1918 | (大正 7年) | 6月21日、栃木県佐野市富岡町19番地に、田村林次(雛人形鯉幟、羽子板製造・三代愛林斎観月)の二男として生まれる |
1941 | (昭和16年) | 3月、東京美術学校工芸科図案部を卒業、大阪府の私立南海商業学校のデザインの教師となる。 9月、仲程豊と結婚する。この頃しばしば堺の吉向窯を訪れ、作陶に興味を持ち始める |
1942 | (昭和17年) | 8月、宇都宮第36部隊に召集され兵役に服する |
1946 | (昭和21年) | 3月、京都の松風研究所に輸出陶器のデザイナーとして入所し、富本憲吉の薫陶を受ける |
1948 | (昭和23年) | 4月、故郷に帰り赤見窯の創業に参画する。 11月、第2回栃木県芸術祭の初めての工芸展に《鉄絵銅彩百日草文鉢》を出品、芸術祭賞を受賞。審査員の濱田庄司に認められる |
1949 | (昭和24年) | 4月、佐野市久保町に倒焔式の薪窯を築く |
1950 | (昭和25年) | 栃木県窯業指導所技官になる 生活工芸集団に参加、会員となる |
1951 | (昭和26年) | 3月、栃木県陶芸作家展に出品する |
1953 | (昭和28年) | 4月、25年に濱田庄司の推薦で技官となった栃木県窯業指導所を辞め、佐野に四袋の登り窯を築き、作家活動に入る |
1956 | (昭和31年) | 4月、日本橋高島屋で第1回個展を開催、以後同所で毎年開催する。 朝日新聞社主催「第5回現代日本陶芸展覧会」に初めて《藁灰釉芒文楕円皿》を出品、朝日新聞社賞並びに松坂屋賞を受賞、以後毎回出品する |
1957 | (昭和32年) | 前年度の実績で日本陶磁協会賞を受賞する |
1958 | (昭和33年) | 「第6回現代日本陶芸展覧会」に《鉄釉草文大皿》を出品、朝日新聞社賞並びに松坂屋賞を受賞する。 佐野市文化財保護審議委員会委員に推される |
1959 | (昭和34年) | 国立近代美術館主催「現代日本陶芸展」に《鉄釉楕円皿》を招待出品する |
1960 | (昭和35年) | 「第7回日本伝統工芸展」に応募出品した《草花文大皿》で奨励賞を受賞、以後毎回出品し受賞を重ねる |
1961 | (昭和36年) | 「新匠会展」に《緑釉梅文楕円皿》を出品、富本賞を受賞する 文化財保護委員会、東京近代美術館、京都近代美術館の買い上げ 「現代日本陶芸展」に招待出品、オーストラリア、ニュージーランド展に巡回する。 佐野宝龍寺和光殿にて横川信夫、藤松正憲、篠崎源三、湯本清八ら発起により個展を開催する |
1962 | (昭和37年) | 富本賞=文化財保護委員会買上 日本工芸会正会員となる。 9月、「第9回日本伝統工芸展」の監査委員に推され、以後、監査委員、審査員を務める。 日本橋高島屋にて、大樋年朗、松風栄一、清水洋、藤本能道との5人展(第3回展)を開く。 佐野市庁舎ホールの陶壁《伸びゆく佐野》を製作する |
1963 | (昭和38年) | 中日陶芸展等監査員 国立近代美術館京都分館(現・京都国立近代美術館)主催「現代日本の展望展」に《鉄釉蝋抜梅花文大皿》を招待出品する。 佐野商工会議所にて佐野市制20周年の個展を開催する |
1964 | (昭和39年) | 東京国立近代美術館・朝日新聞社共催「現代国際陶芸展」に《鉄釉梅文大皿》を招待出品する |
1965 | (昭和40年) | 栃木県文化財調査委員会委員に推され昭和42年までつとめる |
1966 | (昭和41年) | 日本工芸会理事に推される。 佐野宝龍寺和光殿にて個展を開催する |
1967 | (昭和42年) | トルコ「イスタンブール国際陶芸展」に《鉄釉菊花文深鉢》を出品、グランプリ金賞を受賞。東京・京都国立近代美術館買上。 東京芸術大学助教授に就任する |
1968 | (昭和43年) | 東京・京都国立近代美術館主催「現代陶芸の新世代展」に招待出品する。 5月、日本工芸会常任理事に推される。 通産省主催「国際芸術見本市アメリカ巡回展」に際し、2か月間オーガスタニア大学、メリークリフト大学、ヒューストン大学に派遣され、陶芸を指導する |
1970 | (昭和45年) | 京都国立近代美術館主催「現代の陶芸−ヨーロッパと日本−展」に招待出品する。 2月、宇都宮上野デパートにて個展を開催する。 11月、栃木県文化功労賞を受賞する。 |
1971 | (昭和46年) | 毎日新聞社主催「第1回日本陶芸展」に推薦招待され、以後出品を重ねる。 |
1972 | (昭和47年) | 日本工芸会陶芸部会長に推される。 栃木県文化協会理事に推される。 10月、宇都宮上野デパートにて個展を開催する。 |
1973 | (昭和48年) | 日本橋高島屋にて陶板展を開催する。 |
1974 | (昭和49年) | 銀座和光ギャラリーの「陶芸秀作展」に出品、以後毎年出品。 |
1975 | (昭和50年) | 日本陶磁協会賞金賞を受賞する。 栃木県文化協会常任理事に推される。 |
1976 | (昭和51年) | 佐野市文化会館研究協議会副会長に推される。 |
1977 | (昭和52年) | 4月、東京芸術大学教授に就任する。 |
1978 | (昭和53年) | 3月、銀座和光ギャラリーにて個展を開催する。 佐野市文化会館ホールの陶壁《翔鶴》を製作する。 佐野市政功労者の表彰を受ける。 |
1979 | (昭和54年) | 紺綬褒章を受章する。 佐野市文化協会顧問に推される。 銀座資生堂ギャラリーの「秀作工芸展」に出品、以後毎年出品する。 12月、日本橋三越にて染付展を開催する。 |
1980 | (昭和55年) | 日本工芸会副理事長に推される。 東京西武主催「やきものから造形へ展」に招待出品する。 12月、佐野藤野屋にて個展を開催する。 |
1981 | (昭和56年) | 3月、池袋西武にて個展を開催する。 4月、宇都宮西武にて個展を開催する。 |
1983 | (昭和58年) | インド・パキスタンにて陶磁器製作を視察する。 佐野市文化会館運営委員会委員長に推される。 11月、紫綬褒章を受章する。 |
1984 | (昭和59年) | 西独・ミュンヘンにて個展開催。西独巡回の「土と炎展」に出品。デュッセルドルフ陶磁会館、ミュンヘン美術館にて「日本のやきもの」の講演を行う。 |
1985 | (昭和60年) | 2月、佐野藤野屋にて個展を開催する。 日本橋高島屋にて個展を開催する。 |
1986 | (昭和61年) | 3月、重要無形文化財保持者〔人間国宝〕(鉄絵陶器)に認定。 4月、東京芸術大学名誉教授に推されるとともに同大客員教授に就任する。 佐野市名誉市民に推挙される。 宇都宮市庁舎ホールの陶壁《宇都宮の詩》を製作する。 |
1987 | (昭和62年) | 1月3日、死去。享年68才。同日、従四位勲三等瑞宝章。 |
1988 | (昭和63年) | 3月、佐野市文化会館にて「人間国宝田村耕一回顧展」を開催。 |