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平成23年6月25日(土)
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百合ヶ丘駅(集合)⇒@高石神社⇒A香林寺・細山郷土資料館⇒B細山神明社⇒C西菅公園(昼食)⇒D薬師堂⇒E玉林寺⇒F長念寺⇒G光明院と太子堂⇒H登戸稲荷社⇒I登戸宿と津久井道⇒登戸駅(解散) 約9.2q |

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「津久井道」は前回(2月)淵野辺駅からバスに乗り、町田の野津田をスタートして小田急線の鶴川駅まで歩きました。今回は川崎市に入り、その先の百合ヶ丘駅(麻生区)から登戸駅(多摩区)まで進みます。川崎市麻生区は昭和57年(1982)に川崎市の行政区再編に伴い、多摩区から分区し誕生しました。市の北西部、多摩丘陵の一角に位置し、麻生の名の起こりは、8世紀頃から朝廷への貢ぎ物だった麻布の原料である麻を広く産した地であったことによると伝えられています。次に川崎市多摩区ですが、昭和47年(1972)に川崎市が政令指定都市に移行したのに伴って誕生しました。北に多摩川が流れ、南には多摩丘陵が広がる自然豊かなまちです。(麻生区・多摩区HP) 津久井道については講座のなかでそのルートや用途、名称についても明確ではないと学びましたが、相模原と江戸を結ぶ道が存在したということは間違いなく、事実現在も小田急線に沿って自動車で走ると津久井道という道路標示をあちこちで見かけることができます。津久井や愛甲の絹や織物を江戸に運ぶための主要ルートであったのか?ということは別にして、民俗調査会としては常に相模原とのつながりを考え、様々な視点で感じ取って歩くことが大切だと思います。土地勘がないため、川崎市文化財団が発行している川崎歴史ガイド「津久井道と枡形城址」、川崎市教育委員会がHPで紹介している「文化財散歩」などを参考にしてコースを設定しました。豊かな自然と歴史・民俗・文化に出会いながら約9キロの道を歩きたいと思います。今回の特徴は丘陵地域のためアップダウンの多いことです。現在の津久井道から少し外れるかも知れませんが、小田急線の車窓から見えないところにある隠れた名所を楽しんでいただければと思います。 今回のフィールドワークは我々3班が担当します。本来であれが3月26日(土)に実施する予定でしたが、3月11日に発生した東日本大震災のため延期。その後は雨による順延続きで季節は春から夏へと大きく変わりました。 震災でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被害を受けられた皆さま、そのご家族に、心からお見舞いを申し上げます。 |
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朝9時20分。小田急線の百合ケ丘駅に集合した我々は、左手に見える斜面を上ります。気温はすでに30度を超えていて朝からいきなり試練といったところでしょうか。約10分で「高石神社」の鳥居前に到着しました。麻生区観光ガイドHPによると江戸時代は「伊勢宮」と言われ、この辺りは「お伊勢の森」と呼ばれていたそうです。ご祭神は天照大神、創建は承応3年(1654)で明治6年(1873)に神明社、その後高石神社となりました。ご祭神は天照大神。景色がすばらしく遠くに富士山をみることができます。 また、鳥居をくぐってから社殿に向かうまで数多くの句碑が並んでいますので、興味ある方は訪ねてみてくださいね。 なお、今回の写真は3月5日に行った下見の写真が多く含まれています。やや季節感ズレたものがあります。 |
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『禍転じて福蛙、商賣繁盛銭蛙、萬ず不老の若蛙』という碑を見つけました。洒落ていていいですね。(^u^) ここでちょっとハプニングが・・・・。猛暑のためメンバーの一人が熱中症?木陰で休み残念ながら帰ることになりました。 夏場のフィールドワークは体調管理と水分補給といった熱中症対策がとても重要になります。皆さんも気を付けてくださいね。他のメンバーは予定通りフィールドワークを続けます。そしてこの石仏は三猿と青面金剛の庚申塔です。享保元年(1716)に建立されたもので裏参道鳥居脇にあります。なかなか美しい彫りです。 |
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高石神社の裏手からは香林寺の五重塔が見えます。坂道を下り県道を渡ると地名は細山に変わります。「香林寺」は臨済宗建長寺派のお寺で山号は南嶺山です。大永5年(1525)に多摩区にある寿福寺第七世、南樹法泉和尚によって開山されました。香林寺では江戸時代後期から「観世音御夢想最勝散」という薬が作られていたそうで、観世音菩薩の功徳により神奇妙用記するに暇(いとま)なしとあるそうです。 昭和62年(1987)に建立された五重塔は全て禅宗様建築で統一された塔とのこと。左の写真は震災前、今日は足場が組まれ養生されていましたので、震災で被害に遭われたのかもしれません。明治8年(1875)香林寺本堂を仮校舎として細山分教場が設立され、現在の西生田小学校となったと案内板にあります。 |
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香林寺に隣にあるのが「細山郷土資料館」です。多くの民俗資料、農具、郷土文学、埋蔵文化財などが展示されています。入口に掲げれられた建設のいわれには、『「細山と云は文字のごとく、村の地形ほそ長くして其他はすべて山上なるをもって起りし名なり」と新編武蔵国風土記稿は記しています。昔のこの地は稲毛領、細山村・金程村と2村にまたがっていましたが、今は一体となっていとなみを続けています。』とあります。 |
