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平成21年12月23日(水)仙波会沢線・基幹線(会沢小室〜佐野市民病院)
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佐野駅バス(基幹線)〜市営バス車庫前バス(仙波会沢線)〜会沢小室バス停(下車)⇒宇津野洞窟・宇津野山観音堂⇒会沢神社⇒蓮乗院⇒葛生原人出土跡⇒正明寺⇒阿蘇沢神社⇒御榊山神社⇒丸嶽山神社⇒宝蔵院⇒慈雲寺⇒玉林寺⇒賀茂別雷神社(多田)⇒賀茂別雷神社(山越)⇒佐野市民病院バス停(乗車) |

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「さ〜のって号に乗って」の第5回は「仙波会沢線・基幹線」です。新生「佐野市」となる前の葛生(くずう)町を走る路線のですが、今回は「会沢小室」ルートです。明治22年(1889)の町村制施行前の会沢村をスタートし葛生町(第一次)、山菅へ。ここから旧田沼町に入り、多田、山越と歩きます。会沢村はもと都賀群小曽戸村と小室村でしたが明治9年に会沢村となったそうです。両村の境に沢があって合わさったから会沢なのかな。筆者の勝手な推測ですのであしからず。 前半は第4回に続いて鉱都葛生の面影をたずねながら歩きます。下野新聞の「県南・両毛ワイド版(21.11.19)」に葛生の貨物線跡の記事が掲載されていました。“昭和の記憶”とありますがまさにそのとおりです。まず会沢の村樫石灰から鍾乳洞「宇津野洞窟」へ。鍾乳石が本当に如意輪観音に見えるんです。自然のなせる技ってすごいですね。町の中心地は足早に通り過ぎ、教科書にも掲載された「葛生原人の出土跡」へ。原人の存在は否定されましたが古代ロマンを求めて夏は「原人まつり」でにぎわいます。こちらも「県南・両毛ワイド版(22.3.11)」に記事が掲載されましたが地域や人づくりに一役をかっていることは間違いないでしょう。 後半は旧田沼町に入り、栃木県の天然記念物の大ケヤキのある丸岳山神社へ。ここでのサプライズは“熊が出没”の看板。イノシシやサルに注意しなければと思っていましたが、まさか熊までとは・・・・。人里を離れて変なところに入らないようにしないと・・・。そして立派な賀茂別雷神社へ。距離を置かずに同じ神社が2つあるのはなぜ?と疑問をいだきながら歩いてみました。 今回から歩く範囲は基幹線に入りました。徐々に旧佐野市域に近づいていきます。歩く地域も格段に広がりますので、行き当たりばったりではなく事前によくルートを調べておかないといけませんね。 |
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今回も乗り継ぎの関係で佐野駅から葛生駅までは東武佐野線に乗ってきました。葛生駅前の広大な敷地はここに多くの貨物線が敷設されていたからなのですね。駅近くの「市営バス車庫前」から朝9時30分発の「仙波会沢線」に乗り、約10分で終点の「会沢小室」バス停に到着です。朝から快晴で気持ちの良いフィールドワークができそうです。佐野編さ〜のって号に乗っての第5回目は、安政元年(1854)創業の村樫石灰工業の会沢鉱山からはじまります。 |
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歩きだして15分ほどで、宇津野洞窟の看板が見えてきました。明治20年(1887)建立の十九夜塔があり、その後方に「宇津野山観音堂」があります。佐野坂東三十三ヶ所の三十二番札所で、元は勝道上人開基と伝わる宇津野山光照寺というお寺があったようです。鍾乳洞は観音堂の裏山の中にあります。 |
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斜面を上り「宇津野洞窟」に入ります。入口の案内板には『標高は約165m、葛生一帯は約2億5千万年前に形成されたと思われる石灰岩ドロマイトを主とした地層が延長30q、直径8q南西に開いた馬蹄形をなして分布。宇津野洞窟はその石目や断層面に沿って形成された石灰洞』とあります。誰もいないとチョット不気味ですが照明が付いていますので頭上に注意して歩けば大丈夫です。面白いのが下段左の写真で“如意輪観音像”とあります。たしかに・・・みえますね。自然の力ってすばらしい。 |
