![]()

![]()
|
ホテル⇒星宮神社⇒朝日森天神社⇒厚生病院バス停バス(名水赤見線)〜赤見温泉バス停(下車)⇒出流原弁天池・磯山弁財天・福寿荘売店(いもフライ)⇒赤見温泉バス停バス(名水赤見線)〜田中正造生家西バス停⇒田中正造生家⇒人丸神社⇒田中正造生家東バス停バス(名水赤見線)〜佐野駅⇒野村屋本店(大根そば・耳うどん)⇒市内散策⇒佐野駅 |

![]()
|
今回の「さ〜のって号に乗って」は相模原市の仲間を迎えての番外編です。 前日の8日にはるばる相模原からやってきた7名の皆さんは、まず岩舟町の岩船山高勝寺へ。そして佐野市郷土博物館で田中正造について学んだ後、春日岡山惣宗寺(佐野厄除け大師)を訪れました。夜から私が居酒屋で合流して旧交を温め、翌日の9日は私の案内で佐野を案内しました。 時間的な制約がある中、できる限り佐野を堪能してもらおうと考えたのが今回のコースです。さ〜のって号の名水赤見線に乗って景勝地赤見温泉へ。その後もバスをうまく乗り継いで田中正造生家を経由して佐野駅に戻りました。今日は生憎の雨・・・天候はとても残念でしたが充実した1日だったと思います。なお、掲載している写真は下見を行った9月19日のものが多く含まれています。 |
![]()
|
|
|
|
|
朝8時 皆さんが宿泊したホテルを出発します。ホテルの目の前に「天祥山興福寺」がありましたので、予定外ですが寄ってみることにしました。“不許葷酒入山門”の戒壇石がありましたので禅宗のお寺ですね。本堂前に建立されている「万霊供養塔」がひと際目を引きます。墓石を組み合わせて作られていて、六地蔵や如意輪観音もパッチワークのように組み込まれています。そういえば亀井町にある通称赤門の徳運寺にも同じような万霊塔がありましたので、そういう加工を得意とする石工さんが佐野にいらっしゃるのかも知れません。 |
||
|
|
|
|
|
「星宮神社」にやってきました。写真の天気は晴れですが、実際の天気はどんよりとした曇り空で今にも雨が落ちてきそうです。佐野市有形文化財の青銅製の鳥居前で最初の記念撮影をしていると、宮司さんが出ていらして星宮神社のことや和算の額のことについてお話しして下さいました。いただいた“星宮神社略記”によると神社は久安年中(1145-1150)の草創で、かつて天明宿の氏神でしたが明治9年(1876)に合併した旧佐野町の氏神となりました。主祭神は天津日高彦々杵命(アマツヒタカヒコホノニニギノミコト)を祀り、現在の社殿は氏子及び近郷からの奉加金によって天和3年(1683)に建立されました。 鋳物の町佐野らしく燈籠も鉄製で、宮司さんのお話しではもっとすばらしいものがあったそうです。戦時中の国家総動員法に基づく金属類回収令により拠出されたため、残ったのはシンボルである鳥居とこの燈籠だけで、この燈籠も傷みが激しかったため拠出を逃れたということでした。戦後、かなり改修を加えて現在に至っています。拝殿に向かう石段の両側の手すりにはご覧のような鋳物製でしかも十二支のプレートがはめ込まれています。 栃木県には全国で最も多くの星宮神社が分布していて157社あるそうです。また、星宮神社の氏子は鰻を食べてはならないとする伝承や虚空蔵菩薩との結びつきがあるというのが栃木県下の星宮神社の特徴だそうで、ここ大蔵町の星宮神社も例外ではありません。 |
||
|
|
|
|
|
写真は拝殿と本殿です。本殿は覆殿で囲われていないため風雨にさらされ傷みが激しいのですが、すばらしい彫刻が施されていて、天明宿が栄えた様子をうかがい知ることができます。また、石仏好きの我々の興味をそそったのは2基の庚申塔。向かって左の青面金剛と三猿のものは寛永2年(1625)の建立とのこと。旧相模原市域で一番古い石仏は1650年代ですのでいかに古いかお分かりだと思います。それだけ佐野には歴史があり、石仏を建立する財力があったということですね。 最後に和算の額のことですが、天和3年(1683)に江戸の住人村山庄兵衛吉重が故郷の鎮守である星宮に奉納しました。日本最古の算額とされ国宝級ということでしたが、残念なことに昭和50年の火災で焼失してしまいました。現在は複製品が保存されています。帰り際に宮司さんから御供物の飴菓子をいただきました。本当にありがとうございました。 |
||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
星宮神社の裏手からすぐのところに鳥居が建っています。長い参道を北に進むとこんもりとした森がありますね。突きあたりが「朝日森天満宮」です。佐野のカルタに“梅の天神朝日森”とあるとおり、長い参道の両側には梅の木が並んでいます。ご祭神はもちろん学問の神さま菅原道真公で、創建年代は詳らかではありませんが、平安時代に藤原秀郷公の孫足利次郎太夫家綱が唐沢城中の天神沢に天満宮を勧請したのがはじまりで、その後、慶長7年(1602)に佐野信吉が春日岡へ城を移した際に、天満宮をここに遷座しました。ポツポツ雨が降ってきましたね。ここで2枚目の記念撮影です。 境内には佐野市史跡に指定されている「菅神廟碑(カンジンビョウノヒ)」があります。天明7年(1787)に建立されたもので、正面には“下毛野天明郷菅神廟碑”とあり、案内板によると今から約千二百年前の中国の大書家顔真郷の顔氏家廟碑拓本から集字されているとのことです。話は変わって、ここで気になったのは燈籠の台座に彫られている奉納者の名前です。“佐野町藝妓屋”とあります。昔は多くの商人が行き交い接待の機会も多く置屋さんも繁盛していたのでしょう。 雨の中を佐野厚生病院まで歩き、そこからさ〜のって号の名水赤見線に乗って赤見温泉へと向かいます。名水赤見線は基幹線と同じぐらいのバスでしたが利用者数の関係で秋山線と同じように大型のワンボックスカーに変わっていました。 |
