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佐野駅バス(基幹線)〜市営バス車庫前バス(秋山線)〜木浦原バス停(下車)⇒玉雲寺・鹿島神社⇒氷室山神社⇒普門寺⇒あきやま学寮・古代生活体験村⇒東渓院⇒鹿島神社⇒菜蟲館⇒慶蔵院⇒富俵山神社⇒城龍院⇒東宮神社⇒総持院⇒常盤神社⇒白瀧不動⇒不動館前バス停(乗車)バス(秋山線)〜葛の里壱番館バス(基幹線)〜佐野駅 【徒歩距離約16q】 |

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「さ〜のって号に乗って」の第3回は「秋山線」です。2日連続の無謀なチャレンジとなりました。秋山線は新生「佐野市」となる前の葛生(くずう)町を走っています。明治22年(1889)の町村制施行で柿平村、水木村、秋山村が合併して「氷室村」へ。また、豊代村、牧村、仙波村が「常盤村」となりました。その後葛生村、中村、会沢村、山菅坪が合併してできた「葛生町(第一次)」と両村が合併して昭和30年(1955)に葛生町が誕生しました。葛生の地名の由来は「葛や藤など蔓を利用して紐のようになる植物」が生える様子から起こったという説があります。 今回は「あきやま学寮」よりもさらに奥、木浦原のバス停をスタートし、秋山川に沿って明治22年の村名でいうと秋山→水木→柿平→牧と辿ります。豊代と仙波、葛生の中心地は次の機会です。葛生といえば石灰、鉱山近くは道路も家も白一色になってしまうほど「石灰の町」としての印象が強かったのですが、秋山川の上流は飛駒や野上と同じような景色が続きます。また、「鉢の木物語」などの有名な民話や「耳うどん」などの興味深い郷土食もあり、民俗学的にはかなり楽しめそうです。 最後に寄った旧牧村には、栃木県指定無形民俗文化財の「牧歌舞伎」があります。江戸時代に牧村へ巡業で訪れた歌舞伎役者の関三十郎によって伝えられたといわれています。「佐野市葛生伝承館」に行くとDVDで記録映画を見ることができます。 |
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さ〜のって号B 今回乗車した秋山線の車両は小型のマイクロバスでしたね。あきやま学寮から先、木浦原まではデマンド区間といって出発の30分前までに営業所に連絡する必要があります。基幹線から乗り換えるときは運転手さんにお願いすると無線で連絡してくれます。また、市街地を抜けると自由乗降区間ですので乗り降りが便利です。 |
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佐野駅7時38分発の基幹線に乗って今回は葛生駅近くの市営バス車庫前で「秋山線」に乗り換えます。緑と赤のラインが入った秋山線に乗って約35分で終点の「木浦原バス停」に到着します。バス停の前には御殿のような大きな家があり、石積みや門構えはお城のようです。佐野編さ〜のって号に乗っての第3回目は旧秋山村からはじまりです。紅葉の落ち葉が彩りを重ねる秋山川の渓流を眺めながらの楽しいお散歩!スタートです。 バスに同乗されていたハイカーの方のお話では木浦原はザゼンソウで有名だとか。木浦原の「ザゼンソウ」は栃木県の南限と見られていて、3月上旬、葉に先立って暗紫色の仏炎ほうが顔を出すとのことです。(佐野市観光協会HPより) |
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バス停よりやや奥に行くと「玉雲寺」があります。曹洞宗のお寺で山号は竜峯山、創立は天正13年(1575)です。入口に明治13年(1880)に建立された比較的新しい十九夜塔があります。隣の神社は「鹿島神社」のようですが定かではありません。一対の灯籠には文化12年(1815)と刻されていますので、それより古い創建であることは間違いないのですが・・・。 |
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再度バス停の前をとおり秋山学寮の方向に下っていきます。5分ほど歩くと左側の斜面に石仏が集められていました。庚申塔が2基に馬頭観音と十九夜塔です。馬頭観音はこれまでほとんどが文字塔でしたが、観音像でしかも3面六臂の像が彫られています。飛駒・野上・秋山ときて馬を大切にしてきた地域だけあって馬頭観音を多く見かけましたが、このタイプはこれがはじめてです。十九夜塔は延享4年(1747)建立でやさしく微笑んでいるお顔がいいですね。キャンプ場の前を通過しました。 |
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キャンプ場の先のカーブのところには馬頭観音が並んでいます。近づいてみると1基は「勝善神」とありますね。これもはじめてみました(^u^)。毎回初物に出会えて楽しい徒歩旅行です。これは“しょうぜんじん”と読みます。どうしてこの名が付いたのか某市博物館の師匠にお尋ねしました。勝善神とは蒼前神という馬の神さまで、北関東から東北地方で多くみられるものだそうです。真新しい木製の砂防ダムを見上げながら秋山の中心地に入って行きます。 |