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「旧葛生町立会沢小学校」近くの石仏群です。地蔵、馬頭観音、普門品塔、庚申塔、十九夜塔が並んでいます。中央の新しい十九夜塔は大正7年(1918)、右の古いほうは寛政4年(1792)のものです。会沢小学校は平成16年に葛生小学校と統合し廃校になり、現在は佐野市会沢地区コミュニティーセンターになっています。校舎や校庭、遊具、トイレ、体育用具棟などがそのまま残っていて子供たちの元気な声が聞こえてきそうです。校庭の片隅には卒業生が寄贈した“なかよく”と題された像が立てられていました。どこかで見たような・・・飛駒にあった“自力更生”の像に感じが似ています。作者が同じかもしれませんね。 |
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国道293号線に出てから葛生方面に向かうと左手の森の手前に神社の鳥居が見えてきました。「会沢神社」の旧社格は会沢村の村社で、ご祭神は表筒男命(ウワツツノオノミコト)と底筒男命(ソコツツノオノミコト)です。創建年代は不詳ですが明治の終りの神社合祀政策によって、大海神社と会沢全体にあった神社が合祀されて会沢神社となりました。拝殿の奥に鎮座する本殿は薄いピンク色ですが、葛生特有の白っぽさによるものではなく、はじめからこの色だったように思われます。 |
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森川酒店から旧道に入ると左手に墓地があり、その先に赤い山門が見えてきます。「不動山金剛密寺蓮乗院」は真言宗豊山派のお寺で神護景雲元年(767)、日光山を開山した勝道上人創建とのことです。写真上段右の総ケヤキ造りの不動堂は江戸時代の建立で貴重な建物だそうです。建物はご覧のとおり薄いピンク色に見えます。赤の美しい山門も何年かすると同じ色になってしまうかなと思いつつ墓地のほうへ目を向けると地蔵、光明真言供養塔、庚申塔、二十三夜塔が並んでいました。 |
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住友大阪セメントの工場の前を過ぎ、葛生の市街地に入る手前で例の貨物線の軌道跡を見つけました。中心地はまたの機会にゆっくりということで、足早に通り抜けて山菅方向へと進み、秋山川に架かる天神橋を渡ります。 |
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天神橋を渡ったところ、右の斜面に「葛生原人出土跡」があります。葛生原人は幻となってしまいましたが、古代ロマンを求める夢は引き継がれてほしいと思います。出土跡近くに建つ風情のある建物は柔道家清水耕作氏が開いた「安蘇澤道場」です。何だか映画やドラマに出てきそうな感じのする道場です。 |
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そのまま坂を上っていくと小さなお寺がありました。佐野板東第29番札所の「船澤山正明寺」です。境内の隅に明和3年(1766)建立の六十六部供養塔のはか3基の石仏が並んでいます。ここから山越えで多田方面に抜けられると思い上って行きましたが、その先の採掘場のところで関係者以外立ち入り禁止とのこと。その代わり地図上になかった神社を見つけました。「安蘇沢神社」の創建年代等は不詳ですが藤原秀郷公が霊夢によって武運長久、領土安穏のために勧請したと由緒沿革にあります。残念ですがここで引き返して国道まで戻り、佐野線の線路を跨いで多田に入ります。ここからは旧田沼町となります。 |
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多田にある「御榊山(ミサカキヤマ)神社」の旧社格は村社で通称明神さまと呼ばれ、延長6年(928)に勧請されたとあります。山に向かって直線の参道に建つ四脚の稚児柱のある両部鳥居は、飛駒にあった宇都宮神社と同じタイプで笠木は瓦葺になっています。石段を上っていくと境内は思ったよりも広く、拝殿の裏手にある本殿は鮮やかな色彩で彫刻が施されています。神楽殿は今、廃墟となってしまいましたが、昔はここで芝居が行われていたのかもしれませんね。 |
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丸岳方向に北上する道はほとんど直線で、左右に田畑が広がっています。これが『熊が出没』の看板です。・・・熊には遭いたくないですね。途中、右手に地蔵が2基と馬頭観音が4基並んでいました。馬頭観音のうち1基は馬の像を頭上にいただくもので文化8年(1811)建立されました。また、一番左の地蔵は寛延3年(1750)に建立されたものです。丸岳の集落に入ると観音堂のような建物があり、丸嶽山神社はさらに先のようです。 |