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西生田小前の石段を上りきると「細山神明社」の鳥居の前に出ます。明治6年(1873)に細山村の村社となりました。関東に三社ある「逆(さか)さ大門(だいもん)」の神社の1つとして有名とのこと。ご覧のように鳥居が上にあり、下ったところに社殿があるため「逆さ大門」と呼ばれています。伝承によると東向きだった社殿が一夜にして西向きに変わってしまったとのこと。村人たちが東向きに戻しても夜明けにはまた西向きに変わっていたそうです。3度繰り返したある夜、「村の鎮護のためには西の伊勢の方向へ向けよ、大門が逆になっても良い」というお告げがあり、そのまま社殿は西向きとなり、よって大門は逆になりました。 拝殿には数多くの絵馬が奉納されています。吹き出物やしもの病気に悩む人々の信仰が盛んだったそうです。三猿と青面金剛の庚申塔は貞享3年(1686)とありますので、石仏としては古い時代のものです。 |
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細山から多摩美へ。よみうりランドの脇を抜けて川崎市多摩区に入りました。ドラマ撮影で名高い生田スタジオ前を通り少し歩くと緑豊かな公園の前に出ます。ここ「西菅公園」でお昼の休憩をとりました。 午後一番に訪れたのは「薬師堂」です。ここでは毎年9月の第二日曜日、神奈川県の無形民俗文化財に指定されている『菅獅子舞』がこの土俵の上で舞われます。川崎市教育委員会の資料によると佐保田家に伝わる古文書『薬師堂縁起』には、文治3年(1187)に領主稲毛三郎重成が薬師堂を建立したとき、児童に獅子戯の舞祭をさせた事が初めてと書かれています。また、明和8年(1771)の法泉寺の古文書に、菅村の人々が毎年虫風祭りとして行っていた獅子角力踊りが12年前から停止されていたので復活させて欲しいと願い出た記録があります。相模原市内の獅子舞と同様、一人立ち三頭獅子舞です。獅子舞の面はガラス張りの展示室があり見学可能です。なお、相模原市内の獅子舞の様子は次のとおりですので、是非ご覧ください。【田名八幡宮】、【大島諏訪神社】、【鳥屋諏訪神社】 |
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薬師堂近くに法泉寺、福生寺、玉林寺と3つのお寺が並んでいますが、時間の都合もあり一番先にある「玉林寺」に寄りました。臨済宗建長寺派のお寺でここには川崎市の重要歴史記念物にの仏涅槃図が所蔵されています。観音堂前には天保年間の一石六地蔵が立っています。 |
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生田浄水場前を通って府中街道をいなげやの前で横切ると道路左側に馬頭観音を見つけました。三面六臂のしっかりした像容の石仏で寛政10年(1798)に建立されたものです。その先にある川が「二ヶ領用水」で江戸時代の初めに代官の小泉次太夫によって開削された多摩川最古の農業用水です。橋の脇には道標もあります。写真の部分には“⇒土淵ヲ経テ高石村方面”と刻まれており、ここからしばらく用水に沿って南東へと進みます。 |
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地名は登戸に変わり、今日のメインともいえる「長念寺」に到着しました。浄土真宗本願寺派のお寺で山号は永池山、お寺から頂いた沿革によると大永2年(1522)に法専坊によって草庵が築かれたことがはじまりとのことです。川崎市の重要歴史記念物に指定されている本堂は、記録によると文政6年(1823)に着工し翌文政7年に上棟、24年経った弘化5年(1848)に落慶法要が行われました。ご住職さまのご厚意で歴史ある本堂内で休憩させていただき、お話しをうかがうことができました。 |
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登戸駅周辺は川崎歴史ガイド「津久井道と枡形城址」を参考にしながら巡ります。まずは「光明院と太子堂」です。光明院は天文年間(1532-54)に開かれた真言宗豊山派のお寺です。江戸後期の役人で文人でもあった太田南畝(蜀山人)が多摩川の防波堤調査の役目でこの辺りを訪れたときの様子が、文化6年(1809)の「調布日記」に記されています。太子堂には建築業者の守り神である聖徳太子が祀られています。中に残る代々の親方の名を連ねた文書から、職人の多かった町の歴史がうかがえます。 上段右の「六字名号の阿弥陀三尊(脇侍は観音菩薩(向かって左)と勢至菩薩(右))」は正徳3年(1713)のもの。下段右の「青面金剛の庚申塔」は元禄7年(1694)に建立されました。 |
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江戸時代、登戸宿周辺は良質な土に恵まれ左官職人の多い町だったそうです。「登戸稲荷社」はその時代の左官職人の意気ごみや腕前を知る上で格好の建物となっています。外壁が漆喰の彫刻で飾られています。 |
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登戸駅近くの商店街で津久井道の様子を描いたシャッターをみつけました。登戸小学校の発祥の地である「善立寺」、歴史ある料理旅館の「柏屋」の前を通り最後に寄ったのが「北向地蔵と馬頭観音」が並ぶ小祠です。三面六臂の馬頭観音坐像は像容がしっかりしていて見ごたえ十分です。最後に良いものを見させていただきました。 今日は当番班でしたが佐野に戻る用事があったので、打上げを行わず帰路につきました。次回は9月の予定です。 |
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Kazのお散歩日記♪ 津久井道 |
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主な資料の出典 |
新編武蔵国風土記稿、川崎歴史ガイド「津久井道と枡形城址」、麻生区ガイドマップ、多摩区ガイドブック、川崎市教育委員会HP「文化財散歩」、麻生区観光ガイド |
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