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佐野駅バス(基幹線)〜田沼庁舎バス(野上線)〜蓬山ログビレッジバス停(下車)⇒作原の宇都宮神社⇒真如院⇒栃久保庚申塔群⇒野上岩嶽神社⇒万樹寺⇒宝蔵院観音堂⇒白岩の宇都宮神社⇒岩嶽神社⇒崇禅寺⇒大鳥籠守神社⇒慈眼寺⇒御神楽の宇都宮神社⇒船越の岡薬師堂⇒三駒神社⇒洞雲寺⇒長慶寺⇒蓮乗院⇒梶内バス停(乗車)バス(野上線)〜田沼駅前バス(基幹線)〜佐野駅 【徒歩距離約17q】 |

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「さ〜のって号に乗って」の第2回は「野上線」です。第1回の飛駒線と同じ新生「佐野市」となる前の田沼町を走っています。明治22年(1889)の町村制施行で長谷場村、御神楽村、白岩村、作原村は「野上村」となりましたが、野上という名は昔からこの地方を野上郷と呼んでいたことから名付けたようです。また、戸室村、岩崎村、船越村は「三好村」となりましたが、こちらは三つの村が合併したので三村が仲良くという意味が込められたそうです。その後両村は昭和29年(1954)に田沼町と合併しました。 今回は日本列島中心の地、蓬山城跡の東にある蓬山(よもぎやま)ログビレッジをスタートし、旗川に沿って、明治22年の村名でいうと作原→白岩→長谷場→御神楽→船越と辿ります。岩崎と戸室は次の機会ですね。飛駒と同様、豊かな自然に恵まれ、作原の岩嶽神社のスギと船越の洞雲寺のツバキ(佐野市天然記念物)、同じく船越の薬師堂のヒイラギ(栃木県天然記念物)は立派です。また、こちらも庚申塔や十九夜塔を中心に石仏が豊富で、庚申塔は小規模ですが複数の庚申塔群があります。個人的には、柚の木バス停近くにあった「二十三夜と千手観音の複合塔」がお気に入りで、同じ石に勢至菩薩と千手観音の像容が彫られた興味深い石仏です。 お寺の見どころは「洞雲寺」ですね。立派なツバキ、石仏も多く青面金剛像の庚申塔は庚申塔のお手本のような代物です。そして神社は作原・白岩・御神楽の3つの「宇都宮神社」でしょうか。どれも拝殿や本堂が特徴的だと思います。全体の距離は今回も約17キロメートル。時間的にこの位の距離が限界かも知れませんね。基本的には下りですが、お寺や神社は見晴らしの良い高い所にありますので、アップダウンは相応にあります。 |
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さ〜のって号A 今回乗車した野上線の車両はバスというよりも大型のワンボックスカーみたいです。自家用バス感覚でアットホームな雰囲気はグッドですね。野上線は田沼庁舎周辺以外は自由乗降区間になっていますので、常連は運転手さんが乗降場所を覚えていて自宅前に横付けも可能です。今回も1日乗車券(600円)で利用します。 |
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佐野駅を朝7時38分発の基幹線で出発して田沼庁舎で「野上線」に乗り換えます。田沼庁舎から30分弱で終点の「蓬山ログビレッジ」に到着です。時刻は朝8時半過ぎ、12月になりましたので少し肌寒いですね。 「蓬山ログビレッジ」には“日本列島中心の地”の石碑がありますので、何だか気分がいいですね。「足利佐野めんめん街道」という幟が立っていますが、栃木県では地域のおいしい「食」をテーマに、地域の景観や歴史・文化などを結びつけ「食の回廊」として全国に発信する取組みが進められています。この地域は古くから麦類の生産が盛んで、良質な小麦の産地を形成しているほか、佐野市は県内有数のそばの生産地であり、これらを活用した製粉業や製麺業、農村レストラン、麺類の販売店などが発展してきた地域であることから、これらを地域資源として全国に発信すべく様々な活動を展開されています。(下野新聞記事より) 私も「足利佐野めんめん街道ガイドブック」を購入し、参考にさせていただいています。 |
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なかなか形の良い石積みですね。かつてここには立派な館が建っていたのでしょうか。その先に今日最初の石仏を見つけました。「十九夜念仏塔」の文字塔の他に庚申塔などが数基あります。ここ作原地区のサクとは狭い、ハラと合わせて狭小な平地を指しているそうです。 |
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作原の「宇都宮神社」です。旧作原村の村社で建武2年(1335)の創建と伝わっています。石造りの明神鳥居の先にある古めかしい拝殿の屋根には金の鯱鉾が・・・・。その奥の覆殿の中には美しい彫刻で飾られた本殿が鎮座しています。 |
