谷中村連絡ノートより
平成15年(2003)
 栃木県下都賀郡藤岡町・渡良瀬遊水池内の足尾鉱毒事件に巻き込まれて廃村となった谷中村遺跡を訪れた人達が、延命院墓地跡に設置の「連絡ノート」に記した熱き思いを転載してあります。
年月日記          事記入者
H15.1.3  運動のため自転車で来ました。余りの荒涼とした景色に当時の寂しさを漂わせているようです。
   
H15.1.10  明日は57才の誕生日です。今日は良い天候に恵まれ心地良かったです。また来ます。
   
H15.1.14  今日初めて谷中村遺跡を訪れました。我も鉱毒被害地から訪れました。
只上町
一ノ瀬想
H15.1.19  荒れた廃村墓石残るこの地に住んでいた方が見たらどんなであろうと思うと感慨も一入です。
   
H15.1.26  初めてここに来ました。今日は金ちゃんの誕生日、記念探訪でした。良い自然がいっぱい!
   
H15.1.26  自分が住む近くの歴史にふれて何ともいえない感動があります。勉強しなおして再度訪れようと思います。
小山市
岩木一彰
H15.2.9  8年ぶり5度目の訪問です。「平和の鐘」がいいですね。自然復元の仕事に携わっています。100年前の谷中村の人達はこの姿を見て何と言うのでしょうか。
千葉県印西市
石塚誠
H15.2.15  毎回来る度に当時に思いはせ、谷中村の人達の苦労に胸をしめつけられるようです。映画「襤褸の旗」を何度も見入ってしまいました。
   
H15.2.15  中学2年生 松本美姫 初めてここに来ました。おじいちゃんに昔ここに村があって、人々が暮らしていたと聞いてビックリしました。
 小学校の頃、国語の授業で田中正造の鉱毒事件を勉強したので、あゞこの事だったのかぁと、少し感激というか、こんな身近な所でこんな事が起こっていたのかとビックリ。
群馬県館林市
赤生田本町
H15.2.23  高見台より、チュウヒ、ノスリなど観察、素晴らしい自然を永久に残したい。
わたらせ
未来基金
H15.3.5  初めて来て昔の生活がわかるように思えた。今後、可能な限り残し、次の世代に引き継いで下さい。
   
H15.3.5  十何年かぶりで訪れました。(谷中この出来る前にも来ましたが)田中正造がこの辺を奔走していたのが思えて感慨深いものがあります。貴重な歴史遺産の保存本当に意義あることです。埼玉の仲間を連れてやってくるつもりです。その下見できました。
埼玉県北本市
石井徹
H15.3.21  道で「守る会」の方にお会いし資料を戴きました。村の社の跡地に立ち、田中正造翁の村人との話し合いの場であったことを思い胸を熱くしました。
 始まってしまった戦争のことに思いが及び田中翁の様な政治家がいたらと思うことしきりです。
入間市
安達
H15.3.30  30年ぶりにこの地を訪れ感無量です。30年前に研修に北人達との一期一会を感じています。布川先生いつまでも元気で…。
 「谷中村だより」を頂きました。敬意を表しています。
板倉町
増田正
H15.4.7  今朝はとても寒かったが、日中は温度も上がり汗ばむ陽気になった。ここへ来ると本当に五感で春を感じることができる。
 ウグイスの鳴き声、なんて素敵な声なんだろう。ヒバリは何でいつもあんなに忙しそうに鳴いているのだろう。その他のいろいろな鳥の鳴き声、カラスの鳴き声さえも都会で聞く声とは違って聞こえる。
 草花たちも一斉に咲き始めた。ここにいると時のたつのも忘れてしまう。日が暮れてきたそろそろ帰ろう。
北川辺町
小林
H15.4.16  自然が一杯です。皆々様方の故郷です。各学校も子供たちと来ましたら楽しい一日の思い出が出来るのに残念です。
坂本
H15.4.19  若々しい緑が目一杯に飛び込んできました。渡良瀬の春は草、木、鳥、空気、小さな命を育む小宇宙です。大切にしたいですね。ゴミは捨てないようにしましよう。それにしても今日は絶好のウォーキング日和でした。
MS
H15.4.19  メディア規制法案を廃案にしましょう。対案と言いつつ実は同調する野党は、名を「野盗」と改めよ。中曽根時代の「スパイ防止法」と実は似たり寄ったりなのだ。口実が個人情報保護となっている分より、手口が巧妙悪質化している。
   
H15.4.26  古河市内より、ここに初めて延命院跡の墓地を見学に来ました。
   
H15.4.27  4月25日、藤岡町、岩舟町、大平町の合併が決まりました。この遊水池の自然がどう守れるのでしょうか。
 また国際空港、ギャンブルの地になる心配は?みんなで監視していかなければ…。遊水池の自然を愛する一町民。
   
