第5回フィールドワーク 

 


平成22年9月25日(土)

谷保駅(集合)⇒@谷保天満宮⇒A城山公園・古民家⇒Bくにたち郷土文化館⇒C南養寺⇒D元上谷保村の常夜燈⇒E五智如来⇒F元青柳村の常夜燈⇒G青柳稲荷神社⇒H貝殻坂・貝殻坂橋⇒I立川公園⇒J日野の渡し碑⇒K日野渡船場跡⇒L東の地蔵⇒M日野宿交流館(昼食)・日野宿本陣⇒N15普門寺⇒Oヤンメ地蔵⇒P大昌寺⇒Q八坂神社⇒R宝泉寺⇒S西の地蔵⇒日野駅(解散) 約8.2q

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額縁: 概 要
 

 


6月の第4回から3カ月が経過しました。その間、7月は番外編として高幡不動周辺を歩き、8月は猛暑のため相模原市緑区城山町にある川尻八幡宮の例祭を見学したりしていたのです。

今回の第5回目は前回ゴールの西府駅のお隣、国立市の谷保駅から甲州街道沿いを日野宿へと向かいます。日野宿は日本橋から10里のところに位置し、立派な本陣が現存しており、社寺や石仏など見どころも多く楽しいコースになっています。当番は一巡し1班が担当。資料も豊富で残りの班にしっかりプレッシャーをかけてくれます。


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天気予報が当たり、早朝まで降り続いた雨は家を出発する頃にはあがりました。朝9時に谷保駅に集合した民俗調査会のメンバーはまず「谷保天満宮」へ。社伝によると延喜3年(903)醍醐天皇の時代に谷保に流されていた菅原道真の三男である道武が、九州に流され死んだ父道真の像を彫って弔ったといわれています。入母屋造りの拝殿は国立市の有形文化財で嘉永4年(1851)に建立されたそうです。今日はたまたま例大祭の日ということで、朝からその準備が行われていました。貼られていたポスターによると万灯行列や獅子舞が奉納されるようです。(翌日、熱心なメンバーが見学してきました。)

写真下段中央の本殿も市の有形文化財で切妻屋根が庇に続く三間社流造という構造です。寛延2年(1749)に建築されたとあります。本殿の先に泉があり厳島神社が祀られています。延宝年間(1673-80)に筑紫の僧が天満宮に詣でたときにこの泉をみて「とことはに湧ける泉のいやさやに 神の宮居の瑞垣となせり」と詠んだことから「常磐の清水」と呼ばれています。

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しばらく用水路に沿って歩き「城山(じょうやま)公園」へと向かいます。国立の市域には多摩川の3つ段丘があり、最も多摩川に近いのが青柳段丘です。城山は青柳段丘の崖縁に位置し、8メートルほどの比高差を利用した中世の居館跡があります。公園南側には「古民家」があり、青柳の旧柳澤家住宅を平成3年に移築復元したそうで、当時の農家の様子を忠実に再現し国立市の有形民俗文化財に指定されています。また、周辺地域に古くから伝わる民俗行事も再現されていてザシキには十五夜の飾りがありました。囲炉裏には火が入り、ナガシの溜めなどもあり人が生活しているように公開されています。

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段丘のハケ道を進むと洒落たデザインの建物、「くにたち郷土文化館」があります。常設展示室で天満宮の獅子舞の様子を映像で観ることができました。一人立ち三頭獅子舞で相模原市の田名八幡宮の獅子舞と同じように土俵の上で舞っていました。

郷土文化館の北側に回ると「南養寺」があります。臨済宗建長寺派のお寺で山号は谷保山、ご本尊は釈迦如来坐像です。客殿型本堂は文化元年(1804)、天井が美しい大悲殿は寛政5年(1793)、立派な総門は安永9年(1780)の建築で何れも国立市の有形文化財に指定されています。総門脇の左右2基の庚申塔は向かって左が貞享3年(1686)、右が享保5年(1720)に建立されたもので、どちらも青面金剛と三猿が彫られています。

また、参道入口に建立されている燈籠は寛政6年(1794)のもので「上谷保の常夜燈」と呼ばれています。“秋葉大権現・榛名大権現”と刻されていて、火防(ひよけ)・火伏せの神さまとして広く信仰されていますので、消防団建物前にあるのも頷けます。

