吉夏社(kikkasha)


【アメリカ文学・評論】


カバー写真

アイザック・B・シンガー研究
――二つの世界の狭間で

大崎ふみ子●著
四六判・上製・256頁
定価●本体2600円+税

ISBN978-4-907758-18-9


在庫あり







人の世の現実と滅びることのない世界
●〈イディッシュ文学、最後の大作家〉と評されているシンガー。永遠の世界への憧憬と創造主に対する抗議、神の世と人の世の現実、死者たちと生者、ユダヤ的価値観と非ユダヤ的価値観など、幾重にも重なった対照的な価値観の双方に目を向けながら生み出されていく、その独自の作品世界を考察。

[同じ著者によるシンガー作品の翻訳『ルブリンの魔術師』『ショーシャ』『悔悟者』『タイベレと彼女の悪魔』も小社から刊行されています]





著 者  

大崎ふみ子
 一九五三年生まれ。明治大学大学院文学研究科博士後期課程退学。現在、鶴見大学教授。
 著書に『国を持たない作家の文学』(神奈川新聞社)、主な論文に「ホロコースト後をいかに生きるか」(『ユダヤ系文学の歴史と現在』大阪教育図書)、「『荘園』から『ルブリンの魔術師』へ」(『鶴見大学紀要』)など、翻訳にアイザック・B・シンガー『ルブリンの魔術師』『ショーシャ』『悔悟者』『タイベレと彼女の悪魔』(いずれも吉夏社)、「死んだバイオリン弾き」(『エソルド座の怪人』早川書房)などがある。



シンガーについて  

アイザック・B・シンガー
Isaac Bashevis Singer

 一九〇四年、ポーランドのワルシャワ近郊でユダヤ教ハシディム派のラビの子として生まれる。二五年から、イディッシュによる短編小説を発表しはじめ、三五年に兄で作家のイスラエル・ジョシュア・シンガーをたよってアメリカへ渡る。その後もイディッシュで作品を書き続け、七四年に短編集『羽の冠』で二度目の全米図書賞を、七八年にはノーベル文学賞を受賞する。長編小説、短編小説、童話、回想録など、多数の作品が英訳されている。九一年、アメリカで歿。
 ユダヤ系アメリカ作家には他にソール・べロー、ノーマン・メイラー、バーナード、マラマッド、フィリップ・ロス、エイブラハム・カーンなどがいる。

主な著作
『短かい金曜日』『罠におちた男』『愛のイエントル』以上晶文社
『奴隷』河出書房新社
『羽の冠』新書館
『メイゼルとシュリメイゼル』冨山房
『敵、ある愛の物語』映画化・角川文庫
『よろこびの日』『お話を運んだ馬』『まぬけなワルシャワ紀行』『やぎと少年』以上岩波書店
『父の法廷』未知谷
『カフカの友と20の物語』彩流社、など

研究書・関連書
C・シンクレア『ユダヤ人の兄弟』晶文社
イスラエル・ザミラ『わが父アイザック・B・シンガー』旺史社
日本マラマッド協会編『ユダヤ系アメリカ短編の時空』北星堂
上田和夫『イディッシュ文化-東欧ユダヤ人のこころの遺産』三省堂
西成彦『イディッシュ-移動文学論』作品社、など



目 次  

はじめに
第一章 『ゴライの悪魔』──メシアをめぐる一つのモラル
第二章 『荘園』と『モスカット一族』──ポーランドのユダヤ人社会の崩壊
第三章 『ハドソン川に映る影』から『ルブリンの魔術師』へ
第四章 『敵たち、ある愛の物語』
第五章 『ショーシャ』──アーロンの「愚行」
第六章 『メシュガー』
第七章 「タイベレと彼女の悪魔」──天の記録保管所の物語
第八章 シンガーとイディッシュ
おわりに

本書で引用・言及した文献一覧
初出一覧



「おわりに」より  
 ……このようにシンガーは、聖性とは無縁に思える混乱した現実世界と、そこに生きた人々を描きながら、同時にその中に彼方の世界を織り込んでいく。そしてそうすることによって、私たちに、私たちが今生きている世界だけがすべてではなく、この世の論理を超えた、滅びることのない世界がありうることを想起させる。これがシンガー最大の特徴であり、また、作家としてもっとも優れた点であると考えられる。神の世界と人の世の現実をともに現前させること、それが可能であったからこそ、シンガーが生涯、妥協することのなかった神への強い抗議に私たち読者も共感できるのである。……




