吉夏社(kikkasha)


【アメリカ文学・評論】


カバー写真

クレバスに心せよ!
――アメリカ文学、翻訳と誤読

須山静夫●著
四六判・上製・280頁
定価●本体2800円+税

ISBN978-4-907758-22-6


在庫あり







アメリカ文学――翻訳の現場から
●数々のアメリカ文学作品の翻訳に従事してきた著者が、メルヴィルの『クラレル』や『白鯨』、フォークナー、オコナー、スタイロンらの作品を取り上げ、日米の研究者たちがおかしてきた誤読や誤訳を解説、さらにそれらの作家たちに大きな影響を与えた聖書を「イザヤ書」の死海写本にまで遡る。






著 者  

須山静夫
1925年静岡市に生まれる。明治大学教授として学部・大学院で長年教鞭をとったのち、聖学院大学教授を定年まで務める。アメリカ文学専攻。2011年歿。
著書に『神の残した黒い穴─現代アメリカ南部の小説』(第1回アメリカ研究図書賞受賞。花曜社、1978年)、『海鳴り』(小説。近代文藝社、1981年)、『腰に帯して、男らしくせよ』(短篇小説・エッセイ集。東峰書房、1986年)。同書に収録されている「しかして塵は─」で第3回新潮新人賞受賞。
訳書にウィリアム・スタイロン『闇の中に横たわりて』(白水社、1966年)、ウィリアム・フォークナー『八月の光』(冨山房、1968年)、ジョン・スタインベック『月は沈みぬ』(角川文庫、1969年)、フラナリー・オコナー『賢い血』(冨山房、1970年、ちくま文庫、1999年)、ジョン・アップダイク『ミュージック・スクール』(新潮社、1970年)、マーク・トウェイン『マーク・トウェイン動物園』(晶文社、1980年)、テネシー・ウィリアムズ『死に憑かれた八人の女』(白水社、1981年)、ハーマン・メルヴィル『クラレル─聖地における詩と巡礼』(南雲堂、1999年)など多数。


  

目 次  

はじめに
まえがき
クレバスに心せよ
 1ウィリアム・スタイロン『闇の中に横たわりて』
 2ウィリアム・フォークナー『八月の光』
 3フラナリー・オコナー『オコナー短編集』
 4フラナリー・オコナー『賢い血』
 5ハーマン・メルヴィル『クラレル』
 6ハーマン・メルヴィル『白鯨』
ハーマン・メルヴィル『クラレル』論
『クラレル』翻訳余禄
『死海写本 イザヤ書』に分け入って
あとがき
初出一覧
須山静夫主要翻訳作品一覧



本文より  
『八月の光』の全体のイメージを木像に置きかえるならば、それは新薬師寺の伐折羅(ばさら)大将だと私は思った。文字通り怒髪天を衝く伐折羅大将像だ。かっとひらいた目玉は地上にうごめくもろもろの悪を睨みつけている。眼光そのものが一閃のもとに悪鬼どもを撃ち殺さんばかりの力を備えている。鼻すじはぐいっとまっすぐに通って、ここには鬱勃たる力が盛りあがっている。上下の歯なみをむき出しにした口の奥からは、今、この瞬間に、相手を焼けただれさせる熱をはらんだ息が、「阿」っという激しい声が、噴き出てくる。
 翻訳者はこの像の持ついのちをそのまま観衆の前に、読者の前に、彫り出して見せなければならない。鑿を握る手もとを僅かに狂わせて、舌の先を僅かにでも削りすぎるなどはもってのほかだ。




書評・紹介  

『毎日新聞』2012年5月6日(書評)
《きびしく穏やかに、文字とことば見つめる》
 ……本書全体から知ることは、作品を論じる人たちが原典の文字の書き写しで、おびただしい数のあやまりをおかしている点だ。そのクレバス(裂け目)からは、誤読が拡大。自戒をこめながら淡々と照合をつづける著者の姿は、作品を正しく読みとり、うけつぐ人のもの。きびしさだけではない。ひろいところで思い描くことのできる人の穏やかさがある。
 最後の「『死海写本 イザヤ書』に分け入って」は、死海のクムラン洞窟で発見された「死海写本」(紀元前二世紀)に、ほとんど筆写のあやまりがないことを検証。「文字を書くことに対する姿勢が根本的に厳粛を極めていたのではないか」。クムランの筆記者の「熱意、集中力」への感動を次のように記す。
「かりに彼が窓の外に目をやったとしても、見えるのは、岩と砂利と砂だけだ。目を楽しませてくれるものは一つもない。空は曇っているかもしれない。晴れているかもしれない。その空も広々とした空ではない。周囲の岩壁で狭く限られている。こういうところに彼はいた。だから彼はこういう仕事をすることができた。」
 著者もまた、このような「仕事」をつづけたために、こんなすてきな本を書くことができたのだと思う。

 【荒川洋治氏評】


『図書新聞』2010年10月6日号(書評)
《「翻訳の鬼」の遺著へ捧げるオマージュ》
 ……アメリカ南部の作家フォークナーやオコナーについてものを書くようになった私は、須山氏がこれらの作家の翻訳者であることを知るようになり、また生半可な翻訳者ではないという、つまり「伝説」の一端に、氏自身の書かれたものを通じて、また氏にまつわる同業者や編集者の噂という形で徐々に触れることともなった。月日は流れ、とうとうその謦咳に接することもないまま、「伝説」の人は逝ってしまった。だから、生きていたその人の証言をもう一度確かめたい、せめてものオマージュを今捧げたいと願い、この遺著の書評をお引き受けすることにした。
 ……〔聖書「死海写本」を扱った章について〕これは経文だ。般若心経の一言一句がそれぞれ何を指すのか、気にしながら唱えるものはおるまい(ここでも須山氏だけはきっと例外であろうが)。そこにあるのは、そこにあるだけで尊い、ひたすら道を究め続けようとした人の足跡でこそあって、こうした求道精神とは無縁の衆生は、何の衒いもなく淡々と綴られた悟りへの道程たるこの一書をおし抱き、その文句を口の中に唱えさえすればよい――そういう気持ちに私はなった。
 ……写本を行ったのは誰なのかわからないのだが、須山氏は「[この写本の宗教学的価値のみを云々するようなものは]死海写本の筆記者の敬虔な熱意と、精神の持続的な集中力に感動しないのだろうか」と言う。私は同じことを須山氏の仕事に感じてよい、いや、感じなければならないと思ったのだ。
 【後藤和彦氏評】