吉夏社(kikkasha)
【アメリカ文学】 |
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ショーシャ
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ホロコースト前夜のある愛と生 ●イディッシュ文学最後で最大の作家といわれるシンガーの円熟期の傑作。 舞台は第二次世界大戦直前、ヒトラーによるホロコーストが目前に迫るポーランド。作者シンガーを彷佛とさせる主人公アーロンと、彼を慕う成長の止まった女性ショーシャを軸に物語は進行する。この二人のほか、年輩の快楽主義哲学者、ソヴィエトへの亡命を計画している共産主義者であるかつての恋人、アメリカからやって来た大金持ちとその愛人である女優といった興味深い人々が登場し、それらを通して作者自身が実際に通過した境遇や思考なども描かれていく。 やがて物語の終盤で、主人公アーロンは、アメリカへ亡命し生き延びることをとるか、あるいは愛するショーシャとともにこの地にとどまることをとるかの大きな決断を迫られることに……。 愛、信仰、そして生の苦しみについて問いかけていく、シンガー文学の集大成的作品。また同時にホロコーストやディアスポラを通過したユダヤ人の心性を考えていく上でも意義のある作品。 (原著は一九七八年刊行) [同じ著者の作品『ルブリンの魔術師』『悔悟者』も小社から刊行されています] |
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著 者 |
アイザック・B・シンガー Isaac Bashevis Singer 一九〇四年、ポーランドのワルシャワ近郊でユダヤ教ハシディム派のラビの子として生まれる。二五年から、イディッシュによる短編小説を発表しはじめ、三五年に兄で作家のイスラエル・ジョシュア・シンガーをたよってアメリカへ渡る。その後もイディッシュで作品を書き続け、七四年に短編集『羽の冠』で二度目の全米図書賞を、七八年にはノーベル文学賞を受賞する。長編小説、短編小説、童話、回想録など、多数の作品が英訳されている。九一年、アメリカで歿。 ユダヤ系アメリカ作家には他にソール・べロー、ノーマン・メイラー、バーナード、マラマッド、フィリップ・ロス、エイブラハム・カーンなどがいる。 主な著作 『短かい金曜日』『罠におちた男』『愛のイエントル』以上晶文社 『奴隷』河出書房新社 『羽の冠』新書館 『メイゼルとシュリメイゼル』冨山房 『敵、ある愛の物語』映画化・角川文庫 『よろこびの日』『お話を運んだ馬』『まぬけなワルシャワ紀行』『やぎと少年』以上岩波書店など 研究書・関連書 C・シンクレア『ユダヤ人の兄弟』晶文社 イスラエル・ザミラ『わが父アイザック・B・シンガー』旺史社 日本マラマッド協会編『ユダヤ系アメリカ短編の時空』北星堂 上田和夫『イディッシュ文化-東欧ユダヤ人のこころの遺産』三省堂 西成彦『イディッシュ-移動文学論』作品社など |
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目 次
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著者はしがき ショーシャ 第一部 第二部 訳註 ポーランド地図・ワルシャワ市街図 訳者あとがき |
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訳者あとがき
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…『ショーシャ』はシンガー自身が生きた第二次世界大戦前のポーランドのユダヤ人社会が重要な舞台となっている。それは独特の活気に満ちた世界だったが、ヒトラーによって消し去られた世界でもある。『ショーシャ』においてシンガーは、この、今はない世界をみごとに甦らせている。 …シンガーの作品に一貫して流れているのは、こうした、すでにこの世での生を終えた者たちに対する作者の思いである。それは死者たちに対する優しさであると同時に、この世にあって亡き者を思う者たちにとっては、悲しみに満ちてはいても、深く大きな慰めとなる。ちょうどショーシャやハイムルが自分たちの愛する者をみな記憶に留めていたように、この世に生きた一人一人がおぼえられ、時を超えて、宇宙のどこかで永遠に生き続けているであろうとシンガーは言う。… 訳者・大崎ふみ子(鶴見大学教授) |
