家庭 & 地域の崩壊
Kawakiyoは、この問題について専門的な説明ができないため、厚生白書で見つけた文章を掲載しますので参考にしていただきたいと思います。
■□■ 親はだめになったのか ■□■
「家族の危機と見えるものは実は都市の危機である。都市が身を引いてしまった役割を家族が自分だけで背負い込もうとするから家族は機能不全に陥るのだ」とフィリップ・アリエスは述べています。 「家族」という集団が独力で子供を育てたことなど、いつの時代にもなかったのです。子どもはいつも、近所のおばさんや親戚のおじさん、遊び仲間や学校など、さまざまなネットワークの中で成長してきました。 今、子育てがうまくいってないように見えるのは、子どもの成長にかかわるネットワークが変動しつつあり、その再編成がスムーズに運んでいないからです。
(落合恵美子『21世紀家族へ』より)
|
■□■ 家・学校・地域に居場所のない若者たち ■□■
地域社会が伝統的に担ってきた機能を主婦が一手に担うのは過剰負担のはずだが,こうした甘美な夢やロマンが、過剰負担の吸収装置や隠蔽装置になっていた。ところがロマンは70年代後半には風化し、『岸辺のアルバム』ブームが起こり、各種の家庭暴力殺人事件が頻発する。
家庭幻想が崩壊して内実が空洞化した家庭は、学校の機能をバックアップすることに活路を見出す。教育投資し、いい学校に入れてあげることは、誰にも否定できない良きことに見える。かくして家庭も、その集まりに過ぎなくなった地域も、学校の出店になった。
…昔は家・学校・地域にはそれぞれ別の評価の仕方があって、家では「おまえは家業をつぎゃあいいんだ」「土曜の夜は麻雀するのが我が家の掟だ」と勉強を邪魔する酔っぱらいの父親がいたし、近所には成績の良し悪しには関係のない名物のアンチャン・ネエチャンがいたものだ。
今では、…家や地域までもが「学校の出店」になって、学校の優等生・劣等生は、家や地域でも優等生・劣等生としてしか見てもらえない。そういう学校的な自己イメージから解放されようとすれば、家でも学校でも地域でもない「第四空間」=街に出て行くしかなくなってしまう。
(宮台真司『まぼろしの郊外 成熟社会を生きる若者たちの行方』より)
|
〔2000/12/19〕
|