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旗川に架かる橋を渡って「真如院」に向かいました。真言宗豊山派のお寺で由来等は今後調べたいと思います。境内にある「宝篋印塔」は寛保元年(1741)に建立されたものですが相輪の部分が欠落していて残念です。また如意輪観音像が浮彫りされている「十九夜塔」は文化年間(1811-1817)、如意輪観音像の「十九夜塔」は寛延2年(1749)、頭部が欠落した如意輪観音像の「十九夜塔」は寛政7年(1795)、そして地蔵立像は宝暦12年(1762)に建立されたものです。作原地区内にあった石仏がここに集められたようです。このように石仏から十九夜信仰が盛んであった様子を窺い知ることができます。 |
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「かわせみ」という名のそば店の前を過ぎ小学校らしい建物の前へ。「野上第二尋常小学校」の石標があります。明治42年(1909)創立の元田沼町立作原小学校で、昭和59年(1984)に長谷場小学校と統合して野上小学校となり、75年の歴史に幕を閉じました。現在は野外活動施設になっています。新道と旧道に分かれる辻に火の見櫓があり、大小の庚申塔が5基並んでいます。左の大きな庚申塔は安永7年(1778)建立で“近澤庭場”と刻されています。 栃久保バス停近くにあるのが「栃久保庚申塔群」です。ここには190基の庚申塔があるとのこと。最も古い庚申塔は元文2年(1737)のものだそうですが、大正9年(1920)、昭和55年(1980)の何れも“庚申”の年に建立された新しいものもあり、今でも庚申信仰が行われていることが分かります。 |
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小日向バス停近くにある「岩嶽神社」です。杉の巨木に圧倒されます。佐野市の天然記念物に指定されていて、樹高は30メートルで樹齢は600年とのこと。明治の末までは境内に30数本の大木がありましたがこの木を残して他は伐採されてしまいました。旧田沼町内現存する最大級のスギです。ご祭神は市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)で、戦前は豊凶を占う歩射神事が行われ、7歳の男子が弓を引き矢が当たった場所でその年の天候と作物の吉凶を占ったそうです。板張りの拝殿は質素ですが趣きがあり、奥の本殿も装飾が控えめです。 |
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「道禄神」を見つけました。道祖神と同じ神さまで、本州中部に多く分布しているとのこと。村と村の境に建立されるのが一般的ですので、おそらくここが旧作原村と旧白岩村の境でしょう。隣は馬頭観音です。「たいこ橋」を渡ると右山の斜面にお寺が見えてきました。「医王山万樹寺」は真言宗豊山派のお寺で現在は無住となっています。境内入口に地蔵2基と十九夜塔が地域を見守るように建立されています。 ここで、地元の方にお話を聞くことができました。鋭い鎌を手にされていたので尋ねてみると、たまにイノシシに出会うから護身のためだと。山に入るときは注意が必要ですね。景色はご覧のとおりで、昔は今のように杉の木立がなく、周囲の村々までここから見渡せたそうです。インパール作戦に「白虎部隊隊」の一員として参戦され九死に一生を得たというご老人で、この村から出征した方々の多くは戦死されたということでした。自分も供養のためにこの寺に何かを残したいという言葉と深く刻まれた顔の奥にあるやさしい眼差しが印象的でした。 できるだけ昔の道を歩くようにしていますが、それには訳があります。道路の拡張等に伴って石仏の多くは寺や神社の境内に集められていますが、本来は下段右の写真(十九夜塔)のように路傍に建てられていました。 |
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「白岩」という地名は石灰岩の層が露出して白く見えることから名付けられたとのこと。その名の通り路面も白っぽくなってきましたね。旗川に架かる越沢橋を渡るとまず右手に5基の石仏があります。右から庚申塔、馬頭尊、庚申塔、普門品供養塔、庚申塔です。右の一番大きな庚申塔は寛政12年(1800)“庚申”の建立で梵字はタラーク(虚空蔵菩薩)でいいのかな。 赤いお堂は佐野板東三十三箇所二十七番札所の「宝蔵院観音堂」で、ここにも多数の石仏が並んでいます。数では馬頭観音(文字塔)が多く、他に巡礼供養塔、光明真言供養塔、庚申塔などがあります。写真下段中央の青面金剛像の庚申塔は目立つ存在で高さは180センチあります。右の十九夜塔は寛政10年(1798)建立で像容が美しく彫りもしっかりしています。 |
