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平成23年9月24日(土)
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登戸駅(集合)⇒@玉泉寺⇒A八幡神社⇒B明静院⇒C氷川神社⇒D慶元寺⇒E大六天塚古墳・須賀神社⇒F知行院⇒G次太夫堀公園(昼食)⇒H永安寺⇒I大蔵氷川神社⇒I妙法寺⇒成城学園前駅(解散) 約9.4q |

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「津久井道」の第3回目は多摩川を渡り、いよいよ東京都に入りました。明治22年(1889)年に和泉、覚東、小足立、岩戸、猪方、駒井の6村が合併して母体の狛江村となり、昭和45年(1970)に市制を施行しました。狛江市は全国で3番目に小さい市とのこと。しかし、古墳時代から栄えたこの地域は今でも見どころ満載です。途中からは世田谷区。世田谷の地名は諸説あるようで、狭い谷地を「瀬戸」というそうで、多摩川沿岸から台地中の谷の多い相当広い区域を含めて古くは「セト」と呼んでいたものがいつしかなまって「セタ」になった。谷の多い土地の意味から世田谷と呼ばれるようになったとあります(世田谷区HP)。明治22年(1889)年に周辺の村々が合併して母体となる世田ヶ谷村、駒沢村、松沢村、玉川村、砧村、千歳村が誕生し、昭和7年(1932)に当時の東京市の世田谷区となりました。 今回の担当は4班。入念な下見を行い丁寧な資料を作成してくれました。急に秋らしくなった1日を楽しく過ごさせていただきました。 |
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朝9時30分、天気は晴れ。JR登戸駅に二十数名のメンバーが集合しました。秋の気配を感じながら早速多摩川に向かいます。多摩川に架かる多摩水道橋を渡り東京都に入ります。この水道橋はかながわの橋100選の一つで相模川の水を都内に供給する水道管が設置されています。 |
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最初に立ち寄ったのは和泉多摩川駅前にある「玉泉寺」です。天台宗のお寺で山号は熊野山観音院。ご本尊は薬師如来で多摩川三十三観音霊場第十九番札所(十一面観音)となっています。民俗調査会として気になったのは向かって右手にある小祠、中にシャモジが納められていました。狛江市のHPに「玉泉寺のおしゃもじ様」が掲載されていました。戦前までは、百日咳、風邪、のどの痛みなどを治してもらうために、お参りする人が少なくなかったとのこと。特に百日咳には霊験あらたかといわれ、子どもが百日咳になると、おしゃもじ様に奉納してある飯盛りのしゃもじをお借りしてきて、それを子どもの枕元に置くとか、そのしゃもじでご飯を盛って食べさせるとかしてやると、早く治るといわれたそうです。治ったお礼には、借りてきたしゃもじに新しいしゃもじを添えてお返しする。しゃもじが山のように上がっていることもあったとあります。相模原市内にも当麻や上鶴間に同じようにおしゃもじ様がありましたね。屋根をご覧ください。この飾りは定番の獅子と牡丹かな。いいですね。 |
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途中トイレ休憩したので時刻は11時となりました。「八幡神社」と「明静院」です。岩戸の総鎮守であった八幡神社の創建については詳らかではないとのこと。永禄元年(1558)、鎌倉の鶴岡八幡宮で行われた相撲で勝利し、鶴岡八幡宮のご神体を持ち帰り八幡神社を勧請したと伝えれています。お隣の明静院は天台宗のお寺で山号は岩本山清岸寺、調布にある深大寺の末寺です。ご住職のご厚意で本堂に上がらせていただきお話しをうかがいました。若く感じのよい方でした。 |
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狛江市から世田谷区に入りました。喜多見の「氷川神社」です。緑豊かで厳粛な空間に鎮座しています。神社のHPによるとご祭神は素戔鳴尊で天平12年(740)の創建とのことですが、延文年間(1356-60)に社殿が大破。その後は多摩川洪水で古縁起・古文書などが流失してしまい詳らかではないそうです。写真左の二の鳥居は承応3年(1653)に喜多見勝忠の子、重恒と重勝の兄弟によって建立(第四代 徳川家綱)され、都区内の鳥居としては最古の部類に入り、世田谷区有形文化財に指定されています。 |
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氷川神社の近くにある「慶元寺」は浄土宗のお寺で山号は永劫山華林院、ご本尊は阿弥陀如来です。教育委員会の案内板によると文治2年(1186)3月、江戸太郎重長が今の皇居紅葉山辺に開基した江戸氏の氏寺で、当時は天台宗のお寺でした。本堂は享保元年(1716)に再建されたもので、現存する区内寺院の本堂では最古の建造物であるといわれています。また、立派な山門は宝暦5年(1755)に建立されたものだそうです。墓地にある三重塔は比較的新しく平成5年(1993)に建てられたものです。 下段右の石仏は・・左は3面ですね。馬頭観音かな。右は地蔵のようですが。 |
