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平成21年11月8日(日)飛駒線(寺沢入口〜新合支所〜金原)
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佐野駅バス(基幹線)〜田沼庁舎バス(飛駒線)〜寺沢入口バス停(下車)⇒神明社・長昌寺⇒根本山神社⇒宇都宮神社⇒安養寺⇒大松寺⇒正光寺⇒新合支所⇒閑馬千躰庚申山⇒出雲神社⇒示現神社⇒庚申山⇒金原バス停(乗車)バス(飛駒線)〜田沼駅前バス(基幹線)〜佐野駅 【徒歩距離約17q】 |

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「さ〜のって号に乗って」の第1回は「飛駒線」です。新生「佐野市」となる前の田沼町を走っています。『飛駒』という何だか格好の良い響きに魅かれて・・・選びました。明治22年(1889)の町村制施行で上彦間村が飛駒村になりました。ヒコは男子の美称で突き出た形を示し、マはやや広い地域を指します。地形からヒコマとなったようです。飛駒では紙漉きが古くから行われ「飛駒八寸」の名で障子紙として愛用されましたが、昭和43年、長い伝統に幕を閉じました。 今回は彦間川と閑馬(かんま)川に沿って、明治22年の村名でいうと飛駒村(旧上彦間村)→新合村(旧下彦間村、閑馬村)と辿ります。自然が豊かで庚申塔や十九夜塔を中心に石仏が豊富。中でも下彦間明神前バス停脇の巨大庚申塔は必見です。これには本当に驚きました。また、無数の庚申塔が集められている「閑馬千躰庚申山」。これもすごい。相模原市では体験できなかった面白さがここにあります。 お寺の見どころは「正光寺」、神社は「根本山神社」でしょうか。ここには佐野市指定の文化財があります。全体の距離は約17キロメートル。ゆるい下りと上りが続き、比較的歩きやすい道だと思います。なんとなく地元相模原の津久井と雰囲気が似ていて錯覚してしまいそうです。 |
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さ〜のって号 平成20年10月に開業した佐野市営のコミュニティバスで、現在7つの路線が走っています。小型のバスでカラーリングによってどの路線かわかるようになっています。本数が少なくて不便だと思うかもしれませんが、活用してみるととても便利!車を持たない私にとっては本当にありがたいバスです。1日乗車券は600円、アウトレットのある佐野新都市と葛生一番館を結ぶ基幹線と各路線の乗り継ぎも良く、佐野を歩いて楽しむ方にとって、なくてはならないものですね。 |
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佐野駅を朝7時38分発の基幹線で出発して田沼庁舎で「飛駒線」に乗り換えます。飛駒線に乗って景色を眺めながらゆられること40分で終点の「寺沢入口」に到着です。時刻は朝9時、秋のさわやかな空気がとても気持ち良く感じられます。 さぁ記念すべき佐野編さ〜のって号に乗っての第1回目のはじまりです。バスを降りて根小屋森林公園の方向に南下すると左手に石仏が5基並んでいました。右の2基は庚申塔ですが、3基の小さな石仏は読み取れませんでした。 |
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屋根に2の通気口のようなものがありますね。おそらくこのお家では養蚕をやっていたのでしょう。そういえば飛駒は養蚕も盛んだったそうです。畑の脇を抜けていくと正面に神社がみえてきました。「神明社」です。境内で興味深い道祖神を見つけることができました。文政12年(1829)に建立されたもので「道祖玉女神」と彫られています。はじめてみました・・・ちょっと感動ですね。師匠である某市博物館学芸員のK氏にお聞きしましたが、やはりはじめてとのこと。“玉”を“男”に置き換えれば“男女”だが・・・と。う〜んなるほど!何となく納得ですね。 隣のお寺は「長昌寺」といいます。曹洞宗のお寺で山号は「稲荷山」、入口と境内に多くの地蔵が建立されています。 |
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由来、創建年代はわからなかったのですが、そのうち調べてアップしたいと思います。右の写真は馬頭観音で、説明には嘉永5年(1852)願主上岡川講中が建立。戦争で馬が減少したため、この境内に移されたとあります。 |