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秋山の中心地に入りました。ここは「氷室山神社」です。旧社格は秋山村の村社でご祭神は建御名方命(タケミナカタノミコト)、ご存じ諏訪大社の神さまですね。至徳元年(1384)に信州から勧請されたとあります。明治の終りの神社合祀政策で七日山、八坂、鹿島神社を合祀していますので、木浦原にあった鹿島神社はこの時に幕を閉じたようです。石仏は「聖徳太子塔」でこの地区の職人さんの集団が建立されたのでしょう。聖徳太子孝養像と呼ばれるポピュラーな像です。 |
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神社の隣にあるのが「大慈山普門寺」です。曹洞宗のお寺で天正4年(1576)創立とあります。本堂の屋根裏にはスズメバチの巣が2つ。ハチはいないようです。十九夜塔は苔の化粧が濃くて勢至菩薩は年代と像容は不明、隣の庚申塔は寛政12年(1800)“庚申”の年に建立されたもので“庚申塚”とあります。 |
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六角形の建物は「あきやま学寮」です。ここには昭和55年(1980)まで葛生町立秋山小学校がありましたが、水木小学校と統合して現在は佐野市立氷室小学校になっています。私が卒業した小学校は幸いなことに現在もそのまま残っていますが、時代の要請とはいえ小学校がなくなるということは自分の思い出が消えてしまうような気がして残念です。形式は変わってしまいましたが、学び舎が宿泊・研修施設として残せたことはすばらしいことですね。古代生活体験村が併設されていて楽しめそうです。 |
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秋山川が大きくカーブする立場バス停近くに庚申山があり、像容のしっかり庚申塔が並んでいます。寛政12年(1800)“庚申”の年に建立されたものが多いようです。特徴的なものを選んでみました。三猿があり邪気を踏みつける青面金剛(左)、ショケラを手にした青面金剛(中)、そして主尊が閻魔大王(右)のものです。 |
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旧秋山村の3つ目の寺院ですね。「秀峯山東渓院」という曹洞宗のお寺で天正3年(1575)に創立されました。石段の左右に十九夜塔、地蔵、馬頭観音が並んでいます。道路改修等の際に行き場を失ったためここに集められたのでしょう。飛駒・野上と同じように山一つ越えた秋山でも十九夜信仰が盛んだったようです。 五丈の滝入口の先、東渓院から5〜6分のところに石宮の道祖神がありました。おそらくここが旧秋山村と旧水木村の境ではないでしょうか。それにしても今日は天気が良く澄み切った空気が心地よいですね。 |
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氷室郵便局の先を旧道に入ると左手に「鹿島神社」があります。旧社格は水木村の村社でご祭神は鹿島さまの武甕雷命(タケミカヅチノミコト)です。拝殿は本来は赤ですが白い石灰に覆われたためピンク色に見えます。「白っぽさ」は葛生の特色ともいえるもので神社の裏手が鉱山であり大きな庚申塔もご覧のとおりです。この庚申塔も寛政12年(1800)の“庚申”の年に建立されたもので、この道を上がっていくと仙波の大釜につながっています。 |
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荒削りの山を左右に見上げながら見ながら15分ほど歩くと氷室小学校があり、近くに新しい地蔵堂があります。説明書きに「十六夜日限地蔵尊」とあり、日限地蔵(ヒギリジゾウ)は「日を限って祈願すると願いが叶えられる」といわれるお地蔵さんで十六夜(いざよいの月)に念仏を唱えたのでしょう。地蔵は明和6年(1769)に建立されたとあります。ここから先が旧柿平村となります。 |
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佐野市の施設「菜蟲館(サイチュウカン)」です。変わった名前ですが、これは国の重要文化財に指定された伊藤若冲の《菜蟲譜》から付けられたのでしょう。期間が限定されているようですが佐野市立吉澤美術館で見ることができます。菜蟲館では野菜などの農産物、加工品や特産品などを販売していて地粉を使った「そば」を食べられます。歯ごたえがよく美味しいそばでした。直売所で「柚の甘露煮」を買ったのですがヨーグルトとベストマッチ。サイコーでした。 そして冬の風物詩ともいえる景色がこのダイコン干しです。さぞかし美味しいたくあんができることでしょう。 |
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菜蟲館から5〜6分のところにある「医王山慶蔵院」は真言宗のお寺で元禄元年(1688)に創立されました。境内入口に小祠があり、中に安置されているのは僧侶の像で密教法具である三鈷を手にしていますね。創立者の祐賢法師でしょうか?また、隣の十九夜塔は元文5年(1740)に建立されたものです。 |
