第1回フィールドワーク 

 


平成23年2月26日(土)

淵野辺駅(集合) バス 野津田車庫(終点) @自由民権資料館⇒A春日神社⇒B安全寺⇒(昼食)⇒C慶性寺⇒D蓮清寺⇒E岡上の道祖神の小屋⇒F東光院⇒G高蔵寺⇒鶴川駅(解散) 徒歩約8q

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額縁: 概 要
 

 


府中への道(一筆書きの道)が終わり、次のシリーズまでのつなぎというわけではありませんが、相模原から東に向かうことになりました。

「津久井道」についてはそのルートや用途、名称についても明確ではないということですが、川崎市文化財団が発行している川崎歴史ガイド『津久井道と枡形城址』によると、津久井道は登戸から西へ今の世田谷町田線と同じように生田、柿生、鶴川に向い、さらにその先は鶴見川の上流に沿って橋本から津久井地方に至る道です。江戸時代の末頃、それまで絹を農家などから集めた問屋は、八王子の市場に出荷していましたが、そこでは八王子の勢力が強く、津久井・愛甲地方の問屋は安値で買いたたかれるのが常でした。そこで生産高も増え、力を増してきた津久井・愛甲側の人々は直接江戸へ絹を送ることを考え、注目したのがこの道だったということです。本来であれば時間をかけて歩きたいところですが、各班が注目すべき場所を選定してコースを作り、計3回で企画します。


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JR淵野辺駅から9時20分発の野津田車庫行きバスに乗って、終点の野津田車庫で下車。まず、「府中への道」の第3回でも通った華厳院近くの地神塔の前で本日の打合せです。天気は晴れ、比較的暖かく歩きやすい陽気ですが、花粉の季節到来ということでマスク着用の参加者が目立ちます。しばらく鶴見川沿いを歩くと小野路に向かう新袋橋交差点の先に「町田市自由民権資料館」があります。この資料館では自由民権運動及び町田の歴史に関する資料の収集、保管、閲覧できます。学芸員の松崎氏から町田の自由民権運動について説明を受けた後、津久井道は町田市内にどう存在したのかについてもお話ししていただきました。町田にも津久井道の明確な記録はなく、地域では「芝溝街道」と呼んでいるとのこと。また、明治時代に武蔵鉄道敷設が計画された際に東京の芝と相模原の溝村をつなぐ計画案があったとのこと。なかなか興味深いですね。そして、資料館脇のファミリーマートには町田芝溝街道店と表示されていました。

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当番班の方が道を一本間違えたことで珍しいものに巡り会いました。「御嶽社」という小さなお社の境内にある「双体道祖神と青面金剛の庚申塔」の複合塔です。像容がはっきりしており、なかなか見事な石仏でした。

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野津田町から大蔵町に入りました。銅張りの両部鳥居のあるお社は「春日神社」です。ご祭神はもちろん春日権現とも呼ばれる天児屋命、宝永4年(1707)創建とのこと。現在の社殿は昭和9年(1934)に再建されました。石段を上ると左右に1対の石造随身像があります。随身門にある木像随身像を見たことはありますが、このような石造随身像は珍しいかもしれません。とても穏やかな表情ですね。

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神社の先に小祠(阿弥陀?)があり、その脇の円柱の石塔は「徳本念仏塔」でした。円柱のものははじめてですね。煤ケ谷の石工、權右衛門の名が刻まれていました。また、その近くにある3基の石仏は左から出羽三山供養塔、西国・秩父・坂東供養塔、堅牢地神塔で、天保年間に建立されたようです。

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芝溝街道に戻り鎌倉街道と分かれる大蔵の郵便局脇を入ります。「安全寺」は曹洞宗のお寺で山号は大蔵山、武相寅年薬師如来霊場の十七番札所になっています。お薬師さまの縁起には『北条政子の眼病祈願に源頼朝が当山薬師堂に拝る。荒廃した堂裡を守る僧に「公即ち召して曰く、汎く近村に歓進し、以って斯堂の改築を図るべし」と命じ、幾星霜を経て改築のはこびとなったと伝えられている。その後慶安年中(1648-52)当山七世一国和尚代のときに当り、徳川三代将軍家光より仏供領として朱印八石を賜る。当山の薬師如来は木の立像にて長さ一尺五寸、かたく秘して妄りに人の拝するを許さず、ご開扉は十二年に一度寅年にのみ行われる。堂内左右には日光・月光両菩薩及び十二神将の像を安置してある。』とありました。