H15.4.27  2月のシンポジウムでの布川さんらの歴史を今日に語り継ぐ力強いお話ありがとうございました。
しかし、その一ヶ月後、イラクの子供たちの上に爆弾の雨が降り注ぎ多くの命が失われました。
 そして、その一ヶ月後の今、私はこの地に立っています。…私は知的障害者の作業所職員をしています。…がんばり続けます。
さいたま市
小田
H15.4.28  GWの一日、妻と二人でこの地に来ました。以前から一度訪ねたい場所のひとつでした。草が一杯のこの風景…辛い過去がとけ込んで何とも言えぬ荒涼とした遊水池の姿に無言のまま歩いています。
東京中野より
H15.4.29  妻と二人で参りました。田中正造に関する具体的な資料等たいへん勉強になりました。人為的な公害がはびこる今日、大切にしたい。
結城市より
H15.5.3  学校の友達と一緒に来ました。
小宮山
橋本
H15.5.17  広大な地に感動すると共に皆様方の活動に感謝
   
H15.5.17  田中正造の墓参りの後ここに来ました。いろいろと考えさせられ日となりました。
小山市
岩木一彰
H15.5.23  吟遊会、俳句の会26名が参加して見学しました。
   
H15.5.23  昨年古河市博物館で谷中村の展示企画に参加しました。谷中村の復元的調査が必要です。キジを見ました。谷中村破壊から100年です。もう人間は手を付けないで下さい。
久野俊彦
H15.5.27  真岡の自然を守る会、自然の大切さを学ぶために32名で地元の会長の案内により旧谷中村の話を聞きながらオオヨシキリの鳴く中、植物、鳥、虫などの観察会が実施され、楽しい一日を過ごすことができました。本当にありがとうございます。
代表 塚越
H15.5.27  真岡の自然を守る会、豊かな自然を永久に保存して貰いたい。
飯田博
H15.5.30  学校の班別活動で来ました。こんなにお墓があってビックリです。
6班
H15.5.30  限りなき葦の原の旧谷中村 しきりに鳴ける よしきりせわし
MT
H15.5.30  墓地と聞いたので怖い所だと思ったが、とてもキレイな所でした。鐘の音色がとても美しかったです。
6年1組
高橋海姫
H15.5.30  人も文明もなにもかも消えてしまった。荒涼とした場所、とても寂しい所です。
加藤義仁
H15.6.7  東京から来ました。小学校で教員をしています。子供たちに足尾について調べさせているうちに、この谷中村の存在を知りました。
 確かに人が生きていたこと、生活していたことがまざまざと感じられました。どれだけ無念だったか、今は知ることは出来ませんが、このような悲劇は二度と繰り返してはいけないと思います。
井口
H15.6.8  人の歴史ある土地、今は人の癒しとして動植物を包む土地となった。季節は移ろう、少しずつでも平和な気持ちをもてる未来にしたい。
 風の中、犬がハァハァと気持ちよさそうに草の中を短い足で走る。追いつき追い越せちびっ子たち。
K.H
H15.6.10  最初、貯水池の中を歩いていた時、少々つまらなかった。退屈で早く帰りたくなった。一応ここを目指してきたが表示がなかったため無念な思いを残して帰るところでしたが、もっと先へ行ってみようと思ったらここに来ることが出来ました。昔も今も政府は、人間は、愚かなことばかりしていますね。いつも犠牲になるのは民衆です。教科書で田中正造さんの事は見聞しても実際にその場所を訪れないとやっぱり真実は迫ってきませんね。頑張って下さい。
M.J
H15.6.15  群馬県歴史博物館友の会、田中正造の苦労が偲ばれた。
   
