第8回フィールドワークnotta-kun.jpgさ〜のって号に乗って

平成22年11月14日(日)名水赤見線(赤見温泉〜佐野駅)

佐野駅バス(名水赤見線)〜赤見温泉バス停(下車)⇒出流原弁天池・磯山弁財天⇒崇見寺⇒天満宮⇒満願寺⇒沼鉾神社⇒佐野市運動公園⇒薬師堂⇒佐野日大高前⇒崇雲寺⇒熊野神社・南方寺⇒石塚神社⇒吉祥院⇒藤宮神社⇒浄蓮寺⇒人丸神社⇒堀米地蔵堂⇒城山公園⇒佐野駅 【徒歩距離約14.5q

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額縁: 概 要
 


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「さ〜のって号に乗って」第8回「名水赤見線」の続編です。今回は「赤見温泉バス停」をスタートして、旧赤見町の東側を名水赤見線の右回りのルートを歩きます。

赤見は明治22年(1889)町村制施行でそれまでの赤見村、小中村、石塚村、出流原村、寺久保村が合併して赤見村にできました。昭和22年(1947)に赤見町となり昭和30年(1955)に佐野市となりました。赤見氏が城を築いたことから赤見という村名となったとか。紅葉の美しさがピッタリの地名ですね。

天気は生憎の曇りでしたが日中は気温が高く、歩くには好都合の一日でした。なお、写真の一部は10月に行った下見の写真を織り交ぜてあります。やや違和感がありますがお許しください。


 

額縁: 写真集 

 


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前回と同じく佐野駅前0755発の「さーのって号」に乗りました。赤見温泉バス停で下車すると目の前が出流原弁天池・湧釜神社、そして磯山弁財天です。赤見温泉には3軒のホテル・旅館があり、湧水の里を訪れる人々を出迎えてくれます。弁天池や弁財天には何度も紹介していますので、説明は省略します。曇り空の紅葉はいま一つですね。美しい紅葉の写真は“自転車に乗って”シリーズの第4回をご覧ください。

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荻野石灰の先で道標を見つけました。“←新合村・飛駒村方面、→赤見、富田村方面”と刻まれています。その先を右に曲がり国道を渡って南下すると右手に「崇見寺」があります。臨済宗妙心寺派のお寺で、平成5年の新本堂落慶記念の石碑には開創以来三百六十余年とありますので、寛永年間ですね。寛永年間といえば宗門帳が作られだした頃、佐野は旗本領が多く早い段階から制度化されていますので、このお寺の創建もそのような背景があったのでしょう。近くの路地脇で“生馬大神”が建立されていました。佐野市ではよく見かける石仏ですが、馬に関係の深い職業、荷駄を運ぶ馬子などの集団や個人が馬の健康祈願、死後の供養のために建てられました。古い時代の馬頭観音は像容の彫ったものが多いのですが、その後文字塔に代わり、さらに明治に入ってから生馬大神といった新しいタイプが建てられるようになったようです。

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大門という名の地区に入りました。近くに大きな門があったことからそう呼ばれるようになったとか。笠木の上が瓦葺きになっている両部鳥居も佐野では珍しくない存在です。「天満宮」のご祭神はもちろん菅原道真公、拝殿に掲げられた絵は一堂に会した消防団と式年祭の様子を描いたものです。写真では分かりにくいのですが、境内には土俵があり相撲の奉納があったようです。

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細い路地を抜けると墓地裏に。切れ長の目、やさしいお顔の地蔵が祀られている地蔵堂の前を通り県道に戻ります。お寺の向かいにある民家の玄関先に庚申塔が5基並んでいました。満願寺はしだれ桜が有名で、ふるさと佐野100選になっています。入口左手にある池は、寛延3年(1750)示寂の第七世魯獄禅師の発願によってできた“阿(あのく)”です。池の中には弁天さまが祀られており、水面では睡蓮の花が咲きます。池の脇に六地蔵が並び、その先に聖観世音菩薩など4基の石仏があります。

