欧州・フランスの旅
2011(平成23)年5月31日(火)〜2011(平成23)年6月8日(水)、欧州(ドイツ・スイス・フランス)の3か国を回る旅行をした。3か国とも総じて美しく、それぞれが特徴のある風情を楽しませてくれた。このコーナーでは3か国のうち「フランス」を特集した。 |
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<ルーブル美術館>
世界を代表する美術館で展示スペースは全長20qに及び、1546年から1678年のフランス王家の美術品が中心である。展示品は2万6千点で全部を見るには数か月が必要と言われている。 美術館としての歴史は、1803年にナポレオンが遠征先から戦利品として持ち帰ったものを含めて美術館としてオープンさせた。 ルイ14世がヴェルサイユに拠点を移すまでは歴代のフランス王の宮殿だった。 |
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<凱旋門>
凱旋門はナポレオン1世がフランス軍の栄光を称賛するために、1806年に工事を着工し1836年に完成した。 ナポレオンは1840年にセント・ヘレナ島から遺骸となってパリに帰還し、その葬列が凱旋門をくぐっている。 私達は昼食にシャンゼリゼ通りのラジュレという店でサンドウィッチとマカロンを食べ、その足で凱旋門を見学した。中には入らず外観だけを一寸見ただけだ。 |
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<エッフェル塔>
エッフェル塔はパリ万博のモニュメントと、フランス革命100年を記念して建てられた。1909年、パリ市議会は取り壊しの決議をしたが、米国との交信が始まったのを契機に取り壊されず、その後ラジオ放送の送信アンテナとしての役割を受けて現在に至っている。 私が訪れた早朝のこの時間は小降りの雨で霧が出ており、エッフェル塔の頭が霧に隠れていた。これもまた風情があって良いものである。 |
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<セーヌ川クルーズ>
世界遺産パリのセーヌ川岸を眺められる「セーヌ川クルーズ」に出かけた。 アルマ橋から出発。 コンコルド広場、オルセー美術館、ルーブル美術館の脇を通りながら、シテ島へ。 ノートルダム寺院を横から後ろからと、さまざまな角度から楽しんだ。 サン・ルイ島を過ぎてからUターン。 エッフェル塔とシャイヨー宮を左右に眺め、自由の女神像を廻って再びアルマ橋に戻った。 |
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<コンコルド広場>
コンコルド広場は、アンジュ=ジャック・ガブリエルによって1755年に設計され、当初ルイ15世の騎馬像が設置されていたため「ルイ15世広場」と呼ばれていた。 その後、フランス革命により騎馬像は取り払われ、名前も「革命広場」に改められた。 フランス革命中には、ルイ16世やマリー・アントワネットの斬首が行われた刑場でもある。1795年、現在の「コンコルド広場」という名前で呼ばれ始めた。 |
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<ノートルダム寺院>
シテ島の南東にあり、1345年から200年かけて完成。ノートルダムとは「聖母マリア」のことであり、1804年、35歳のナポレオンが戴冠式をした場所でもある。 ゴシック建築の最高峰と称され、バラ窓のステンドグラスが美しい。 |
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<モンサンミッシェル>
708年、ノルマンディー大司教が3度に及ぶ大天使ミカエルのお告げ「この島の頂上に礼拝堂を作るべし」を受けて造られた修道院。 1870年に島をつなぐ道路が出来て、満潮時にも往来できるようになった。 フランスで最も美しい修道院とされ、毎年250万人の巡礼者や観光客が訪れる。 パリからTGV直通だと2時間で着けるらしいが、私達は観光バスだったので5時間を要した。 |
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<ヴェルサイユ宮殿>
1661年、ルイ14世がパリから宮廷を移すため、バロック様式でヴェルサイユ宮殿の工事に着手した。当時は木も水もない荒涼地で工事は難航し、宮殿全体が完成したのは1710年だった。 フランス貴族の贅沢な暮らしがフランス革命の引き金になったが、1789年の革命時までフランス政治の中心地であった。 日本では宝塚歌劇団が「ヴェルサイユのばら」を1974年に初演し、1,500回以上の公演で観客数400万人を超えた。 |