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白岩の中心地、野上支所の先に鎮座するのが「宇都宮神社」です。旧社格は村社で、天文元年(1532)創建と伝わっています。狛犬、灯籠の先にある拝殿は黒と赤がうまく配色されており、天井も鳥と花の絵で飾られています。その奥の覆殿の下には彫刻で飾られた本殿があります。ここでは明治初期から昭和の初期まで例大祭で神楽が奉納されていたそうです。写真の石仏は「聖徳太子塔」で、太子が多くの寺院を建立したことから、芸能・技芸・木工職人らの信仰を集めています。 |
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野上診療所の先を右に入ると民家の裏山に「稲村観音堂」があります。一説によると昔ある仏師が鎌倉の稲村ケ崎から来て、7年の歳月を費やして観音像三十三体を彫ったと伝えられていて、建立は鰐口から享保2年(1717)頃とのこと。石段脇に十九夜塔がありますね。ここも庚申山で「稲村観音堂庚申塔群」と呼ばれ56基の庚申塔があるそうです。 |
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旧白岩村から旧長谷場村に入りました。飛駒地区と同じように冬の強い季節風対策として「屋敷林」のある家があります。柚ノ木バス停近くの旗川で野生の猿をみかけました。猿にも注意が必要のようです。お寺に向かう参道には三体ずつ一対で六地蔵となる2石六地蔵があり、左右に庚申塔が並んでいます。 |
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「崇禅寺」は臨済宗建長寺派のお寺ですが、今は無住のようで本堂に上がる石段は崩れかけていて、石段左右の石仏も枯れ草の中に埋もれています。何とか上って草を踏み分けながら行くと観音堂の脇に朽ちかけた建物が・・・。中をのぞくと立派な「地蔵尊半跏像」ではないですか。銅製で元文3年(1738)に建立されたものです。放置されたままであるのがとても残念ですね。 |
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そしてこちらが本日一番のお気に入りの「二十三夜と千手観音の複合塔」です。柚ノ木の旗川の土手近くにあるのをたまたま見つけることができました(^v^)。安政元年(1858)に建立されたもので、二十三夜には本尊の勢至菩薩像、千手観音には千手観音像が彫られています。阿弥陀三尊の脇侍は勢至菩薩と観音菩薩ですのでこの組合せも有りかなと思うのですが、なぜ千手観音なのか気にかかるところです(?_?)。 |
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野上小学校の前を通り、野州南山焼き蓬莱窯から旧道に入ります。左手に見えてきたのが「大鳥籠守神社」で旧社格は長谷場村の村社、ご祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)、底筒之男命(ソコツツノオノミコト)。創建は佐野一族の近藤左衛門尉頼茂、大宰大弐景頼の兄弟が祀られた建武元年(1334)と伝わっています。また、長谷場地区では明治に入って地芝居が盛んになり、戦後も拝殿左手の舞殿で上演されたそうです。時刻は12時30分、ここで昼食の休憩をとりました。 |
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旗川を挟んで東西を行き来します。ここは「湖水山慈眼寺」という真言宗豊山派のお寺です。多くの石仏がありますが刺のある草が多く足もとも悪いので近づけませんでした。昭和7年(1932)建立という新しい十九夜塔もあります。右の宝篋印塔は文政9年(1826)建立で、相輪の部分は欠落していますが高さは3メートルもある立派なものです。宝篋印塔とは密教系の石塔で五輪塔とともに石塔の中では最も普遍的な存在です。 |
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再び旗川に戻り、蓬莱荘ゆうあいホーム前を川沿いに進みます。途中ゲートボール場があり宝篋印塔が建てられています。何かの目印だろうと地図をみると、ここが旧長谷場村と旧御神楽村の境のようです。その先に御神楽農村公園(トイレあり)、近くには田沼出身の画家、安藤勇寿の「少年の日」美術館があります。 |
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公園近くの斜面に建つのが「宇都宮神社」です。ご祭神は大己貴命(オオナムチノミコト)で、長元6年(1028)再建と伝えられています。石積みの上に石段があり、木製と石造りの2つの明神鳥居、舞台造りの社殿は古い建物ですが見ごたえ十分ですね。 御神楽という地名のカグラは神社に奉納される神楽ではなく、断崖という意味だそうです。ここ宇都宮神社周辺を含めいくつかの崖があって、その崖の岩に神がやどるものとして上に御(ミ)が付けられたと考えられています。 |