書評・紹介  

『毎日新聞』2010年3月14日(書評) 
《作品から生じる全光景に目をとめて》
 一冊の本を読む。あるいは数冊の読書から感想や印象を引き出すのが、通常の読書。研究の読書は、そうした一般社会の原則から離れたものである。邦訳があるかどうかといった枠にもとらわれず作品を読み、できるだけ広いところに立って価値を見定め、遠回りではあるが、そのことによって「社会」とのつながりを果たそうとするものである
 だから「ここがいい」「ここがおもしろい」というような、個人的なことばや感想が記されることはない。「愛する者、そしてすべてのはかない存在が、時を超えた存在者の胸に抱きとめられているという、悲しみをともなってはいるが、深く心にしみ渡る大きな慰めである」。本書のことばとは、こういうものである。要所においても、色づかいは地味である。だが全体を読んでいくと、文学についてとどめおくべきことがらが、よりたしかなものになっていることに気づく。すぐれた作品を前に人はどうしてきたか。そのあと、どんなことが起きるのか。作品という世界から生まれる、すべての光景に目をとめる。できるかぎり、こまやかに見る。それはいまや見失われた、読書の道筋でもあるのだ。
 【荒川洋治氏評】


『図書新聞』2010年4月24日号(書評)
《「時の消滅を阻む」作品世界の魅力
 ――シンガーの世界を読み解くまたとない手引き》
……抵抗と謙遜、信仰と懐疑、絶望と希望は私達の精神に同時に住まうことができる――。シンガーはそう述べて、だからこそ人間には自由になる選択が存在するのだと述べたのだった。
『悔悟者』のなかには、「ヒトラーが権力を得たときにイェシヴァ〔ユダヤ教の宗教専門学校〕がなんの役に立ったか?」ということばがある。二〇世紀の悪と信仰の問題を考えるとき、永遠の箴言のように響き続けることばである。ホロコーストは、シンガーが生まれたポーランドをはじめ東欧の各地にあったユダヤ共同体を根こそぎ破壊した。この共同体では、シンガーの父がそうだったように、現世ではなく、現世を越えた神の世がまことの世界であるとする世界観が古くから保たれてきた。だが、ホロコーストは現世の暴力でもって、この世界観をユダヤ共同体もろとも破壊した。
 人間に対する暴力と迫害が頂点に達したホロコーストを前に、神への抗議はとどまるところを知らない。現世を生きる人間は、なぜこれほど苦しまなければならないのか。シンガーは小説世界の随所でそう問いながら、苦しむ者たちへの共感と愛情をにじませる。そしてここに、冒頭にかかげた「私の書くものは実際、すべて回想録だ」ということばが生きている。彼は神に抗議しながらも、失われた世界の記憶を作品に湛えた。
 シンガーは一九七八年に発表した『ショーシャ』で、「文学の目的は時の消滅を阻むこと」だと書いた。このことばもまた、シンガーの小説世界が貫くモチーフを示している。一九八五年発表の「なぜヘイシェリクは生まれたのか」(『タイベレと彼女の悪魔』所収)では、「宇宙のどこかに、人間のあらゆる苦しみや自己犠牲の行為が保存されている記録保管所があるに違いない」と書いた。大崎氏は、この記録保管所にある物語を一つ一つ語ることによって、シンガーは「時の消滅を阻む」という目的を見事に果たしていると述べる。……
 【米田綱路氏評】


『出版ニュース』2010年4月中旬号(紹介)
 ……本書は、シンガーの独特な作品世界を考察する。永遠の世界への憧憬と創造主に対する抗議、神の世と人の世の現実、聖者と死者、ユダヤ的価値観と非ユダヤ的価値観などを対比させ、聖性とは無縁に思える混乱した現実世界と、そこに生きる人々を描くことを通じて、物語の中に彼方の世界を織り込んでゆく。ここでは、最初の長編小説『ゴライの悪魔』、ポーランドのユダヤ人社会を描いた『荘園』『モスカット一族』、アメリカに渡ったユダヤ人たちの物語『ハドソン川に映る影』などの作品に通底する今は亡きユダヤ人共同体の精神風土を浮き彫りにしてみせる。