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甲州街道沿いを西へ。矢川の川べりに小さな祠があり、「五智如来」と呼ばれる石仏が祀られています。昔はここに矢川橋が架かっていてその橋の袂に位置していたそうです。五智如来とは仏教でいう五種類の智(大円鏡智、妙観察智、平等性智、成所作智、法界体性智)を備えた仏さまのことで大日如来の別名ともいわれています。毎年10月12日には地元の方々が「おこもり」といって念仏をあげ供養します。ここからさらに西へ進むと青柳福祉センター前に「青柳の常夜燈」があります。上谷保のものと同様“秋葉大権現・榛名大権現”と刻されていますが建立されたのは5年後の寛政11年(1799)です。センター前には鳥居があり南に向かって青柳稲荷への参道が続きます。

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時間の都合で「青柳稲荷神社」は素通りしました。青柳と石田の鎮守で拝殿は19世紀中頃、拝殿奥の覆殿のなかに鎮座する本殿は宝暦5年(1755)に建築されたもので、国立市有形文化財に登録されています。快調に矢川沿いの段丘のハケ道を西へと進み、国立市から立川市に入る手前で坂を下ります。この坂は「貝殻坂」と呼ばれていて矢川に架かる橋が「貝殻坂橋」です。昔から坂の途中から貝の化石が出ることからこの名がついたそうです。

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「立川公園」でトイレ休憩したあと多摩川の河川敷を進みます。ホントいい天気になりましたね。雲がなければこの辺から富士さんが見えるそうです。ちょっと変わった石のモニュメントは「日野の渡し碑」です。日野橋が完成した大正15年(1926)までここに渡し場がありました。日野橋の先にある立日橋にはモノレールも走っています。

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多摩川に架かる立日橋を渡ると日野市です。「日野渡船場跡」の案内板によると、日野の渡しは江戸時代貞享年間(1684-88)以前は農耕のための作場渡しとして利用されていましたが、貞享元年の甲州街道の改変により日野宿と府中宿を結ぶ正式な渡しとなりました。写真右の石仏は「東の地蔵」と呼ばれ日野宿の東口を守ってきました。

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元金融機関だった「日野宿交流館」で昼食の休憩をとった後はしばらく自由行動。我々3班のメンバーは「日野宿本陣」を見学しました。案内板によると本陣は江戸時代末期に日野宿の名主を勤めていた下佐藤家の住宅として建てられたものです。現在の建物は嘉永2年(1849)正月の火事で焼失した後に再建されたもので、元治元年(1864)末に完成しました。瓦葺の建ちの高い大屋根と入母屋玄関を持ち、本陣建築として意匠的に優れています。もちろん日野市の有形文化財に指定されています。甲州街道で本陣が現存しているのは日野宿、小原宿(相模原市)、下花咲宿(大月市)の3箇所だそうで、小原宿は見学済みですのでそのうち下花咲宿に行く必要がありますね。

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交流館の並びにある図書館は問屋場と高札場跡となっています。その先を右に曲ったところに「普門寺」があります。真言宗智山派のお寺で、案内板によると応永5年(1398)開山、文安元年(1444)開山とあります。観音堂は中世の禅宗様建築の特徴があり日野市の有形文化財に指定されています。

下段写真は「ヤンメ地蔵」です。ヤンメとは病み目のことで、眼病治癒のお地蔵さまとして信仰があつく、秋になるとお礼に赤いトウガラシが供えられるようになったそうです。

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きれいに整備された用水路沿いを歩き「三鷹山大昌寺」にやってきました。浄土宗知恩院派のお寺で創建は慶長7年(1602)。新撰組の最大の支援者であった佐藤彦五郎と妻ノブ(土方歳三の実姉)の墓所があります。

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駅が近づくにつれやや早足になってきたような気がします。「八坂神社」の創立年代は詳らかではありませんが、案内板によると本殿は寛政12年(1800)に完成したもので、絢爛華麗な江戸時代後期の典型的な建築とのことです。もちろん日野市の有形文化財に指定されています。また、天然理心流近藤周助の門人達によって額が奉納されています。

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日野駅前を通過して「宝泉寺」にやってきました。臨済宗建長寺派のお寺で、本堂脇の墓地には新撰組六番隊隊長井上源三郎のお墓があって今でもファンが訪れるそうです。

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地蔵堂にある正徳3年(1713)に建立された銅製の地蔵菩薩坐像は「西の地蔵(坂下地蔵)」として親しまれています。

地蔵堂の隣には飯綱大権現が祀られていますが、小祠の土台にレンガが使われています。この積み方はイギリス積みですね。日野には明治21年に操業を開始した日野煉瓦工場があり、甲武鉄道(中央線)の資材としてレンガを作っていました。この土台に使われているレンガもそこで作られたもののようです。

時刻は15時40分。今回はスタートが早かったので少し疲れました。次回は八王子を歩きます。

Kazお散歩日記 府中への道

主な資料の出典

くにたち歴史探訪〜国立市文化財ガイドブック(国立市教育委員会)ほか

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