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秋山川を挟んで反対側にある「富俵山神社」です。旧社格は柿平村の村社で明治時代の神社合祀により鹿島神社、湯谷温泉神社、八坂神社が合併して富俵山神社となりました。ご祭神は日光二荒山神社と同じ大己貴命(オオナムチノミコト)と田心姫命(タゴリヒメノミコト)ですので、富俵山と書いて「ふたらさん」と読ませるのでしょう。 |
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再度秋山川を渡って県道沿いに戻ると立派な蔵とコンビニ日吉屋があり、その先に馬頭観音が建立されています。ここから旧牧村となり、あわせて明治22年の町村制施行後の氷室村から常盤村となります。なお、常盤村の名称は豊代村の“と”、牧村の“き”、仙波村の“は”を組み合わせたものだと伝えられています。 |
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旧道にそれると道端に地蔵のほか計4基の石仏が並んでいます。「城龍院」というお寺があったようですが、次に行く総持院満福寺と合併し現在はこの不動尊があるのみです。イチョウの黄色いじゅうたんが印象的でした。 |
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こちらは「東宮神社」です。ご祭神は諏訪神、建御名方命(タケミナカタノミコト)ということで諏訪八幡宮と称した時代もあったそうです。文治元年(1185)の創建で当時は東宮大明神と称し、その後度々のご遷宮を経て現在の東宮神社となりました。入口の2メートル近い庚申塔は寛政12年(1800)に建立されたもの。もう気付かれたと思いますが寛政12年が多いですね。今から210年前の“庚申”の年にこの地域の村々では競うように庚申塔を建立したようです。このように石仏から当時の村の様子を想像するのも民俗学の楽しみ方の一つです。ここもイチョウの絨毯がステキでした。 |
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短い距離のなかに寺社が続きます。真言宗智山派「寶龍山総持院満福寺」は紅葉の美しいお寺で、色とりどりの落ち葉の中に建つ十九夜塔の文字が映えます。そのほかに地蔵、馬頭観音、庚申塔が並んでいます。寺院近くに実る柚の黄色も青空をバックに輝いていますね。 |
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これは「軍馬之霊」です。近くにもう1基あります。“昭和十二年八月日支事変・・・”と刻まれていますので、軍馬として牧村から徴用された馬の慰霊碑だと思います。旧牧村は秋山川に沿って豊かな田畑地帯が続きます。子育観音堂のある辻には地蔵と十九夜さまが並んでいます。なかなかいい景色ですね。心が穏やかになります。 |
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「常盤神社」は貞治2年(1363)に佐野茂綱が筑紫の大宰府安楽寺から奉遷したとこのこと。当時は菅原神社と称し、天神山の中腹にあったそうですが正保年間(1644-1647)に現在に遷りました。旧社格は常盤村の村社で、明治時代の神社合祀により地名の常盤神社に改称しています。 常盤地区にはこのような伝承が残っています。源義経の母、「常盤御前」のお話です。義経は幼い頃「大釜」に住んでいて、義経が病気になった際、常盤御前が牧のお不動さんに病気の回復を祈ったところすっかりよくなり、お礼に茶釜をおいていかれたとのこと。常盤の地名は常盤御前によって付けられたともいわれています。 |
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最後に寄ったのは「宝国山天松院秀林寺」です。永享2年(1430)の創建で地元では「白滝不動」で親しまれています。不動岳の斜面にあるサンモリッツCCに向かう途中にあります。ここで有名なのが栃木県の無形民俗文化財に指定されている「牧歌舞伎」です。牧歌舞伎は神社の祭礼や不動尊の縁日で演じられ、伝承では天保年間(1830-44)に江戸歌舞伎役者の関三十郎が興行のため当地を訪れた際、地元の若衆に教えたのがはじまりとされています。舞台背景の襖には文久3年(1863)の記年が残されています。後継者不足等で昭和46年(1971)の不動尊境内での上演(この時の記録映画を佐野市立葛生伝承館で見ることができます。)を最後に途絶えましたが、昭和56年に保存会が結成されて復活。平成3年に常設の舞台(写真下段左)が建設されて、2年に1回公演が行われています。 とりあえず今日はここまで。「不動館前バス停」から秋山線のバスに乗りました。次回は仙波会沢線です。 |
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Kazのお散歩日記♪ 佐野編「さ〜のって号に乗って」 |
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