第1回フィールドワーク 

 


平成22年3月27日(土)

原当麻駅(集合)⇒@観心寺⇒A当麻東原古墳⇒B三嶋神社⇒C無量光寺〜【当麻山道】〜D十二天神社⇒E下溝古山公園(昼食)⇒F道標(緑が丘)⇒G御嶽神社⇒H道標(東淵野辺)⇒I境橋⇒古淵駅(解散) 約11q

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額縁: 概 要
 

 


『府中への道』の第1回フィールドワークは原当麻駅から当麻山道を歩いて古淵駅へと向かいます。

市内を結ぶ古道は大山道や八王子道が有名ですが今回は当麻山道です。また、旧市内を歩くコースとしては相模川や相模川に沿って南北に歩くことが多いのですが、今回は東西に歩きます。「当麻山道」は、古刹「当麻山無量光寺」を目指す信仰者が通ったみちで、多摩方面から木曽で境川を渡り、龍像寺坂から上溝と下溝の境に沿って当麻に向かう道筋。津久井方面から大島、田名を経由して当麻に向かう2つの道筋が主なものです。

当麻山道には数多くの道標が立てられ、多摩方面からの道筋には旧市域だけでも10カ所にあったそうです。それだけ訪れる人が多かったということです。しかし現存する道標は終点の無量光寺のものを含めて3カ所4基のみです。残った道標を確かめながら、そして旅人が眺めたであろう当時の面影を偲びながら国境、境川の境橋を目指します。(出典:さがみはらの地名(相模原市教育委員会))

民俗調査会のメンバーとしては個々の場所は何度も訪れているところですが、今回のように東西に歩くのは私も含めはじめての方も少なくない様子。新しい発見を期待しつつ春の一日を楽しみます。今回担当するのは1班。順番通りです。


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朝のうちの天気は曇り。前回は雨で順延となったのでとりあえず雨が降らず良かったと思います。やや肌寒い朝9時半に原当麻駅に集合し、駅近くの観心寺にやってきました。無量光寺までは3年前の春にも“民俗に親しむ会”で歩いたルート。懐かしいですね。「観心寺」は時宗の寺院で山号は「聲音山(しょうおんさん)」、武相四十八観音霊場第31番札所になっています。ご本尊は正観世音菩薩、卯歳観音ですので来年がご開帳の年です。

写真中央は市の指定史跡になっている「当麻東原古墳」です。7世紀の築造で、墳丘の直径は約16mで高さ約3mあり、周囲に幅2溝がありました。横穴式石室から馬具や装身具など400点が出土したことから「馬塚(うまづか)」とも呼ばれています。このお墓に埋葬されたのはかなりの権力者だったのでしょう。抜群の眺めの良さがそれを証明しています。

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「あずま坂」を下り無量光寺へと向かいます。あずま坂は坂の途中に「東権現」があったことからこの名があります。東権現は養蚕の守り神として信仰を集め、神さまで縁日にはたくさんの人々賑わったそうです。また、県道にでる手前には“当麻坂”の古い標柱があります。近くにさがみ縦貫道の相模原ICができることから、このあたりの景色も大きく変わってしまうかも知れませんね。

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迂回して「三嶋神社」に寄りました。伝承では鎌倉時代創建とのこと。入口の由緒書には「一遍上人は縁り深き當地に巡錫せられ時宗本山當麻山無量光寺の東南清泉湧き出せる清浄なる地に一社を建て、三嶋大権現を祀る。現在の地である。毎年例祭には無量光寺住職祭典に列し讀経せられる。」とあります。11月の最終日曜日の例大祭で行われる「なます祭(まち)」の神事が有名で、カンナで薄く削った大根に塩振りした「なます」をつくり、ほかのご馳走と一緒に酒宴をひらくもので、その準備は男衆だけで行っていましたが、現在はご婦人の協力を得て行っているそうです。境内鳥居脇には道祖神、赤い小祠には不動明王が祀られ、地神や秋葉山の石塔が建立されています。

下段右の写真は昭和8年に建立された「無量坂」の記念碑です。部落長と測量技手の名が刻されています。

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そしてやってきたのが「当麻山無量光寺」です。これで何度目でしょうか。時宗のお寺で開山は「遊行上人」と呼ばれ、時宗の開祖である一遍上人で、資料によると弘長元年(1261)諸国遊行の際にこの地を訪れ、金光院という一宇を設けたといわれています。その後嘉元元年(1303)、一遍と遊行を共にした2世真教が金光院を無量光寺と改め、伽藍を建立しました。

ご存じ山門(高麗門)は相模原市の指定有形文化財で17世紀初頭の建立と推定されています。山門の右手にひっそりと佇んでいる2基の石仏は庚申塔です。右は元禄13年(1700)、左は享保5年(1713)に建立されたもので、主尊が青面金剛ではなく阿弥陀さまというのが特徴です。三猿と青面金剛の組み合わせが定着したのはもう少し後の時代ということで、このように古いものには主尊の異なるパターンがあります。