H15.6.21  いっぱい桑の実を取った。四つ葉のクローバーも見つけた。鐘も鳴らした。いっぱい歩き楽しかった。
   
H15.6.21  東京新宿から婦民の旅行できました。歴史の流れに押し流されず自己を主張し、権力と闘った谷中村の皆さんのお顔が浮かんでくるようです。生命はひとつ、素晴らしい力を戴きました。
戸ケ里
H15.6.22  久しぶりに主人と犬の舞を連れて旧谷中村遺跡に来ました。延命院の鐘をたたきました。藤岡町の歴史を肌で感じました。田中正造翁の立派さ、又それを守り続けていって下さる方々、本当にありがとうございます。又近いうちに訪れたいと思います。
 ここに来ると鳥の鳴いている声、ウグイス、その他、カッコウ、藤岡の尾瀬です。桑の実は一寸遅かったような気がします。
美枝子
H15.7.2  今日は梅雨の中休みでカラッとした晴天、妻と出かけて来たが歴史の勉強が出来た。幾つになっても勉強は大切だと痛感した。又小鳥の鳴き声で心身共にリフレッシュができて最高の気分です。
加須市K.A
H15.7.11  緑がたくさんあって心がとても落ち着きます。こんな所が古河付近にあるなんて、とても良い所に私たちは住んでいるんだなあと思いました。
竹中郁恵
AIK.G
H15.7.20  大先輩がとても良い教訓を教えて下さっているのに現在に生かし切れなかった。私たちは深く反省します。
 これからの日本を担ってくれる子供に私たちも細かい事、どんな事にも反応して生きたいです。ありがとうございました。
奈良県奈良市
61歳の女性
H15.7.21  環境の原点を初めて訪ねました。深く歴史を振り返れる人は遠くの未来を思慮できる人。自分一人、考えよう。
59歳男性
H15.8.1  田中正造先生の思想と行動が見直され、私たちに貴重な遺産を思い知らされている今日この頃です。環境問題、公害問題等、益々世界的規模で拡大されています。実践の中でつかんでいった人権思想も宗教的な高さで示された事跡を思い致し見学させて頂きました。又谷中の人達は仮小屋の中からも自らの人権を主張して止まなかった魂の叫びを肌で感じました。
埼玉県加須市
関根武義
H15.8.1  谷中村の跡を見て、こんなに広かったんだなあと思いました。もともと谷中村の人々の村だったのに、こんな姿になってしまったのはとても残念です!
長谷川瑞紀
中1
H15.8.12  大学の講義で田中正造の事を学んだので来ました。今は穏やかなこの場所が、かって村を守るための争いがあったことを思うと感慨深く思えます。
山本優香
H15.8.19  針谷不二男さんと共にやってきた国際大学の下羽ゼミナールと鴇崎君です。ただいま回想中です。
伊澤麻里
H15.9.11  鬼怒川でのゼミ合宿の帰途立ち寄る。以前から一度は見なければならないと思っていたが、この広大さ、これと暴力的に強制収用した明治政府の強権行政を問う概要は寒村の谷中村滅亡史で読んだ学生には、旧谷中村遊水池が何処にあったのか知らない者がほとんどだった。公共事業の身勝手さをつくづく思う。がんばってPRも!
中大法学部
中西
H15.9.13  見渡す限り広がる野原を眺めて、とても気持ちの良い所だと思っていました。しかし、ここで昔あったことに思いを向けるとなんだか複雑な気持ちです。
狩野18歳
H15.9.14  権力は時として歴史をゆがめ、歪曲して人々に伝える。足尾の鉱毒がもたらした事実を、この荒れた谷中の跡地が物語るように、時代の隅に埋没させようとしている。自分たちの都合の良い事だけを報道を使って宣伝し綺麗ごとを並べている。
間々田
白瀬一夫
H15.9.23  今日はおじいちゃんが谷中村に江戸時代から残っているというお墓参りに行かないかと言われて来てみました。
 自分は初めて来ましたが、以前からじいさんの方はここで秋と春に来て尺八を吹いたりしているそうです。ここへ来ておじいちゃんに色々とお話を聞きました。都市の近くにこの様な場所があって驚きましたが、こういう所をもっと大切にしていきたいです。
北海道清里町
片橋悠太
H15.9.23  前から一度は訪ねたいという主人に誘われて来ました。丁度、3時30分。聞こえてくるのは虫の音、、遠くにヘリコプターの音など、静かです。ヨシの間を歩いてくる時、主人が「昔の人もこんなヨシの間を通って隣の家に行ったんだと思うよ。」と、電気もなくさぞかし暗かったでしょう。今日は彼岸の中日、墓参りをし、彼岸花を見ました。
   
H15.9.26  「田中正造の事跡、足尾の公害の跡を訪ねる」武蔵村山市、武蔵村山郷土の会 会長 細井五、 講師 成迫正則、29名
   
H15.10.6  田中正造の地を訪ね、感無量に思いました。秋風の快き季節でなんだか遠い昔に返ったような気がいたしました。
宇都宮市峰
田島ゆき子
H15.10.6  今ここに来て思った事はきれいな花が咲いていて、とてもいい所だと思いました。昔、ここには人が住んでいたなんてぜんぜんわかりませんでした。またきます。ぼくが20年後、一番にここに来て鐘をならすぞ!
北川辺町
西小学校
小林伸明
H15.10.8  オリエンテーリングでここまで来ました。また来て鐘を鳴らすぞ!すごい草むらだ。こんな所があると思わなかった。
宇都木菜美
川島佐恵
H15.10.8  私は遠足出来ました。田中さんという人はこんな近くにいたんだなあと思いました。同じ2中の石川安澄です。
   