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「丸嶽山神社」のご祭神は大山祇命(オオヤマツミノカミノミコト)で、通称山の神さまとして親しまれ、永享6年(1434)に勧請されたとあります。入母屋造りの社殿の奥に本殿があるようです。大きなケヤキの木は栃木県の天然記念物に指定されていて、樹高は33mあり推定樹齢は700年以上とのことです。幹に円形状のこぶが数多く盛り上げっていることから“こぶケヤキ”と呼ばれています。 集落をぐるっと周るように宝蔵院へと向かいます。立派なお地蔵さんですね。享保3年(1718)に建立されたものです。隣は十九夜塔[宝永5年(1708)]と観音さまが浮彫りされている秩父板東四国百番供養塔[安政4年(1857)]です。廻国巡礼供養塔は文字塔が多いのですが、このように観音の像容が彫られているものは珍しいんじゃないかと思います。 |
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2枚目の『熊が出没』の看板です。この石段を上ったところに「金剛山城部寺宝蔵院」があります。真言宗豊山派のお寺ですが創建年代等はわかりませんでした。立派な十九夜塔は明和4年(1767)に建立されたものです。 |
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丸岳までを往復し多田駅近くまで戻ってきました。「慈雲寺」は曹洞宗のお寺ですがこちらも詳細は不明です。近くの民家の庭先にある庚申塔は元禄7年(1694)とありますのでかなり古いものですね。 |
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多田駅近くの「賀茂別雷神社(カモワケイカズチジンジャ)」です。旧社格は村社で由緒書によると天智天皇の時代(669)に山城国上賀茂に鎮座する賀茂別雷神社の分祀として菊沢山の中腹に社を建てたとあります。明治43年(1910)に本殿を現在地に移転し、拝殿と弊殿を新築して遷宮したとのことです。境内社には産泰神社・織姫神社・八坂神社・太守神社が祀られています。石垣がとても立派でお城のようです。眺めの良さもご覧の通りです。2基の石仏は左が延宝8年(1680)の青面金剛と三猿の庚申塔。右の十九夜塔はちょっと赤っぽい石が印象的です。 |
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佐野線の踏切を渡って「玉林寺」にやってきました。曹洞宗のお寺で立派な山門をくぐったところに宝篋印塔があり、安永3年(1774)に建立されたもので高さは3m弱あります。左手の六角形の建物は地蔵堂です。ここに祀られているお地蔵さまは宝暦4年(1754)に建立されたもので“いぼ地蔵”として親しまれています。時刻は15時を回り陽がだいぶ傾いてきましたね。 |
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多田駅前を通り国道沿いを歩いて行くともう一つの賀茂別雷神社があります。電車から見ているとこんな近くに同じ名前の神社があるのか、どちらも立派だしと思っていたのですが、多田駅から先は地名が多田から山越になるんですね。こちらは旧山越村の村社だった「賀茂別雷神社」なのです。由緒書によると大同2年(807)山城国上賀茂神社から現在地より奥にある菊水山に御分霊を勧請したとあります。(勧請された年代は異なりますが、多田と同じような由緒書ですね。)現在地に遷座したのは昭和54年(1979)です。入母屋造りの拝殿がありその後方に切妻造り妻入りの弊殿、その奥に同じく切妻造り平入りの本殿が社叢林に囲まれて静かに鎮座しています。 時刻は15時半過、今日のフィールドワークはここまでです。天候に恵まれ歩きやすい1日でした。佐野市民病院から基幹線に乗って佐野駅まで戻ります。 |
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Kazのお散歩日記♪ 佐野編「さ〜のって号に乗って」 |
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