恒例となった3班の記念撮影です。久しぶりのメンバーも復帰し、活気づいています(桜をバックにしたのですが・・・レンズの方向が・・・残念)。新しい発見がありましたヨ。場所は内緒ですが一対の道祖神がひっそりと立てられていました。(下段中央)

今日1基目の「当麻山道の道標」です。“遊行元祖一遍上人 當麻山道”と刻されています。無量光寺を参拝に来る人々のための道標ですので、元々ここにあったものではないのですが、そんなことはお構いなし。さぁここから「府中への道」、一筆書きでぐるりと巡って相模原(橋本)へ戻ってくる旅がはじまります。

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当麻1丁目1番地、当麻市場の「天満宮」ですが、時間の都合で鳥居の前だけで通過します。当麻市場地区は昔ながらの家並みが残っており路地の脇には水路が流れ、所々に水場があります。今でも活用されているようですね。

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当麻山道を北東に進み鳩川を渡った先に石碑が立てられていました。かつてここでは悲しい事件がおきたということでした。

さらに姥川を渡り上溝と下溝の境を歩いて行くと左手に「日枝神社 八坂神社 祠跡」の記念碑と当麻山道の新しい地名標柱があります。ここは2年前の夏に“民俗に親しむ会”できたところです。元々下溝古山地区にはこの2つの神社がありましたが、明治30年(1897)に十二天神社へ合祀されました。神社がここにあったことを記念して昭和8年(1933)に石碑が建てられました。十二天神社のお祭りはお天王様といわれています。お天王様といえば当然八坂神社です。合祀されたのにお祭りは残っているというところがおもしろいですね。この記念碑の前では神輿を派手に高く担ぎ上げます。

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生垣の道は何となく昔の面影があっていいですね。生垣には神社の玉垣や注連縄を張るのと同じような意味があり、また伝染病が流行した際にそれを防ぐとも考えられいたそうです。その先の道保川のほとりには「一関大明神」があります。水田に水を引くための堰の守り神として寛政11年(1799)に建立されたもので、で風邪をひくとお参りする人もいたそうです。

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神社などの神聖な場所から湧き出る清水を崇めて「おみたれみず」と呼びました。この清水でかつてはワサビ、現在はクレソンが栽培されています。「十二天神社」は伝承によると創建は寛政2年(1790)以前でご祭神は高皇産美命(タカミムスビノミコト)です。この地域ではたいへん芝居が盛んだったことから拝殿には役者絵が飾られています。役者はもちろん村人達で若者が芝居に熱中しすぎて仕事に身が入らなくなったという話も伝わっています。

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段丘の中段から上段へ向かう宮坂を上るとお昼の休憩場所「下溝古山公園」に出ます。今回はお弁当を持たずにきたので近くのお店で昼食をとりました。午後もひたすら北東に進みます。閑静な緑ケ丘の住宅地の歩道にはオシャレな「日時計」が置かれています。

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住宅地を抜けて青葉2丁目の信号機付近に、2つ目の「当麻山道の道標」がありました。となりの石仏は馬頭観音です。ここから淵野辺公園の脇を抜けて一気に大野台まで進みます。

ゲイマーブドウ園がなくなってから周辺の開発が著しい「大野台御嶽神社」は、石碑に刻まれた由来によると、この地域は大部分が山林であったとのこと。相模原が町制を施行した昭和16年(1941)、北海道からの先駆開拓者の定着営農により土地を開拓、それに京浜地区からの疎開者を加え、戦前、戦後を通じ食糧の確保増産に寄与したそうです。戦後直後の混乱の時代、心の安らぎの拠り所を求め、昭和22年(1947)に中淵野辺の皇武神社からご神体の日本武尊を分祀し大野台御嶽神社として創祀しました。境内では毎年ドンド焼きが行われています。

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3つ目の「当麻山道の道標」は東淵野辺の河本ファームさんの敷地の中にあります。お断りして見させていただきました。何とここには道標が2本あり、文久元年(1861)に建立されたものだそうです。おそらく他の道標も同じ頃に立てられたのでしょう。ここから横浜線を横切り龍像寺墓地の裏を通って龍像寺坂に向かいます。

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龍像寺坂のところで大山に向かう道者みちと当麻山道が合流します。合流の手前にある2基の石仏・・右が道祖神、左が庚申塔です。庚申塔は寛永7年(1630)に建立されたもので、“右當麻道 左座間道”と刻まれ道標になっています。ここが一番昔の面影が残る場所だったのですが・・・・宅地の開発により片面は擁壁、道も舗装され面影が半減してしまいました。右の写真は3年前の写真です。

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時刻は午後3時。境橋に到着です。距離はここまで約10q。ここから古淵駅まで約1qありますので合計11qとなります。今日は久しぶりに旧市域を歩きました。慣れ親しんだところばかりでしたが新たな発見もあり、充実した1日だったと思います。(朝5時起きで佐野から直行したので疲れました。)

次回(4月24日)は町田駅をスタートし、鎌倉道を小野路方向へと北上します。ゴールはどこなのか?3回目を担当する我が班としては一番気になるところです。天気に恵まれるといいのですが・・・。

Kazお散歩日記 府中への道

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