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ほっとする風景を眺めながら「根古屋森林公園」近くにやってきました。根古谷(根小屋)という地名は一般的にお城(館)近くにある家臣たちが住んだ場所をいいます。公園の案内板に、古くは唐沢山城の出城が築かれていたとあります。公園の脇を奥へ進んで行くとここにも神社が・・・「根本山神社」の里宮です。本宮は飛駒の山岳地帯にあり、江戸時代から各地に講が作られ盛んに参拝されていたそうです。ここ里宮の社殿には水盤・大火鉢・茶釜が各1点あり、佐野市の有形文化財(工芸品)に指定されています。下段左の写真はそのうちの「水盤」です。天保6年(1835)に奉納されたもので、大きさはH92×W120×D83pあります。周囲に記された銘文から、当時の根本山信仰の布教状況等を知ることができる資料として貴重とのことです。 |
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毎日お世話になっているオロナイン軟膏(子供の頃から何でもオロナイン!万能薬だと思い込んでいます。)の懐かしい看板、飛駒小学校の前を通り、郵便局の先にある彦間川に架かる保良橋を渡ると診療所の裏手に・・・立派な地蔵尊ですね。ここには大光寺というお寺があったようです。地蔵は享保3年(1718)に建立されたものです。下段中央の写真は「屋敷林」でこれは冬の強い季節風への風除けとのこと。この地域では何らかの風除けのある家を見かけます。 |
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彦間川に沿って歩き塩田地区に入りました。灯籠には“塩田東村中”とあります。庚申塔には“百庚申”と刻まれ、天明3年(1783)に建立されたものです。百とか千とか数字の入った庚申塔は佐野に来てはじめてみました。百庚申の百は百基ではなく、たくさんあるのと同じ効果を求めたものなのでしょう。下段左の像は「自力更生」と刻されたもので、日露戦没三十周年記念で建てられたようです。そして、下段中央の写真はブルーベリー畑です。ブルーベリーはツツジ科の植物で、佐野市には観光摘み取り園があります。収穫時期は6月中旬から8月下旬までだそうです。 前方に「スナックするすみ」という看板がみえます。飛駒には名馬池月(いけづき)・磨墨(するすみ)の伝説があります。無数の野生の馬が生息していたといわれ、治承年間(1177-81)源頼朝が挙兵するに当たり、ここから軍馬を集めたとのこと。野生の馬が飛ぶよう走るので飛駒、磨墨がしずかになり捕えられたところがこの先の閑馬と呼ばれるようになったそうです。このスナックは名馬に因んで名を付けたのでしょう。 |
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蔵のある風景はいいですね。旧飛駒村から新合村に入る手前、中木戸にある十九夜塔です。建立年代は読み取れませんが、となりに元文2年(1737)の地蔵と天明2年(1782)の庚申塔がありました。おそらく18世紀後半に建立されたものでしょう。下段左は飛駒村と新合村の境界標石で“栃木縣安蘇郡 南 新合村 北
飛駒村 境界標”と刻まれています。そして2基の十九夜塔は小野久保というところにあるもので、左は宝暦12年(1762)、右は年代不詳です。他に庚申塔や地蔵が数基並んでいます。なお、十九夜信仰については後ほど触れたいと思います。 |
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宮前に入ると左手に立派な社叢林があり、そこには「宇都宮神社」が鎮座しています。宇都宮大明神といえば二荒山神社です。これは珍しい鳥居ですね。四脚の稚児柱のある両部鳥居で笠木は瓦葺になっています。旧社格は下彦間村の村社で寿永3年(1184)創建と伝えられています。神楽殿もある立派な神社です。拝殿は時の流れでくすんでしまっていますが、朱塗りのさぞ美しい建物だったことでしょう。覆殿の中には本殿があり、見事な彫刻で飾られています。 |
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下彦間明神前バス停の横に・・・。おおっ(@_@)オドロキ!この巨大な庚申塔は何。高さは約3mもあってバスの待合場よりも大きいのです。万延元年(1860)まさに庚申の年に建立されたものです。この巨大な庚申塔を見てわかるように、この地域は庚申講が盛んです。庚申講は中国の道教の教えに由来していて、生まれたときから人の体内にはいる三尸の虫(さんしのむし)が、60日目ごとにまわってくる庚申の夜、寝ている間に抜け出して天に昇ってその人の罪過を天帝に報告にいくというもの。報告を受けた天帝は人を早死にさせてしまうということで、庚申の夜は眠らずに過ごすようになり、地域で講が結ばれ庚申塔が建てられるようになりました。 |
