谷中村連絡ノートより
平成18年(2006)
 栃木県下都賀郡藤岡町・渡良瀬遊水池内の足尾鉱毒事件に巻き込まれて廃村となった谷中村遺跡を訪れた人達が、延命院墓地跡に設置の「連絡ノート」に記した熱き思いを転載してあります。
年月日記          事記入者
H18/11/14  埼玉県民の日を記念して来ました。旧谷中村をこのような形で未来に伝える運動のあることを知り驚いています。
  
H18/11/18  この一角だけが、谷中村の雰囲気を伝えてくれている気がします。是非とも保存すべきところです。
  
H18/11/18  ここに立つと時間が止まっているような気がします。子供達の未来はどうなるのでしょう。40才になり少しずつ自然の大切さがわかってきたような気がします。先人の苦難の道を話していこうと思います。
  
H18/11/18  庚申塔が立派ですね。
K.T
H18/11/18  じてんしゃできました。ながかったけどこわかった。まいごになりそうだったです。
いの
H18/11/25  (延命院跡にある)鐘がすごいと思いました。
さやか
H18/11/25  守る会 針谷会長ほか皆さんの自治に対する深く熱い想いを改めて想いました。 鐘打って 冬日の墓碑のかげ濃くす(捧げる拙句)
H18/11/25  りゅうがかねのあたまのぼうにあたってすごかったです。
ゆみこ
H18/11/26  京都からやってきました。日本の公害、反対闘争の原点といえる、また日本の民主主義闘いの原点ともいえるこの地をこの足で踏めることができたことをうれしく名誉にも思います。ここに身を置くと谷中村の人々や田中正造たちの怨念が伝わってくるようです。
 日本はこうした民衆の暮らしをつぶしてつぶして近代化を進めてきたんですね。考えてみるとその状況は現代でも変わらないではありませんか。民主憲法になっても利権と圧力とで国民生活がおびやかされ、こわされていますね。ダムの水底に沈む村、不要なムダ使いの空港建設、道路の立ち退き。
 この谷中村遺跡は、日本の民主主義の原点でもあるし、現在の日本の社会状況を写し出しているシンボルでもあるでしょう。「守る会」の方々の努力により、遺跡を見学することができました。次代にも引き渡し大いに発展されますように祈っております。
京都市伏見区 遠藤.T
H18/12/05  茅ヶ崎のピースカフェ・スタデックツアーとして来ました。いつの世も権力者の弱い者いじめは同じと実感。
九条の会 うさみ.K 外4名
H18/12/06  栃木県大田原市から来ました。「よし」の音と「鐘」の音が、時代の流れを感じさせます。ずっと保存してほしいです。   
H18/12/06  正造が生涯賭けし 大枯野
 大枯野 谷中女の十九夜塔
葦原を割って雉子翔の大枯野
 間をおきて蹤きえる雉子(きぎす)枯野道
 地元に住んでいても此の時期に来たのは初めてです。感慨ひとしおでした。
きみ子
H18/12/06  黄金色の地 谷中村   
H18/12/06  今日はロシアの研究者を連れてきました。 宇治市 室田
H18/12/17  この地がこのような形で残されたために、今日私達はここに来ることができました。この運動の意味を今の社会問題として問い続けていきたいと思います。
 WE21 ジャパン 有志参加者の一人 恭子
H18/12/17  知らないことがたくさんあるままで、大人の時間を過ごしてきたと、このごろ思うことの多いこと、多いこと。学ぶに遅すぎるということはない。知ったことを次に伝えていきます。 浪瀬.K
H18/12/17  保存活動に賛同いたします。頑張ってください。