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平成21年12月26日(土)飛駒線・名水赤見線(総合センター前〜寺久保入口)
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佐野駅バス(基幹線)〜田沼庁舎バス(飛駒線)〜総合センター前バス停(下車)⇒八坂神社⇒羽黒神社⇒梅園東ダム⇒西光寺⇒八剣神社⇒報恩寺⇒人丸神社⇒出流原磯山弁財天⇒寺久保入口バス停(乗車)バス(名水赤見線)〜佐野駅 【徒歩距離約11q】 |

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「さ〜のって号に乗って」の第6回は「飛駒線・名水赤見線」です。まず飛駒線に乗って新合に向かいます。新合村は明治22年(1889)の町村制施行により、山形村、梅薗村、閑馬村、下彦馬村が合併して誕生しました。今日はいったん北上して梅園へ。そして山形から彦間川に沿って南下し、旧佐野市内に入ります。 名水赤見線の名水とはもちろん環境省の名水百選になっている出流原弁天池湧水のことです。そして赤見というのは昭和30年、旧佐野市に合併する前の赤見町のことで、赤見温泉は豊かな自然に恵まれた風光明媚なところです。出流原は石灰岩の産地で大正4年から昭和2年まで現在の両毛線富田駅から出流原まで鉄道が敷かれていたそうです。 |
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佐野駅を10時34分発の基幹線で出発して田沼庁舎で「飛駒線」に乗り換えます。今回は距離が短めなので遅めの朝食をとり、いつもよりゆっくりしたスタートです。12分ほどで新合支所のある「総合センター前」で下車しました。戻るようにして閑馬川に架かる橋を渡ると新合郵便局があり、今では珍しくなってしまった公衆電話ボックスを見かけました。公衆電話について調べてみると今から25年前は90万台以上ありましたが、昨年では28万台余に減少しています。 |
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「八坂神社」です。閑馬小歴史研究部(昭和46年)の説明によると、創建は寛永10年(1633)とのこと。閑馬の地で悪疫が大流行したため、尾張国津島から牛頭天王を勧請したところ疫病が消滅しました。それから五穀豊穣・悪病災害防除の神として崇敬されてきたそうです。石仏のうち中央は青面金剛と三猿の庚申塔(年代不詳)、右から2番目は地蔵で元禄13年(1700)に建立されたものです。 |
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石の神明鳥居と木の明神鳥居をくぐり参道を進むと森のなか、ひっそりと「羽黒神社」があります。拝殿の奥には色鮮やかな本殿が鎮座しています。創建年代は詳らかではありませんが、閑馬下地域の鎮守として崇敬されてきました。 |
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川西バス停近くに大谷石造りの倉庫がありました。大谷石は軽石凝灰岩の一種で柔らかく加工がしやすいため、外壁や土蔵などの建材として使用されてきました。大谷石の建物は佐野市内でも多く見かけることができます。大正時代に建立された道しるべに従って梅園方面に進みます。 |
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曲がり角の田畑の一角に、お正月の準備なのか青竹や藁などが積み重ねてありました。地図に「梅園東ダム」と表示があったので行ける所まで行ってみようと思い火の見櫓ある道を北に進みます。道がだいぶ狭くなってきて、何となく突きあたりかなという場所にコンクリートの構造物が・・・砂防ダムでしたね。ここから先は熊に注意という看板があり引き返すことにしました。 |
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馬頭観音の前を過ぎて西根という地区に入ると右手にお寺がみえます。「西光寺」は真言宗豊山派のお寺で、銀杏の木は樹齢約150年だそうです。よく手入れが行き届いた境内には地蔵や如意輪観音の石仏が数基並んでいます。 美しい古民家は「梅庵」というお宿で、築250年を超える民家を改修したとのことです。 |
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ふれあい館梅の里前にある神社は「八剣神社」です。ご祭神は日本武尊で天文2年(1533)に尾張国熱田神社の分霊を勧請し創建されました。年間に創建されたようです。また、劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤルの撮影がここで行われました。 道端で旧新合村の石標を見つけました。山形、梅薗、閑馬、下彦馬の4村が合併してできたのが旧新合村で、新しく合わさったことからこの名がつきました。それにしても美しい田園風景ですね。 |
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旧山形村に入りその先の彦間川を渡ると「報恩寺」があります。臨済宗建長寺派のお寺で、佐野市の文化財に指定されている「天徳寺宝衍(佐野房綱)の墓所」があります。房綱は豊臣秀吉に仕え小田原北条氏との戦いで先鋒として軍功をたてたことで佐野領3万9千石を安堵されて唐沢山城主になりました。また、境内には石仏が多く建立されています。 |
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「人丸神社」はその名のとおり、飛鳥時代の歌人柿本人麻呂(人丸)をご祭神としてお祀りしています。創建年代は詳らかではありませんが、同じ佐野市の小中町にある人丸神社と関係がありそうですね。記念碑によると当地に遷座されたのは文久2年(1862)ということです。梅模様の朱色の本殿は周りの緑にとても映えます。 |
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しばらく彦間川に沿って歩いて行くと前日橋のところに大きな釣り堀があります。「加賀フィッシングエリア」は関東最大級の釣り場面積だそうです。前日橋を渡ると旧佐野市になります。旧佐野市は昭和18年(1943)に市制が敷かれ、この地域は旧安蘇郡赤見町で佐野市となったのは昭和30年です。平成23年度完成予定の北関東自動車の工事は着々と進んでいるようですね。 |
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赤見の出流原地区は石灰岩の産地で、大正4年から昭和2年まで現在の両毛線富田駅まで赤見鉄道が敷かれていました。 |
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「磯山弁財天」の朱塗りの弁天堂は藤原秀郷の勧請と伝えられ、三層楼の舞台造りでひと際存在感があります。「出流原弁天池」は、栃木県の天然記念物に指定されていて、日本名水百選のひとつです。古生層石灰岩の割れ目から清水が湧きだし、浅く澄んだ美しい池です。弁天池脇には「いもフライ」に幟が・・・旅館福寿荘さんの売店で気さくなお兄さんがお店を切り盛りしていて、目指せ!B級グルメグランプリで頑張っています。やきそばとセットで食べると最高ですよ。(^u^) だいぶ陽が翳ってきましたね。福寿荘にある庚申塔前を通り、寺久保入口のバス停から名水赤見線のバスに乗って佐野駅まで戻りました。 |
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Kazのお散歩日記♪ 佐野編「さ〜のって号に乗って」 |
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