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「満願寺」は臨済宗妙心寺派のお寺で山号は宝玉山、建仁3年(1203)の開山と伝わっています。天正10年(1582)足利の月谷にある名刹「行道山浄因寺」の北礀紹礀和尚が改宗して中興のとなりました。三門の先にある立派な木が樹齢3百年超のしだれ桜で、左手にある延命地蔵尊が出迎えてくれます。本堂の左手にある大悲殿には観音さまが祀られており、その隣の開山堂には北礀紹礀和尚の座像があります。また、右手には水琴窟があり耳を澄ますと独特の音が聞こえてきます。風情がありますね。

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赤見小学校の前を通り次の神社に向かう途中、昭和の時代がそのまま残る文具店を見つけました。子供の時代に戻ったような気がする懐かしい雰囲気です。「沼鉾神社」は旧社格は赤見村の村社で、正治2年(1200)の修復後栄え、建仁3年(1203)源義国が武蔵国新永井庄から赤見村へ遷して鎮守としたそうです。拝殿向かって左側には「無眼流剣術」の額が掲げられて、天保5年(1834)奉納とあります。この地域も機織りが盛んだったのか機織りの神さまも祀られています。

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コパル電子の工場前を抜けると大きな公園の前に出ます。「佐野市運動公園」は32ヘクタールの総面積があり、陸上競技場やナイター設備のある野球場などがあり、紅葉の美しいところでした。旧道の細い道を歩くと二股に分かれるところに「薬師堂」がありました。中には薬師如来と如来をお守りする十二神将が安置されています。

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旗川を渡って石塚町に入り、ここからいったん北上します。佐野日大高校の前を通り国道293線にでると「のこぎり屋根」の建物を見つけました。繊維の街の象徴的な建物で、屋根の北側に向いた斜面にガラスの天窓があり、一日中明かりを取り入れられるようになっています。佐野市内にものこぎり屋根の工場がたくさんあったそうですが、現在ではほとんど見かけることはありません。ここから再び佐野中心地に向かって南下していきます。途中に「田中正造の妻カツの生家跡」があります。カツは嘉永2年(1849)、紺屋(染物屋)を営む安蘇郡石塚村大澤清三郎の次女として生まれ、文久3年(1863)15歳で田中正造に嫁ぎました。

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上石塚公民館があり、お隣が臨済宗妙心寺派の「崇雲寺」です。三門の手前で迎えてくれる石仏は阿弥陀如来座像です。延宝4年(1674)とありますので石仏としては古い時代のものとなります。また、横に8基の石仏が並んでいて、一番右の聖観世音菩薩は元禄2年(1689)、2番目の三猿と青面金剛の庚申塔も延宝8年(1678)ですので、凄いですね。

お寺の創建年代等は分かりませんでしたが、本堂は最近建て替えられたようです。墓地の入口には延命堂があり、地蔵菩薩が3基並んでいます。一番右の地蔵の台座には寛政3年(1791)と刻されていました。

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少し戻るようにして「熊野神社」にやってきました。鳥居向かって左側に道標と道祖神があります。熊野神社の創建年代は詳らかではありませんが、天保15年(1844)に再建されたとあります。拝殿の奥、覆殿の下に鎮座する本殿は一間社流造です。本殿全体が彫刻で埋め尽くされ、中国の故事に基づいて天下泰平を祈念する場面が表現されているそうです。

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熊野神社の隣が「南方寺」です。真言宗豊山派のお寺で山号は大悲山、創建年代等は分かりませんでしたが本堂裏手に歴代ご住職のお墓があり、開祖定圓坊和尚は元亀3年(1572)入寂とありますので、それ以前からということになります。境内向かって右手には2つの覆屋があり、左には明治22年(1889)の十九夜塔が建立されています。

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石塚小学校の手前で二股の道が合流します。こうした分岐点ではよく石仏を見かけます。右から庚申塔、十九夜塔、地蔵菩薩立像です。石塚小学校の紅葉を眺めながら進んで行くと左手に「石塚神社」があります。ご祭神は天児屋根命(アマノコヤネノミコト)で、旧社格は村社です。創建年代等は分かりませんでした。

