 |
|
 |
 |
 |
「だんご三兄弟」が、空前のブームをまきおこした年、私達は3人目の子供を授かった。上の子供は2人とも”やんちゃ”を絵にしたような男の子。
「どうか、おとなしい女の子を・・」と望むのも無理からぬこと。
(生まれてしまえばどちらでも同じこと。この子でよかったと思うのですが。)
産婦人科の検診の度、先生に尋ねるが先生は笑って教えてくれない。
里帰り出産だったので、病院が変わり、先生に聞いてみると、
「男の子だよ」
思わず笑っちゃって「欲しかったの?よかったね」なんていわれちゃう始末。
車で子供達と終わるのを待っていた主人に伝えると、
こちらもしばらく笑って会話にならない。
「そんな気はしたんだよな」と、やっとの第一声。
その後、「男の子?女の子?」と聞かれるたびに、「だんご三兄弟なの」と笑いながらこたえていたっけ。 |
 |
 |
長男が生まれたときは、当然のように主人が名づけた。次男の時、頑張って私も挑戦と意気込んだが、あまりに字画やらがややこしくて、結局主人に泣きついた。
今度こそと、気合十分の三人目。このときはスムーズにきまった。
スムーズすぎて、7ヶ月位から決まっていた。「恵」と言う字をつけたかった。
めぐむ・・。
人から何かを与えられる。そういう意味もあるけど、私は
「人に何かを与ることの出来る」存在であって欲しいと思っていた。
そうして「恵太」と名づけた。
早く決まったことで、上の子供達も「恵太」と呼びかけ、お腹をなでるようになっていた。僕達の弟だと自覚したようで、やきもちも赤ちゃんがえりも心配なさそうだった。
みんなで、名前を呼ぶたびに、恵太に会えるのが楽しみになっていった。 |
 |
 |
出産予定日は、5月14日。「まだ二週間あるよなぁ」と三人目の貫禄か、のんきに構えていた4月の28日。朝方4時位から、ちょっとお腹が痛い。「食べすぎかな」と、夕食の内容を反省しつつトイレへ。再び目覚めた5時すぎ。
「こりゃ本当に陣痛かも」半信半疑ながら、しばし耐える。6時すぎ「あー、やっぱり陣痛」と確信して病院へ
例の処置やらもろもろ終わって「いきみたくなったら教えてね」と看護婦さん。
「あの〜もういきみたいんですけど・・」
「どれどれ、今来たばっかりでしょ。そんなに早く・・わぁ大変!頭が出てきた!!まだいきまないで〜。先生ー!!」
というわけで、午前8時5分、3070gで三男恵太誕生! |
 |
 |
子供って、自分より小さい「赤ちゃん」という存在が大好き。
当時、2歳の次男も例に漏れず「きーたん、かわいいね」といっては、頭やほっぺを触りまくり。危ないことはしないので、そのままにさせていたら、今度は私や主人の頭やほっぺも触りまくり。すっかり、サワリ魔になってしまった。
(後に恵太が「きーたん」と呼ばれるきっかけを作ったのが、舌足らずだった次男。「かわいいね、きーたん」と言ったのを、私が気に入ってそれ以降、「きーたん」「たんたん」「たんちゃん」「きーちゃん」と様々なバリエーションになり、恵太はどれにも反応するようになった。本当の名前を知っていたのだろうか?) |
 |
 |
恵太を生んだ産院は、24時間後母子同室だった。楽なお産のせいもあり、軽い自分にウキウキしながら恵太を迎えた。ここから母親には、ほぼ3ヶ月の間、3時間毎の授乳やらの生活が始まる。いくら可愛い我が子とは言っても・・、である。ふつうなら。
ところが恵太の場合、もう泣いてても何してても可愛くて、しょうがなかった。三人目の余裕なのか、夜泣きだろうがなんだろうが、つらいなぁと思うことは1度もなかった。
(上の子供達の時には、しっかり「つらいなぁ」と思ってました)
親ばかなのかも知れないなと思いつつ「きーたん」と呼ぶ声は、1オクターブ高かった。まさに「ねこっかわいがり」を地でいっていた。主人も、1週間に1度は会いに来ていた(実家までは、往復1000kmの道のりなのに)。彼もまけじと、ねこっかわいがり。 |
|
 |