H15.10.8  この土地には昔、村があったなんて実感がありませんでした。田中正造さんは、この村のために、すごい事をしたんだなあと思いました。また来たいです。
青木才子
H15.10.8  せっかく田中さんが守ってくれた村が今はこんなに何もなく少し悲しいです。この墓地は少しこわかったです。彼岸花が…。篠崎友香
 昔村だった所がこんなになくなってしまうのかなと思うと悲しいです。彼岸花が咲いていてきれいでした。少し怖かったですが、また機会があったら来たいと思います。… 勝優子
   
H15.10.11  遠い昔の村人と田中正造翁の苦難の道に思いをよせ、涙しました。
上尾市
竹下弘美
H15.10.12  山へハイキングの予定が、午前中雨のため行けなくなり、午後家を出発し、谷中湖一周ウォーキングの途中ここに立ち寄りました。
 足尾鉱毒事件、田中正造さんのことは小説で読んで知っていましたが、ここに来て本当にあったことなんだなあと歴史に触れた実感を持ちました。ここを愛して最後まで守るために頑張った人達がいたことに、改めて感動し少し勇気を貰った気がします。
春日部市
中山まり子
51才
H15.10.12  雷電神社跡に立ち思わず涙しました。谷中村の方々、公害は今も続いております。私たちは闘わなければなりません。
上福岡市
石川充子
H15.10.18  久しぶりに来ました。この前は春だったけど今度は秋ススキの下を歩くのも何かと不思議な気がします。
久子
H15.10.24  田中正造の学習で見学に来ました。実際の谷中村を見て子ども達の学習に役立てたいと思います。
 佐野市立出流原小学校 四年生
   
H15.1025  すばらしい見学をさせて頂きました。ありがとう。
乙女
田中道春
H15.10.25  公害に無知だった当時に命をはって人のために生きた田中正造の思いを更に強く心に刻んだ。
宇都宮市
鈴木秀男
H15.10.30  余計な言葉はいらない。ただ歩くだけで当時の谷中村を想像し心を打たれます。いつまでも谷中村跡が残りますように、そして現代人が忘れている何かを思い出させてくれますように。そしてまた自分も自ら谷中、田中正造に人間の何たるかを学びたいと思います。
   
H15.10.31  歴史の本で足尾銅山から谷中村を知っていた。サイクリングの途中、谷中村跡を見かけ明治の歴史に思いをはせた。
足立区
橋本静雄
H15.10.31  東京都中野区退職教職員の会16名で参りました。田中翁をはじめ旧谷中村の皆さんの無念を思うと涙を禁じ得ません。
   
H15.11.2  かって主人と一緒に来ました。その後、2か月後に主人が死亡。一人で来た。気持ちの上で何とも言いようのないほど心の変化に気が付いた。
R.I
H15.11.5  自然はあるけど、昔の建物などがほとんど無く、悲しいですね。
A.O
H15.11.14  ふたたびの谷中遺跡に来てみれば、鳥のさえずりと枯れススキかな
(ゆ)
H15.11.14  上里町 大森伊津子 友人に誘われて
 大森さんを案内して一緒に来ました。彼岸花の新緑の葉が元気、花の頃なら良かったです。
海老瀬
小森谷道子
H15.11.22  自閉症の孫と一緒に散歩
   
H15.11.24  大変ためになりました。官代 水と緑のネットワーク
   
H15.11.27  谷中村遺跡をもっと知りたい。田中正造翁を偲んで現社会を眺めてみたい。この跡地を大事にしたいです。
加須市
久保田幸一
H15.12.3  冬枯れの野にむき出しの残照は 故郷の義人姿そのまま
藤岡赤麻
高際広美
H15.12.6  谷中村あと地に初めて来ました。田中正造のことを勉強したいと思います。 野木小4年
鈴木雄大
H15.12.18  私たちは田中正造のことを調べていて、谷中村に来て教科書で知らなかったことをたくさん知ることができました。
 田中正造が人のためにつくしている姿がうかんできました。私たちも、人のためにつくせるような人になれるようがんばります。
尾久宮前小
6−1
磯田、宮川
竹内
H15.12.18  私たちは田中正造のことを勉強して、谷中村の豊かな自然を見ることができました。 尾久宮前小6-2
渡辺、飯島
島崎、久保埜
H15.12.18  私は大学4年、卒論で田中正造について書いています。ここにきて、もっといろいろ知りたくなりました。 北川辺町
M
H15.12.21  社会科の中学校教員の鈴木です。藤岡をまわり今日2回目で雷電神社跡地まで来ました。新たに田中正造先生のお気持ちを考え感動しています。大切にしていきたいものです。 埼玉県
石崎、鈴木
H15.12.23  久しぶりに彼と谷中村に来ました。サンタも一緒です。自然の中で彼の体が健康になりますようにお願いします。 O生