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大蔵周辺の飲食店でお昼の休憩を取ったあと、午後最初に訪れたのが「慶性寺」です。新義真言宗のお寺で山院号は瀧本山不動院。多摩四国八十八カ所第十一番札所となっています。近くに不動の滝が落ちていて不動堂があったことが由来とのことです。案内板によると開山は詳らかではありませんが開基は寛政4年(1463)と伝えられています。石段の手前には庚申塔などの石仏が7基並んでおり、山門脇にも庚申塔があります。供養の“養”の字が左右偏と旁になっています。石仏ではよく見かける表記です。境内に入ると正面が本堂で左手の不動堂入口には大日如来を挟んで右に子抱き地蔵、左に地蔵立像が並んでいます。子抱き地蔵の優しい眼差しが印象的でした。

また、ちょっと変わった石仏もありました。亀の上に乗った地蔵菩薩です。庚申塔や馬頭観音の多くは時代の変遷で像塔から文字塔に変化していくのに対し、地蔵の場合はほとんど文字化しません。お地蔵さんはお地蔵さんの形をしているのですが、この地蔵菩薩は文字塔です。検索すると各地に亀乗り地蔵の言い伝えがあるようですが根拠はわかりませんでした。

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鶴川駅北口側にやってきました。ここで気になったのが「信用金庫」です。なぜ鶴川に店舗(出張所)が?溝街道とつながりました。こういう発見も楽しみの一つですね。駅前の小高い場所に「蓮清寺」があります。日蓮宗のお寺で山号は妙法山、開山は享徳元年(1452)とのことです。ここから鶴川駅の踏切を渡り鶴見川沿いを和光大学方向に進みます。この辺が町田市と川崎市の境になっていて、赤荻酒店の前を通って岡上のやや細い道を上って行くと風景ががらりと変わります。

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道の分岐点のところにお地蔵さんが祀られていて、その向かい側に「道祖神の小屋」を見つけました。相模原の当麻などで見られるものと同じような形ですが、骨組にみは竹ではなく木の枝が使われています。、中にあるのは五輪塔でしょうか?。ここのドンド焼きは1月3週目の日曜日に行われ、古い小屋はその時に燃やされます。

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再び鶴見川沿いに戻って東に進み、「東光院宝積寺」にやってきました。従前は新義真言宗のお寺でしたが現在は単立寺院となっています。静けさのなかに堂々とした仁王門、長屋門、本堂・庫裏が並び、木々に囲まれて癒しの場です。川崎市の「麻生区観光ガイド」によると鎌倉道に向かい東向きに建てられていることから寺名の起こりとなっているとのことです。仁王門は重層で門内左右に仁王像、その背面に六地蔵、階上には阿弥陀三尊を中心に十王が安置されています。行基菩薩が関東下向の折り、鶴見川の川岸で光るものを見て、そこを掘らせると毘沙門様が出てきたため、草庵を建て毘沙門様を祀ったのが寺の始まりと伝えられています。

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境内にある「瘡守社」です。お寺のご厚意で扉を開けていただきました。祀られているは荼枳尼天(だきにてん)という神さまだそうです。小祠の脇にある青面金剛の庚申塔は宝暦8年(1768)に建立されたものです。

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麻生区から再び町田市に入り、三輪にある「高蔵寺」にやってきました。真言宗豊山派のお寺で山院号は見星山三輪院。多摩八十八カ所霊場第十番札所になっています。山門をくぐると右手に藁の笠をかぶった六地蔵が迎えてくれます。お寺のホームページによると、足利将軍家代々の武運長久祈願所として康安2年(1362)、権大僧都法印定有によって開山したそうです。一言でいえばお庭がすばらしいお寺で、花の季節になると多くの参拝者が訪れることでしょう。

本日はここで終了です。鶴川駅に戻り解散しました。次回は3月26日(土)で我々3班が担当します。お楽しみに。

Kazお散歩日記 津久井道

主な資料の出典

新編武蔵国風土記稿、町田市史、川崎歴史ガイド、東京都の歴史散歩、町田の歴史をたどる

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