吉夏社(kikkasha)
【歴史・文学】 |
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〈あすなろ第六集〉
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みちのく東北に思いを寄せて ●四季を通してさまざまな句を詠んできた、医療過疎の現場に従事する小児科医である著者の俳句集。平成23年3月、突然東日本を襲った未曾有の大震災。そこで何を感じたのか。芭蕉に始まり、明治、大正、昭和までの俳句運動の流れを追う論考を付す。 |
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著 者 |
森 彪 Takeshi Mori 昭和四年、北海道に生まれる。昭和三十年、北海道大学医学部卒業。昭和三十五年、イェール大学小児科研修、昭和三六年、タフツ大学循環器科研究員。昭和四十二年、埼玉県小児保健センター所長。昭和五十八年、埼玉県立小児医療センター病院長を経て、平成二年から六年まで同センター総長。聖徳大学人文学部児童学科教授、東京慈恵会医科大学客員教授、放送大学講師、埼玉大学非常勤講師などを務めた。 現在、聖徳大学名誉教授、埼玉県立小児医療センター名誉総長。また、平成二十年から青森県三戸町立中央病院嘱託医を務めている。 日本小児科学会名誉会員。日本小児保健学会名誉会員。日本小児循環器学会名誉会員。 主な著作 『3歳児の世界』『かあさんの手はお医者さん』『ぼくは見た 子どもの世界』『医における癒し』など。 |
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目 次
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はじめに 第一章 みちのくで詠む──平成22年、その1 第二章 みちのくで詠む──平成22年、その2 第三章 みちのくで詠む──平成23年、東日本大震災 第四章 四季を詠む 第五章 俳句の道程 第六章 明治・大正の俳句から昭和の新興俳句運動へ おわりに |
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関連記事
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『毎日新聞』(2008年4月27日付け)より この人:三戸町国保三戸中央病院小児科医師・森彪さん/青森 ◇“出身地”に貢献を──森彪(たけし)さん(78) 「先生、なんで青森に行ったんですか。うちに来てくださいよ」。今月14日から三戸町国保三戸中央病院小児科で診療を始め、首都圏や出身地・北海道の医療関係者から東京の自宅や病院に電話がかかってくる。埼玉県立小児医療センター名誉総長を務めるなど、技術も経験も豊富。医師不足の中で、引く手はあまただ。電話をもらうと、いつも「そのうち、そっちにも行くからよ」と笑ってあしらっている。 昨年3月、東京都の私立聖徳大学人文学部の教授職を退いた。青森で医師として働くことを決めた背景には、地元出身の曽祖父の影響があった。 「津軽藩で活躍していたんだ。死んでから『オレも津軽に貢献したぞ』って、じいさんに言えると思ってさ」と話す。津軽地方は深刻な医師不足に陥っているのではないかとの懸念もあった。 1週間交代で青森と東京を往復するつもりで、先月、県医療薬務課に相談。とんとん拍子で同病院への赴任が決まった。 「来てみたら津軽じゃなくて南部だったんだよなあ。まあ、でも男女の関係と同じだ。結婚したからには約束通りに勤めるよ」と豪快に笑う。 同病院の小児科は、05年9月に常勤医が不在となり、弘前大が派遣する非常勤医師1人が週3日、診療してきた。常勤医がいたころの外来患者数は1日111.9人。病院事務局はこれを地域のニーズとみるが、06年の外来患者は同14.5人まで落ち込んだ。 新たな非常勤医師として森さんが加わり、2人で月〜金曜日の週5日の診療が可能になった。同病院の田中照深(てるみ)事務長は「平日の5日間、小児科の先生が勤務している。地域のお母さん方の安心感は大きい」と喜ぶ。 赴任当日、小児科診察室の壁に「熱があって咳(せき)があっても、食欲があって元気な子には薬は出しません」と張り紙をした。「子供には薬なんか飲ませるもんじゃない。子供は病気をしながら免疫力をつける」との考えを看護師や子どもの親と共有するためだ。これまでも患者やその家族と過ごす時間を大切にし、「互いに近づくこと」で信頼関係を築いてきた。「人との出会いは一生の縁だからね」。三戸での出会いを楽しみにしている。 |
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リンク |
埼玉県立小児医療センター |