吉夏社(kikkasha)


【文学・エッセイ】


カバー写真

地下に潺潺たる水の音を聞け


須山静夫●著

四六判・上製・320頁
定価●本体2500円+税

ISBN978-4-907758-24-0


在庫あり







湧水を求めて
――没後作品集
●アメリカ文学者であり、翻訳家、そして小説家である須山静夫の没後作品集。これまで単行本未収録の小説とエッセイを収め、晩年まで常に現実とリアルタイムで関わってきた著者の精髄を伝える。






著 者  

須山静夫
1925年静岡市に生まれる。明治大学教授として学部・大学院で長年教鞭をとったのち、聖学院大学教授を定年まで務める。アメリカ文学専攻。2011年歿。
著書に『神の残した黒い穴─現代アメリカ南部の小説』(第1回アメリカ研究図書賞受賞。花曜社、1978年)、『海鳴り』(小説。近代文藝社、1981年)、『腰に帯して、男らしくせよ』(短篇小説・エッセイ集。東峰書房、1986年。同書に収録されている「しかして塵は─」で第3回新潮新人賞受賞)、『クレバスに心せよ!』(評論集。吉夏社、2012年)。
訳書にウィリアム・スタイロン『闇の中に横たわりて』(白水社、1966年)、ウィリアム・フォークナー『八月の光』(冨山房、1968年)、ジョン・スタインベック『月は沈みぬ』(角川文庫、1969年)、フラナリー・オコナー『賢い血』(冨山房、1970年、ちくま文庫、1999年)、ジョン・アップダイク『ミュージック・スクール』(新潮社、1970年)、マーク・トウェイン『マーク・トウェイン動物園』(晶文社、1980年)、テネシー・ウィリアムズ『死に憑かれた八人の女』(白水社、1981年)、ハーマン・メルヴィル『クラレル─聖地における詩と巡礼』(南雲堂、1999年)など多数。



  

目 次  

はじめに
はじめに──ある書簡より
『砂の女』の砂
夢か現か
挨拶、二つ
弔辞
『其の日其の日』
『黒染めに咲け』補遺
ふりにしことぞ
地下に潺潺たる水の音を聞け
「マテオ・ファルコネ」は時代おくれか
車内点描、三つ
瀬川さんを偲んで
またやったか
言葉遊び
ムッシュウ・ニコならびにラビ・ディプサに

今は亡き旧友荒川浚治君を偲び、未亡人悦子さんの胸の痛みを思う
今は亡き旧友国井孟君を偲び、未亡人美智子さんの胸の痛みを思う
オットセイと、岩手県大槌町と、吉里吉里の吉里ちゃんと
東北大津波

須山静夫著作案内





  書評・紹介  

『図書新聞』2014年3月8日号(書評)
《どのエッセイからも、どのページからも
 須山静夫氏を感じとることができる》

〔本書収録の一篇「『砂の女』の砂」について〕安部公房の代表作、『砂の女』。砂丘の穴の底に住む女に捕えられた男の物語。この小説において「砂」が果たす役割の大きさを疑う者は居ないだろう。だが、この小説の中に何度「砂」という文字が登場するか、数え上げたことのある人はこの世に何人くらい居るだろうか?
(中略)
 この論考の最後の節で、須山氏は突如、視点を池袋のサンシャインビルの展望台に移動させるのである。その刹那、サンシャインビルは砂の棒グラフと化し、眼下に広がる東京は砂漠と化す。そして氏は、自身をも含めたこの世の無数の人間が、既に全身が砂に同化して崩れ去っていることも知らず、ありもしない「未来」に空しい希望をつなぎながら、足掻くように意味のない生を生きていることに気付き、戦慄するのだ。氏はこの時、『砂の女』という小説を読んでいるのではなく、ましてや分析しているのでもなく、この小説の主人公の男と共に砂に埋もれている。これこそが、この生々しい体験こそが、須山氏の小説の「読み方」なのである。
(中略)
 どのエッセイからも、どのページからも、氏のユニークな思考の働きを、深く沈む思いを、氏のそこはかとないユーモアを、氏の意外にどぎつい諧謔を、そして氏の静かな優しさを、感じとることができる。(後略)

 【尾崎俊介氏評】