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こちらは「安養寺」です。真言宗のお寺で現在は廃寺となっていますが、入口に石仏が並んでいます。一番左は十九夜塔ですね。寛政10年(1798)のものです。今日4基目ですがこの如意輪観音は六臂ですね。プチ感動です。庚申塔と並んで多く見かけるのがこの十九夜塔で、栃木県は十九夜信仰が盛んな地域です。十九夜は満月と十五夜と半月の二十三夜の中日で、十九夜の月を信仰するのは十九歳が女性の厄年だからとする説、観音様の縁日である十八日の翌日だからとする説が有力だそうです。「十九夜講」は女性だけの講中で、主尊は如意輪観音。安産を願う風習があり、妊婦の家に集まり念仏を唱えた地域も。また、灯明を灯した蝋燭を持ち帰り、陣痛がおきた時にこの蝋燭に火を灯すと、その火が消えるまでに出産できるという俗信があり、蝋燭は短いほどよいとされました。右の写真は本堂跡にある石造の宝篋印塔です。享保元年(1716)の建立で、高さは3m弱あり、佐野市の指定有形文化財になっています。 |
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この地域では庚申信仰に次いで盛んだったのが地蔵信仰だそうで、立派な地蔵尊を多く見かけることができます。これは安養寺の参道、享保10年(1725)に建立されたものです。“三界万霊”とありますので、人々が供養しやすいこの場所に建てられたのでしょう。中央の写真は道標で、足利街道入口にあり、“右 足利方面 左 田沼方面”と刻まれています。お漬物で有名な遠藤食品の前を通りました。直売所があったので立ち寄って試食したら・・・美味しい!荷物になると思ってもつい買ってしまいました。(夜のお酒のお供ですね。) |
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新道橋を渡ると下彦間小学校近くに大松自治会館があり、ここにも庚申塔が数基並んでいました。三猿と青面金剛像の庚申塔は元文4年(1740)ですので、あのバス停脇の巨大庚申塔の120年前の“庚申の年”に建立されたものです。そして小学校の裏手にある「大松寺」にやってきました。ここは臨済宗円覚寺派のお寺ですが、開山開基の年代などはわかりませんでした。時刻はちょうど12時となりましたので、本堂の前に腰かけて昼食をとりました。 |
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上宿バス停の近くにも庚申塔が数基並んでいます。三猿と青面金剛のものが3基、あとは文字塔です。「十庚申」と「千庚申」がありますね。謙虚なのか効率的すぎるのかよくわかりませんが面白い組み合わせです。写真下段左から寛政12年(1800)、寛政元年(1789)、天保年間(1830-43)に建立されたものです。 |
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本所入口バス停の手前を左を右に曲がります。ここには「光明真言供養塔」がありますね。宝暦7年(1757)に建立されたもので、だいぶ傷んでいますが、23文字の梵字が刻まれていて「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどまじんばら はらばりたや うん」と読みます。隣はまた変わった庚申塔ですね。「七千庚申」とありますが、これもありなんでしょうね。 彦間川を渡って本所地区に入ると辻に庚申塔が・・・一つは「百庚申」です。西に進むと右手に正光寺が見えてきました。 |
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地蔵三兄弟が出迎えてくれる「大塚山正光寺」は真言宗大日派のお寺で佐野板東巡礼二十四番札所になっています。宝形造の観音堂の屋根は特徴的で銅板吹きの屋根の上に瓦葺の小さな屋根があり鯱鉾が飾られています(上段中央)。佐野板東巡礼三十三箇所札所は元禄11年(1698)、坂東三十三箇所観音霊場に倣って作られたそうです。 境内右手奥には第28代佐野家当主「佐野宗綱」のお墓があり、左手の庫裏の前には佐野市指定有形文化財の「石造層塔光明真言供養塔」です。案内板によると上段正面に「奉読誦光明真言八百万偏 元禄7年(1694)戌八月吉日」とあり、千人以上の建立者名が刻まれています。また、塔身の下段には大日如来が安置されています。 |
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旧下彦間村から旧閑馬村に入る手前に「水神」が祀られています。天保元年(1830)の“庚寅”とありますので十干十二支でいうとちょうど三順前の建立になります。このように稲わらが干されている景色を久しぶりに見たような気がしますね。なんだか懐かしい気持ちにさせてくれます。新合支所の前から折り返すように閑馬川に沿って旧閑馬村を北上します。 |
