沖縄・八重山の旅

 平成20年11月8日(月)〜11月11日(木)、2泊4日で沖縄・八重山地方を旅行した。4日間とも雲り空で時々雨が降り生憎の天候となってしまった。それでも時々は太陽が顔をのぞかせ、その時だけは沖縄独特の素晴らしい景色を堪能することができた。

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西表島上原港
<西表島上原港>
 石垣島から西表島へは、高速船を使い所要時間40分で到着。この日のこの時間は雨天で海が荒れており船底を打つ波の音が結構怖かった。
 このような日でも何時もと変わらないスピードで船を走らせているのだろう。予定の40分間丁度を要し上原港に到着した。
 海の中に電柱のような柱が航路の両際に一定の距離を置いて立てられているのが確認でき恐怖心を和らげた。

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水牛車で由布島へ
<水牛車で由布島へ>
 西表島から由布島までは浅い海中を観光水牛車で渡るのが一番だ。干潮の時はズボンをたくし上げて徒歩で渡れそうである。
 水牛車に乗ると年配の男性御者が三線を引きながら数曲歌ってくれた。その中に「涙そうそう」があったが独特の節回しで郷愁を感じさせてくれた。
 歌に聞き惚れて観光水牛車の写真を撮り忘れてしまったため、この写真は借りものである。(ちなみに当日は小雨が降っていた。)

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由布島での水牛車観光
<由布島での水牛車観光>
 由布島の一角を水牛車で案内してもらった。ここでは二十歳そこそこの美人御者が三線を引き「安里屋ユンタ」を歌ってくれた。
 歌詞の内容は、琉球王国時代の竹富島に実在した絶世の美女・安里屋クヤマと、王府より八重山に派遣され下級役人のやり取りを面白おかしく描いている。
 歌詞は23番まで続き、4番以降ではクヤマに振られた下級役人が別の娘を娶って郷里に戻る過程を描いているが、一般に歌われるのは6番までのことが多い。

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由布島亜熱帯植物園
<由布島の歴史@>
 由布島は西表島・与那良川から流れ出た砂の堆積でできた島です。砂州を方言で「ユブ」といい島名の由来になったと伝えられており、 周囲2.15q、12ヘクタール、海抜1.5メートルの島である。
 もともと無人の島であり、人が住み始めたのは竹富島・黒島の季節農家が西表島・与那良水田を耕作する際に、「マラリア」を防ぐため、蚊のいない由布島に仮住まいを建てて住んだのが始まりと伝えられている。

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由布島亜熱帯植物園
<由布島の歴史A>
 昭和20年の終戦後、昔から通っていた竹富島・黒島からの移住者が徐々に増え、由布島に定住して農業を営むようになった。
 定住者は増え続け、後に部落を形成するまでになり、更に「マラリア」の終息で新たにパイナップルやサトウキビな栽培などの産業も生まれ島は活気づいていった。
 経済的にも豊かになった島民は各世帯で水牛を持つようになり、農耕の側ら潮がない時は水牛車で西表島−由布島間を人や物資を運ぶようになった。

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由布島亜熱帯植物園に咲く花
<由布島の歴史B>
 昭和44年9月26日、繁栄期を迎えた由布島をエルシー台風(11号)による高潮で大きな被害を受け、この惨事によりほとんどの住民は台風の恐怖と将来への不安から島を出る決意をした。
 ほとんどの島民が昭和46年までに由布集落から対岸の美原集落へ移転し、23年の歴史に幕を閉じ由布部落は廃村となった。
 その後、僅かに戻ったが平成15年現在、由布島で生活しているのは17世帯、24人だけである。

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由布島マンタの碑
<由布島マンタの碑>
 植物園へ入り、奥へ進むと沖合2qに位置する小浜島をはじめ、嘉弥真島、石垣島、黒島、新城島を一望できる浜に辿り着く、そこに「マンタの碑」がある。小浜島との間にあるヨナラ水道はマンタの通り道となっており「マンタウェイ」とも呼ばれているとのこと。
 マンタの碑の直ぐ反対側に茶屋があり西表島産手作りアイスを売っている。私もアイス片手に海を眺めて味わったがクリーミーでとても美味しかった。

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先島蘇芳木(サキシマスオウノキ)
<西表島の先島蘇芳木(サキシマスオウノキ)>
 西表島で遊覧船に乗り「仲間川マングローブクルーズ」を体験した。写真の先島蘇芳木(サキシマスオウノキ)は、由布島入口と大原の中間、前良橋の大原寄りにありる。
 この木は国の天然記念物に指定され、現在は遊歩道が整備されて充分に保護されている。
 板状の根っこが特徴で、昔は沖縄の伝統的な船「サバニ」の舵としても用いられたようである。

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川平湾グラスボート
<川平湾グラスボート>
 石垣島の川平湾でグラスボートに乗った。湾と云っても大袈裟に言えば「猫の額」程度の面積である。しかし、その海面はエメラルドのように輝き、遠浅の海底は珊瑚がちりばめられており日本百景・国の名勝に指定されていることも頷ける。
 また、眼を凝らすと珊瑚の隙間に色とりどりの熱帯魚が泳いでおり、南国のムードを味わうことができる。まさに石垣島が誇る屈指の景勝地「川平湾」である。

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琉球八重山唐人墓
<琉球八重山唐人墓>
 川平湾を出て79号線を市街地方面へ進んで行くと、左側に極彩色の中国風建物が眼に入る。これが「琉球八重山唐人墓」である。
 歴史は遡り1852年2月のこと、中国人苦力400人余を乗せた船が台湾に向かう途中に石垣島崎枝沖で座礁し、内380人が地元民に助けられた。その後、米英の武装兵に襲われたりマラリアなどの病死が相次ぎ128人がこの地で果てた。この霊を合祀して哀悼の意を表し1970年に墓が建立された。

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ホテル日航八重山
<ホテル日航八重山>
 今回の宿泊は石垣市にある「ホテル日航八重山」を利用した。
 空港から車で約10分。八重山諸島を結ぶ離島ターミナルや繁華街へは車で約5分という位置にある。
 石垣市街の高台に位置するホテルからは南側に青い海と八重山の島々を遠望、北側は広大な大地と昔ながらの町並みが広がっている。
 ホテル近くの居酒屋で夕食に沖縄料理を食べた。その時飲んだ泡盛は口当たりがよく忘れられない味となった。