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下石塚公民館の敷地内で“昭和倶楽部”と刻された石標をみつけました。若者組からの流れをもつ青年団の組織があったのでしょうか。

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下石塚の信号前にある「瑠璃山吉祥院」は真言宗豊山派のお寺で、庚申塔をはじめとする石仏が豊富です。薬師堂の右手にある三猿と青面金剛の庚申塔は正徳6年(1716)、十九夜塔は寛文5年(1665)に建立されたものです。本堂裏手の墓地の周りは庚申塔で囲まれていて、三猿のある文字塔は延宝8年(1680)庚申、その隣は寛政12年(1800)庚申とあります。

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小中町に入る手前、小さな森が見えてきました。さーのって号のバス停前に「藤宮神社」があります。小さな神社ですが本殿はなかなか立派です。創建年代等は分かりませんが藤原秀郷の子孫である藤原成行をお祀りしています。境内に本日3基目となる“生馬大神”を見つけました。昭和13年(1938)に下石塚の牛馬持ち一同が建立したものです。時代から日中戦争に軍馬と徴用された馬の供養塔だろうと思います。

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小中町に入りました。田中正造生家近くにある「浄蓮寺」です。真言宗のお寺で山院号は清瀧山龍谷院。寺史によると開山は文明18年(1486)で、享保18年(1733)に再建されたそうです。昭和51年に本堂が焼失しましたが昭和53年(1978)に再建されています。田中家の菩提寺となっていて、正造の遺志を継ぐため、亡くなる直前に設立された小中農教倶楽部が毎年、命日の9月4日を前に法要を行っています。白い菊を手にした小中念仏講の女性たちが念仏踊りを奉納します。

境内に入るため参道両脇には庚申塔を中心とする多くの石仏が並んでいます。明治5年(1872)の学制発布により全国各地に小学校が設置されるようになり、小中村は翌明治6年から10年間ここ浄蓮寺が小学校になっていました。本堂向かって右側に十九夜塔があり、文化14年(1817)に建立されたものです。

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田中正造生家は番外編で寄っていますので今回は省略です。次は同じく番外編で寄った「人丸神社」です。創建は元慶元年(877)で石見国高角山より勧請したとあります。柿本人麻呂の詠歌は「しもつけの安蘇野の原のあさあけに、もやかけわたる、つづらくさかな」だそうです。神苑内の湧水池は佐野市の天然記念物に指定されています。池の前にある境内社は八坂神社です。

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神社から続く菊川に沿って歩いていこうとすると辻に「猿田彦大神」が立っています。庚申塔してなのか道祖神としてなのか?位置的にみて道祖神なのかもしれません。「やすらぎの湯」を裏から入り県道にでます。流れの美しい川ですね。アヒルもいますよ。

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堀米町に入ってすぐのところにある「堀米地蔵堂」です。田中正造ゆかりの場所で、正造は一時ここで手習い塾を開いたと案内板に書かれていました。公民館の新築で地蔵堂はなく現在は、お地蔵さんは愛宕神社のあった小祠のなかに子育延命地蔵尊として祀られています。新しいお水やお花が供えれていますので、おそらく毎日信者の方々がきれいにされているのでしょう。小祠の前には湯殿三山・秩父坂東西国巡礼供養塔や馬頭観音、道標が並んでいます。

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菊沢川と秋山川を渡り、佐野厚生病院前から一気に「城山公園」までやってきました。佐野城は別名春日岡城と呼ばれ、その地名は延暦元年(782)藤原藤成がこの丘に春日明神を祀ったことに由来するとあります。慶長7年(1602)、唐沢山城主佐野信吉は、当時この地にあった惣宗寺(佐野厄除大師)を移転させ、築城と町割を開始しました。現在は公園で市民の憩いの場所となっていますが、曲輪の跡や堀切・水掘・土塁などが残っています。時刻は午後2時少し前、今日はここまでです。これで名水赤見線をクリアすることができました。

Kazお散歩日記 佐野編「さ〜のって号に乗って

佐野市ホームページに掲載されている「町会のお宝・自慢」を参考にさせていただきました。

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