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旧御神楽村から旧船越村に入りました。ここからは明治22年(1889)の町村制施行後の村名では野上村から三好村となります。ゴルフ場近くの斜面の手前にあるのが「船越の岡薬師堂」です。ここには医王山東光寺というお寺がありましたが、現在は廃寺となりました。大きな「ヒイラギ」の木は栃木県の天然記念物に指定され、樹齢は300年近くになるそうです。また、お堂に安置されている「木造薬師如来坐像」も栃木県の文化財に指定されています。境内には庚申塔など数基の石仏があり、写真の2基の十九夜塔は、左の文字塔が文化年間(1804-18)、中央の如意輪観音像は延享3年(1746)に建立されました。写真右の青面金剛像の庚申塔は延宝6年(1678)建立ですので、庚申塔としては古い時代のものです。 |
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旗川沿いを進むと「万葉の里」という名の新しい住宅地があり、住宅地を見下ろすように鎮座するのが「三騎神社」です。ご祭神は天児屋命(アメノコヤネノミコト)、旧社格は旧船越村の村社で天正18年(1590)に再建されました。入母屋造りで切妻破風のある拝殿は堂々として立派なものです。また、切妻屋根平入りの本殿は一方の屋根が長く伸びた流造りといわれる形式で、四面が彫刻で飾られています。境内の奥に石仏が並んでいて、「二荒山」と「高尾山」と刻された碑が左右に配置されています。 |
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ダッシュ村にでてくるような里山の風景の中に佇む「洞雲寺」にやってきました。曹洞宗のお寺で境内入口にある「ツバキ」の巨木は佐野市の天然記念物に指定されており、樹高は12メートル、推定樹齢は350年とのことです。境内には庚申塔をはじめ地蔵、十九夜塔が並んでいますが、その中で強烈に印象に残ったのが青面金剛像と三猿の庚申塔です。元禄15年(1702)建立の比較的古い時代のもので、像容がしっかりしていますね。踏みつけられる邪鬼、簡素にデザインされた三猿も特徴的です。石仏は新しいものよりもやや古いほうがしっかりとした石を使用しているため、風雨にも耐え300年以上経った現在も劣化していません。反対に流行によって石仏が多く建立されるようになると石も彫りやすく大量生産できるものとなり、劣化が激しくまったく読み取れないものも少なくありません。 下段の写真、3基並んでいるのは馬頭観音ですが中央は“生馬大神”とあります。これもこれもはじめてですね。馬に関係の深い職業、荷駄を運ぶ馬子などの集団や個人が馬の健康祈願、死後の供養のために建てられました。古い時代の馬頭観音は像容の彫ったものが多いのですが、その後文字塔に代わり、さらに明治に入ってから生馬大神といった新しいタイプが建てられるようになったようです。この石仏も明治30年(1897)のものです。変わっているという意味では下段右のお地蔵さんだと思います。2人の子供がお地蔵さんに救いを求めている像で、安政4年(1857)に建立されました。 |
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旗川に架かる小さな橋を渡り旧船越村の西側にきました。旗川は村の境ではなく村の中心を流れていたということですね。山を背景にして「長慶寺」があります。曹洞宗のお寺で今は無住のようです。山の斜面に変わった石仏を見つけました。13体の仏さまが彫られていて「十三仏」といい、十三仏とは死者の追善供養のために営まれる十三仏事に配当された仏・菩薩です。 また、境内には石仏が集められており、地蔵のほか五輪塔などがあります。写真中央は正徳元年(1711)、右は元禄14年(1701)の青面金剛と三猿の庚申塔です。何れも古い時代のものですが劣化が激しく残念です。 |
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本日最後に寄ったのは「蓮乗院」です。真言宗豊山派のお寺で由来等は調べられませんでした。墓地の入り口にはある青面金剛の庚申塔は享保6年(1721)もので、写真では分かりにくいと思いますが三猿に特徴があります。また、地蔵立像は年代不詳ですがこのように光背のあるものは珍しいですね。このまま歩き続けても良いのですが、ちょうど田沼方面に向かう飛駒線のバスがきました。梶内バス停から乗車し田沼駅前で基幹線(栃本経由)に乗り換えて佐野駅まで戻りました。次回は秋山線にチャレンジします。 |
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Kazのお散歩日記♪ 佐野編「さ〜のって号に乗って」 |
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