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左手に小高い山が見えてきました。千躰庚申塔入口とあるのは「閑馬庚申山庚申塔群」です。『新合村郷土誌』によると「天保8年(1837)、閑馬村名主栗原平三郎が遠原の地主18名と諮って、出井から水を引いて新田420アール余を開いた。天保10年(1839)その竣工を記念して、新田が一望できる保呂羽神社の境内に庚申堂を建てた。地主をはじめたくさんの人が石に庚申の文字を刻んで納め、千庚申となった。」そうです。田沼町史には総数1244基と記載されているとおり、表口から頂上に向かいましたが参道の両側に無数の庚申塔が置かれています。 下段は左から「青面金剛童子の庚申文字塔」「ショケラを手にした青面金剛像庚申塔」「庚申文字塔」で山頂にある数多くの庚申塔から特徴のある3基をピックアップしています。私は“青面金剛童子”と刻されたものは初めてみました。ショケラ(女人)を手に吊るした青面金剛像はときどき出会いますが比較的珍しいものです。このほかに写真はうまく撮れませんでしたが青面金剛像を線彫りにしたものもあり驚きの連続でした。3基とも建立年銘がありすべて天保10年と刻されています。 |
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閑馬小学校の手前を右に曲がると「八幡神社」の篇額がかかった鳥居があります。しかしその先にあったのはなんと「出雲神社」でした。どういうことなのでしょうか。道を間違えたみたいです。八幡神社はまたの機会に訪ねてみたいと思います。 |
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黒い板塀の立派な家の前を通って閑馬小学校のところまで戻ります。閑馬小学校は明治6年(1873)の創立で師道館という名称で高林寺本堂を使用していたそうで、現在地には明治44年(1911)に移っています。天保5年(1834)に建立された庚申塔の前を通り、金原方向に進みます。 |
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個人のお宅の前にある祠は八坂神社でここにも青面金剛の庚申塔があります。閑馬川に架かる橋の先は・・・いかにも神社といった感じの小さな森ですね。 |
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やはりここが閑馬の総鎮守「示現神社」でした。ご祭神は衣通姫命(ソトオリヒメノミコト)で゙弘安2年(1279)創建です。示現とは神仏が霊験を示し現すこと。仏・菩薩が衆生を救うために種々の姿に身を変えてこの世に出現することとありますので、霊験あらたかな感じがしますね。入口の鳥居近くにあるのは道祖神で「衟祖神」と刻されています。 |
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境内にあがると拝殿は美しい朱色です。奥の本殿もご覧のとおりで細かい彫刻で飾られています。「猿田彦太神」とあるのは庚申塔に一つで年代は不詳ですが立派なものです。 |
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栗木内というところまできました。ここは「栗木内庚申塔群」です。田沼町史によると総数は160基で安永5年(1776)のものが一番古く天明・寛政・文化・天保・明治に渡っているそうです。それにしても閑馬は庚申塔の宝庫ですね。どうしてこんな驚異的な信仰を集めたのでしょうか。そのうち調べてみたいと思います。右の写真は「軍馬之霊」で昭和12年(1937)北支戦線に徴用された軍馬を慰霊したものです。 |
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赤い屋根の祠は「三本木地蔵菩薩」と書かれています。地蔵は年代不詳ですが、右隣の享和元年(1801)の十九夜塔は?・・・主尊が如意輪観音像なので十九夜塔だと思い込んでいました。台座をよく見ると“廿二夜”と刻されています。二十二夜塔ですね。(@_@)??どういうことなのでしょうか。(後からわかったことですが、足利から西、太田や桐生では如意輪観音像は二十二夜塔が主流でその地域的分布の境が足利ということでした。)左の馬頭観音は明和4年(1767)に建立されたものです。閑馬川の川幅が狭くなってきましたね。もうすぐゴールのようです。 バスが来るまで少し時間があったのでさらに先まで少し歩いてみましたが記録はここまでです。金原バス停から15時4分発の飛駒線に乗って田沼駅前で基幹線に乗り換えて佐野駅まで戻りました。なかなかの手応え。他の路線も楽しめることでしょう。 独自に企画し調べながら歩く「Kazのお散歩日記♪」は、新天地で再スタートを切りました。しばらくは単独で歩くことになりそうですが・・・・佐野にいられる限り頑張って歩きます。 |
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Kazのお散歩日記♪ 佐野編「さ〜のって号に乗って」 |
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