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時間の都合で竹林に囲まれた「大六天塚古墳」は眺めた程度でとなりの「須賀神社」にやってきました。案内板によると承応年間(1652−54)に喜多見久大夫重勝が喜多見館内の庭園に勧請したのがはじまりといわれています。毎年8月2日の例大祭に行わる湯花神事は世田谷区の無形民俗文化財に指定されています。社殿前に据えられた大釜の湯を笹の葉で振りかけ、この湯がかかると1年間病気をしないといわれ現在も信仰を集めているそうです。3本の太い竹の上の方が焦げているので、ここに釜をのせたようですね。 |
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時刻は12時半となりました。前半最後は「知行院」です。天台宗のお寺で山号は龍宝山、ご本尊は薬師如来です。寺伝によると天正16年(1588)の開山とのこと。慶安2年(1649)徳川三代将軍家光から八石二斗余りの寺領朱印状を受け、以後代々の将軍家より九通の朱印状を受けて十四代将軍家茂まで続いたそうです。 |
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お昼の休憩は「次太夫堀公園」です。世田谷の農村風景の典型的なイメージと昔ながらの小川を復元したもので、公園名は小泉次大夫が昔この地域の用水を確保するために作った堀の名にちなんでつけられています。公園内の民家園では昔ながらの手法で農具を作る鍛治屋の様子が再現されていました。ここで木のふいごは、取っ手を押したとき、引いたときの双方で火に空気を送ることができるということに初めて気付きました。 |
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しばらく歩いて東名高速道路の下をくぐります。「永安寺」も天台宗のお寺で山号は龍華山、ご本尊は千手観音です。開創は応永5年(1398)、再興は延徳2年(1490)とのこと。本堂は江戸時代中期の寛保2年(1742)に建立されたものです。 |
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きしべの路、永安寺前と書かれた案内板を見つけました。きしべの路とは国分寺崖線に沿って残る豊かなみどりや水辺の風景をたどる路でかつての暮らしや文化を訪ねるコースだそうです。高い木々に囲まれたお社は「大蔵氷川神社」です。ご祭神は素戔嗚尊で暦仁元年(1238)に江戸氏が勧請したと伝えられています。拝殿後ろの覆殿の中に鎮座する本殿(残念ながら見られません)は世田谷区の文化財に指定されています。石段手前に3基の石仏が並んでいて青面金剛と三猿の庚申塔は享保17年(1732)に建立されたものです。仙川に架かる水神橋にはその名のとおり水神様が祀られていました。 |
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仙川沿いを大倉運動公園に向かって歩く途中、ここにも3基の石仏が並んでいます。左は田の神のようです。田の神といえば・・・府中道の第7回、西八王子の高宰神社でも見かけましたね。稲作の豊凶を見守り、あるいは、稲作の豊穣をもたらすと信じられてきた神さまで鹿児島県や宮崎県の南部に多いそうで、ユニークなお顔が特徴的です。 |
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仙川沿いは石仏が多いですね。中之橋近くには二つの小祠があり、左は地蔵菩薩は右の2基は庚申塔です。そして妙法寺の手前にある地蔵菩薩は元文5年(1740)建立で、ここで気になったのが折り紙です。かぶとですかね。子供達をお守りくださいということなのでしょうか。 |
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本日最後に訪問したのは「妙法寺」です。日蓮宗のお寺で山号は東光山、「おおくら大仏」で有名なお寺です。大仏はブロンズ製で高さは8メートルあります。驚いたことに向きを変えるんですね。境内には砧っこ地蔵という名の可愛らしいお地蔵さまもあります。ここから成城学園前駅まで徒歩で20分弱。疲れた人はバス、元気な人は歩いて駅まで向かいました。津久井道は次回が最終回、いよいよゴールの三軒茶屋ですね。雨が心配ですが・・・・。 |
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Kazのお散歩日記♪ 津久井道 |
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主な資料の出典 |
新編武蔵国風土記稿、狛江市HP「文化財ノート」、「ふるさと世田谷を語る(世田谷区)」ほか |
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