H10/11/07  雷電神社跡で田中正造の本、直訴文をみんなで読みました。 郷土教育
東葛支部
8名
H10/11/29  田中さんと共に運動をすすめた農民の方々が、今に語り継がれているのと同じようにご苦労様です。皆さんの苦労が報われる日が必ずやって来るでしょう。
 一度ならずやってくる予定です。
川口市上青木
松原十郎
H10/11/29  谷中村というのが在ったのは子供の頃より知っていましたが、今日始めて来ました。小さな村のようですからそれなりの営みがあったのだろうと考えさせられました。 黒川
H10/12/01  谷中村が明治39年7月1日廃村にさせられ、延命院はいつ廃寺になったのか判りません。お寺の住職は、村人の幸せと亡き人々を祈っていたのでしょうが。
 正造さんとゆかりの深い明治時代の地元の漢学者森嶋村さんの家から過去帳に八世・権大僧都法印寛海が記されており、今日確認してお参りしました。幸手市にあります延命院の鐘と町内宝光寺に移転した宝きょう印搭に寛海の名が入っています。
守る会
H10/12/07  私達は東京小平市の「平和のための戦争展・小平」の一行11名です。誤った侵略戦争を再び起こさぬため平和を守ると共に人権を大切にしなければと谷中村遺跡を訪れました。 「平和のための
戦争展・小平」
実行委員会
H10/12/09  ここに村があったなんて今では信じられないですね。人間ていったいなんでしょう。   
H10/12/12  栃木県庁とその関係者、政府が行ったことは誤りである。謝罪すべきである。将来は知事になって公害問題を解決するつもり…。 http://www.metro.tokyo.jp/ 東京都庁勤務
公務員(23)
H10/12/12  旧谷中村の歴史と鉱害訴訟について、地元北川辺高校に在籍時に学んだことがありましたが、数年を経てここに初めてきて思ったことは、当時の明治政府が、現在の政府よりも横柄で、国民の訴えなど聞く耳さえ微塵も無かったのではと感じました。   
H10/12/15  「問題からいう時には、ここもまた敵地だ!」田中正造 山口市
劇団はぐるま座
「亡国の構図」
公演班
H10/12/20  久し振りに来ました。11日に古河まで来て正造の劇を見ました。正造の姿こそいつまでも心に生きていてほしいと思いました。…日本の良心ある人々の心に… N.玲子
H10/12/20  この3日間をかけて、この公害に関係するところを見てきました。
@足尾の町 松木沢の光景には本当にびっくりしました。
A山前の毛利田地区
B田中正造の旧家
Cこの谷中村
 家に帰りゆっくり考えてみます。
結婚30周年
の旅行できた
愛知県の夫婦
H10/12/26  今日は27名でバードウォッチングに来ました。 少年教室
H10/12/27  ここ谷中村跡の土は今でも汚染されているのでしょうか?人間の業を感じます。 広島県
大竹市油見
田中成徳