第4回フィールドワーク 

 


平成22年6月26日(土)

聖蹟桜ヶ丘駅(集合)⇒@小野神社⇒A御嶽神社⇒B西向庚申塔⇒C法音寺⇒中河原駅周辺(昼食)⇒D小野神社⇒E正光院⇒F分倍河原古戦場⇒G光明院⇒H高倉塚古墳⇒I八雲神社⇒J浅間神社⇒K熊野神社⇒L武蔵府中熊野神社古墳⇒M御嶽塚⇒西府駅(解散) 約7.8q

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額縁: 概 要
 

 


第4回目は聖蹟桜ヶ丘駅近くの武蔵国一之宮とされる「小野神社」からはじまります。梅雨空の下、予報は曇り時々雨ということで当番班の気をもませましたが、午前中は何とか持ちこたえ午後もパラパラ程度。皆さんの普段の行いが良かったのですね。今回は多摩川に架かる関戸橋を渡りいよいよ府中市に入ります。今回の当番はチーム一丸でこだわりを持つ4班。資料も見どころも豊富でどこを案内してくれるのか楽しみにしていました。どこをどう歩いてつないでいくのか・・・ここが各班の腕の見せ所です。中世と古墳時代後期の遺跡・史跡が多い府中なのであれもこれもというわけにはいきません。その選択がとっても大変なんですよ。

「府中への道」ということなので、これが最終回?と思われるかもしれませんが、このまま日野・八王子とつないで相模原に戻る予定なのでまだまだ続きがあります。お楽しみに(^u^)


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朝9時30分に聖蹟桜ヶ丘駅に集合したメンバーは、「神南せせらぎ通り」を歩いて小野神社を目指します。

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立派な石造鳥居と随身門が見えてきました「小野神社」です。小野神社の起こりは古く、中世には武蔵国衙に近在する筆頭の神社で武蔵一之宮であったとのこと。延喜式内社の一つで小野神社の論社(簡単にいうと式内社の後裔は現在のどの神社かということ)はこれから向かう多摩川をはさんで府中側にある小野神社。多摩川の氾濫により遷座を繰返したことによるのではという説があります。

お寺の仁王門に似た門は随身門といいます。仁王(金剛力士像)に代わって随身倚像(随身とは近衛など武官という意味)が祀られています。彫刻が美しく風神や雷神、龍などが彫られています。木造木造随身倚像(2体)は東京都の有形文化財に指定されていて、案内板によると『昭和49年(1974)にこの随身倚像に墨書銘があることが発見され、二躯のうち古い方は元応元年(1319)因幡法橋応円・権律師丞源らにより奉納されたもので、その後、寛永5年(1628)に相州鎌倉の仏師大弐宗慶法印によって彩色などの補修が行われ、その際新しい方の像が新調されたとあります。どちらも檜材、寄木造、胡粉地に彩色が施され、頭部は挿首、玉眼。都内では、室町時代以前の随身倚像は数少なく、また武蔵一宮小野神社の歴史を伝える数少ない資料の一つとして貴重な文化財である』とあります。なお、随身倚像は非公開で門にあるのは別の随身倚像です。

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一里塚かなと思ったら「一ノ宮の渡し」とあります。ここは通称一本欅と呼ばれているところで、ここには「神奈川県水量標識」があります。この石は多摩市が神奈川県に属していたことを示す貴重なもので、「水量標零点○リ○拾尺○○○明治廿五年四月神奈川県廳」と刻まれているそうです。多摩市の有形文化財に指定されています。

雨水のマンホールかな?可愛らしいデザインです。この先に多摩川があり、関戸橋を渡ると府中市に入ります。

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府中市に入り、最初に寄ったのは「御嶽神社」です。縁起、創建年代は詳らかではありませんが、古来から中河原村の鎮守として、福の神、縁結びの神として崇敬されているそうです。中河原はもと大道と呼ばれていましたが、天文年間(1532-55)の多摩川の洪水により、石河原となってしまったため、それ以降は中河原と称したといわれています。そんなことが、立派な案内碑に刻まれていました。道中何カ所でこのような案内碑を見かけることができます。

上段右の写真は中河原駅脇にある「西向庚申塔」です。スーパーLIFEの建設に伴って移設されたそうですが、昔から西向きであったため、移設後も西向きになっているそうです。案内板には庚申信仰にかかることと西向きは珍しいという説明が書かれています。庚申塔は2基あり、向かって左が文字塔、右が青面金剛の像容のあるものです。一面六臂が多いのですが、これは1面八臂ですので、珍しいですね。