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書評・紹介
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『毎日新聞』2002年11月3日(書評) 《彼女はどこへ‥‥震えるようなラスト》 ショーシャは、ワルシヤワの、ゲットーと呼ばれてもよいような貧民街クロホマルナ通りに生まれた少女。知恵遅れで、発育不良で、かつ美しい。幼なじみの〈私〉は少年のとき、すでに彼女への永遠の愛を誓っている。…… しかし、〈私〉はやがてゲットーを出てゆき、物書きになる。作家クラブに出入りし、女たちとの快楽にふける。アメリカから来たイディッシュ語劇の女優とねんごろになると、女優が彼の育ったゲットーが見たいという。〈私〉は二十年ぶりにクロホマルナ通りにもどってくる。ショーシャがいた。ほとんど二十年前と変わらない姿で。…… ここから〈私〉とショーシャのなんとも胸を抉られるような愛のドラマがはじまる。もうまもなくヒットラーがやってくる。〈私〉は、ショーシャをクロホマルナ通りから引き出したら、水の外に出した魚のようにたちまち死んでしまうことを知っている。だからワルシャワにとどまる。…… ラストが震えるほどすばらしい。どんな小説にもラストはあるが、これをラスト・ベストテンに数えよう。『審判』のラストや『蓼食う虫』、『存在の耐えられない軽さ』のラスト、等々の中に。 【辻原登氏評】 『産経新聞』2002年8月10日(書評) 《ノーベル賞作家 円熟の傑作》 一九三〇年代の後半、ヒトラーのナチスドイツとスターリンのソ連に挟まれ、いつ侵攻されてもおかしくない絶望的な状況にあったポーランド。そんな中、信仰にもイデオロギーにも満たされず、女たちの愛に翻弄されるようにして生きていたユダヤ人青年が、ワルシャワの貧民街クロホマルナ通りで「奇跡」に出会う。知能の発達がおくれ身体の発育も止まってしまった幼なじみの女の子ショーシャが、二十年前とほとんど同じ姿で同じ場所に住んでいたのだ。腐った果物や煙突の煙の臭いとともに立ちのぼる少年時代の思い出。その昔、自作の「お話」をすると懸命に耳を傾けてくれたショーシャは、駆け出しの作家であるこの青年にとって、淡い初恋の相手でもあり、創作活動の原点でもあった。……。 〔主人公〕アーロンを取りまく女たちがそれぞれに魅力的だ。彼の才能を認め、なんとかアメリカに逃してやろうとする女優ベティの知性と激情、憧れていたソ連共産主義の現実を知って失望し自殺をはかるドラの肉体の魔性、活力にあふれたポーランド娘テクラの純朴さ、自分の居場所を見出せずに苦しむ人妻シーリアの官能。でもアーロンは、そのいずれよりも、あどけないショーシャの無垢の魂を深く愛した。その中に「自分自身が見え」、失われゆくユダヤ人社会と子供時代の残像が永遠にとどめられていたからにちがいない。 【沼野恭子氏評】 共同通信社 配信記事 2002年7月下旬〜8月中旬(書評) 《長らく読みたいと思っていた》 物語は、二本の糸をより合わせるようにして語られている。一つは、このクロホマルナ通りの住人たちのこと。変人、奇人、奇妙な情熱に憑かれた者たち。人々の暮らしの中にあって、正当派ユダヤ教の教義が目を光らせ、ひそかに運命観と、この世の見方をささやきかけてくる。おりしも隣国ドイツの雲行きがただならない。ヒトラーが政権を掌握、公然とユダヤ人弾圧に乗り出した。 ……これを横糸とすると、少女ショーシャが縦糸に当たる。主人公の幼友達であって、「九歳だったが、六歳のような話しぶり」。目が青く、鼻筋が通り、首が長かった。共に成長し、たえずかたわらで話を聞いてくれる。「君がいる限り、僕の人生にもまだ何らかの意味がある」。精密な描写の一方で、何気ないやりとりの中に時空間を超えて宇宙的な広がりを持つ、ユダヤ的な比喩に託されたエピソードが美しい。それは本来、伝えられないものを伝える語りなのだ。 【池内紀氏評】 『朝日新聞』2002年10月20日(紹介) ナチスによるホロコースト直前のポーランド。ユダヤ人で作家の主人公は幼なじみのショーシャに再会し、まるで幼女のままの彼女との結婚生活が始まる。シンガーの小説ではいつも、登場人物がごく自然に真実を語る。ある女優が言う。「いつでも私の最悪の敵は私だったわ」。生きるとは何なのか、深く考えさせられる長編。 |
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リンク |
Nobel e-Museum Books and Writers Farrar,Straus and Giroux |