||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
佐野市内をバスに揺られること30分。「赤見温泉バス停」で下車すると目の前が「出流原弁天池」で隣が「磯山弁財天」です。案内板によると弁天池は栃木県指定天然記念物で地下水が古生層石灰岩の亀裂から湧き出してできたもので日本の名水百選にも選ばれています。弁財天は藤原秀郷が勧請したといわれ、三層楼の舞台造りの弁天堂が祀られています。 |
||
|
|
|
|
|
弁天堂にあがりここで記念撮影をしました。その後は次のバスが来るまで「福寿荘売店」で雨宿りをし、佐野名物の「いもフライ」を皆で食べました。とても感じよいお店のお二人が親切にしてくださり、はるばる相模原からやってきた皆さんはとても満足していました。私はここの「いもフライ」が一番好きで揚げたてのカリッとした食感がたまりません。たぶんこれで5回目ですね。 店を出てからバスが出発するまでお見送りいただき、次の場所へと向かいます。 |
||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
「田中正造生家西バス停」で下車し、まずは正造のお墓参りからです。田中正造(1841-1943)は明治時代に起こった足尾鉱毒問題の解決のために尽力し、波瀾に富んだ生涯を送りました。隠居所・母屋・土蔵などのたてものが「田中正造旧宅」として保存されていて、栃木県の史跡に指定されています。小中農教倶楽部が管理しており、ボランティアの方が親切丁寧に説明して下さったので我々も正造について理解を深めることができました。母屋のザシキと隠居所前で記念撮影をし、雨の中を人丸神社へ向かいました。新聞記事は小中農教倶楽部が正造をしのんで菩提寺の浄蓮寺(写真右)で行われた法要の様子です。今年は正造の98回忌、妻カツ子の75回忌だそうで、法要には岡部市長も参列し小中念仏講の女性たちによって念仏踊りが奉納されました。 |
||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
歩いて5分ほどで「人丸神社」にやってきました。明日は例祭ということで氏子の皆さんが準備をしている最中にお邪魔しました。皆さんに親切に迎えていただき、さらに宮司さんから説明していただき感激です。しかし、バスの時間が迫っていたため、せっかくのお話しを最後まで聞くことができなかったのがとても残念です。宮司さん本当にありがとうございました。 創建は元慶元年(877)で石見国高角山より勧請したとあります。柿本人麻呂の詠歌は「しもつけの安蘇野の原のあさあけに、もやかけわたる、つづらくさかな」だそうです。神苑内の湧水池は佐野市の天然記念物に指定されており、ご覧のように拝殿天井には花鳥風月が鮮やかに描かれています。また、拝殿内に掛けられている額には「二十四考」が描かれています。これは中国において後世へのお手本として、特に孝行が優れた人物を二十四人選んで描いたものだそうです。 「やすらぎの湯バス停」から名水赤見線に乗り佐野駅まで行きます。これで3回目なので1日乗車券を買って得しましたね。 |
||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
最後に佐野の思い出として高砂町にある「野村屋本店」へ行き、お好みで耳うどんか大根そばを食べていただきました。「耳うどん」は耳の形に似ているため耳うどんの名前がつきました。葛生の常盤地区ではこれを年末にゆでて冷水に浸しておき、手をかけずに正月の来客に振る舞ったそうで、普通のうどんでは長時間水に浸して置けないため、この形が考案されたとか。また耳うどんは悪い神様の耳を意味し、その耳を食べてしまうことで家の話を悪い神様に聞かれることがないから、一年間悪いことが起こらない(庚申信仰と似た感覚ですね。)、近所の悪いうわさが耳に入らないためお付き合いが円満になるなどの伝承もあります。また、「大根そば」は主に佐野周辺で食べられ、ゆでた千切り大根をそばに交ぜるなど複数の食べ方があります。一説には食べ物が少なかった時代に少ないそばに、大根の千切りを添えて、ボリュームアップしたのが始まりとも言われています。 相変わらず雨が降り続けていたので、佐野市内巡りは足早に引上げ、皆さん「新井屋」の「味噌まんじゅう」を買って佐野駅へと向かいました。私は仕事の都合で相模原には戻らず、皆さんを駅でお見送りしてそのまま帰宅。久しぶりに気の合った方々と歩くことができ、楽しく過ごさせていただきました。感謝です。 |
||
|
Kazのお散歩日記♪ 佐野編「さ〜のって号に乗って」 |
||