鎌倉街道商店会の街灯が景観にマッチしていていいですね。そして駅前にあるお寺が「法音寺」です。真言宗豊山派のお寺で、開山・開基は詳らかではありませんが、文禄4年(1595)中興と伝えられています。

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法音寺の石仏は左から宝篋印塔、普門品供養塔、鶏霊供養碑です。普門品供養塔は文化11年(1814)建立で、普門品とは法華経第25品の「観世音菩薩普門品」の略称で、供養塔には観音さまが浮彫になっています。

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我班は駅近くのガストでお昼の休憩をとりました。曇り空ですが蒸し暑くドリンクバーには救われました。朝一番は小野神社でしたが、午後一番も「小野神社(住吉町)」です。境内脇に柱のみが鳥居があり、明和2年(1765)の年号が刻まれていますので、おそらく本殿(写真下段左)もその頃に建立されたのではないでしょうか。

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中央高速の高架をくぐったところにあるのが「正光院」です。入口には“小野学校発祥之地”という標柱が立っています。小野学校は現在の府中市立第五小学校の前身で、明治6年(1873)に当時の屋敷分、本宿、四谷、中河原の4カ村連合で「育幼学舎」を 正光寺に設立したのがはじまりです。正光院は真言宗豊山派のお寺で、開山・開基は詳らかではないとのことです。

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中央高速の高架に沿って東に進むと緑に囲まれたせせらぎのある新田川分梅公園にでます。ここは「分倍河原古戦場跡」で、弘3年(1333)5月、新田義貞軍と鎌倉幕府軍の歴史的な合戦舞台となったところです。

ここで気になったのが地名です。町名表示は「分倍」ではなく「分梅」とあります。ウキペディアで調べると「この地がしばしば多摩川の氾濫や土壌の関係から収穫が少ないために、口分田を倍に給した所であったという説から分倍」、「梅にまつわる土地が多い事から分梅」などと諸説あるそうですが、詳細は不明とのことです。分梅1丁目にある「光明院」は、真言宗豊山派のお寺で、山号は梅花山で多摩八十八カ所霊場第21番札所になっています。山門脇には縦長の三猿が特徴的な庚申塔があり、側面に“庚申帝釈天”と刻されています。柴又帝釈天のご本尊が庚申の日に出現したとのこと。帝釈天信仰と庚申講の信仰が結びついて「宵庚申」の参詣が盛んになったそうです。庚申塔の反対側には弁財天もあります。

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今日は3カ所の古墳を訪ねるとのこと。最初の古墳は府中市の史跡に指定されている「高倉塚古墳」です。高倉塚古墳を中心とする東西450メートル、南北300メートルの範囲内に30基の古墳が発見されているとのこと。その中でこの古墳は墳丘と周溝が残る貴重な古墳だそうです。

古墳の先にある神社は「八雲神社」です。創建年代は詳らかではないということですが、享保9年(1724)の牛頭天王像、元応元年(1319)の板碑もありますのでかなりの歴史がありそうです。拝殿は新しくなっていますが、覆殿の中にある本殿は立派なもので、美しい彫刻で飾られています。ご祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)で日本ではじめて詠まれた和歌とされている「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」は素戔嗚尊によるものとのこと。なるほどそれで八雲神社ですか。私としては八雲神社というとすぐ森高千里の渡良瀬橋が浮かんでしまいます。いい曲ですよね。

神社の裏手は高倉塚古墳群の一つである天王塚古墳が残されています。

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八雲神社のすぐお隣に鎮座しているのが「浅間神社」です。資料がなく詳細は不明です。境内入口にある2基の石仏は左が延宝2年(1674)の庚申塔、右は年代不詳の奉読誦普門品供養塔です。読誦とはお経を称えるという意味です。

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雨が降ってきましたので少し早足で進めます。甲州街道を横切り「熊野神社」にやってきました。神社の拝殿と本殿は江戸時代中期から幕末における神社建築の造形をよく現わしているそうで、府中市の文化財に指定されています。

驚いたのが神社の裏手にある古墳です。「武蔵府中熊野神社古墳」は、おおよそ7世紀の中頃の飛鳥時代に築造された上円下方墳で、四角の墳丘の上に丸い墳丘がのっています。日本最大・最古の上円下方墳ということで国の史跡に指定されています。

神社近くの道は庚申道と呼ばれ、小祠には3基の庚申塔が祀られていました。

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時刻はもうすぐ16時です。3つ目の古墳は「御嶽塚」で、西府駅にあります。市内で数少ない盛土が現存する貴重な塚として府中市の史跡に指定されています。

雨も止んだようです。今日も充実した1日を過ごせました。

次回の7月24日は真夏のため番外編の予定です。

Kazお散歩日記 府中への道

主な資料の出典

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