日記:2009年1月
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1月31日(土)

 朝から良く晴れて、寒い一日だった。
 今日は、午後1時15分から北海道自治体学会運営委員会(2008年度第4回)があった。本年度に入ってから仕事とぶつかって欠席ばかりだったので、今回は出席するつもりだったが、宿直当番がほぼ徹夜になってしまったためとても昼からの会議に出席する体力がなく、欠席を余儀なくされた。やはり、快眠は健康にとって不可欠の前提である。介護や看護の職場等、夜勤があると体力的に持たないとの理由で敬遠されるのは当然のことだと思う。
 夕方になってようやく眠気が取れたので、蠍座で「シークレット・サンシャイン」を見る。亡夫の出身地である密陽に小学校低学年程度とおぼしき息子を連れて引っ越してきた38歳の女性がピアノ教室を開いて新しい生活をはじめるが、間もなく息子は誘拐され、殺されてしまう。その悲劇から彼女はどう立ち上がるのか・・・。元々謎めいた主人公のキャラクターが、悲劇の中で増幅されて、とても面白かった。
 さらに、西沢内科胃腸科クリニック(北16東16)でピロリ菌の検査を受けた。40台以上では7〜8割が感染しており、胃ガンの発生リスクが5倍になるとのことなので、ピロリ菌に感染しているなら除菌しておこうと考えたのだ。血液中の抗体を検査するとのことで、採血して週明けに検査結果を聞くことになった。


1月30日(金)  宿直当番

 今日朝から天気が良く、気温も上がって春の訪れを感じる一日だった。
 午後5時半過ぎから、宿直当番のため宿泊モードに入る。前回、前々回の宿直は、全道的に天候が大荒れで警報が出ている最中だったので、大忙しだったが、今回は気象は落ち着いていたので比較的楽なはずだったが、仮眠室が寒く、また夜中に震度3の地震があって起こされたため、結局ほとんど熟睡することができないまま朝を迎えた。おかげで、体調ががたがたになってしまった。



1月29日(木)  キューバ映画祭プレイベント

 今日は良く晴れて、寒い朝を迎えた。それでも、日差しが明るく感じられ、冬が終わりに近づいてきていることをこの冬になって初めて感じた。
 仕事の方は、大きな山を今日も二つ越え、着実に収束の方向に向かっている。午後7時前に職場を出て、狸小路6丁目の「HABANA」で開催されたキューバ映画祭のプレイベントに参加する。キューバの農業に関して、はるきちオーガニックファーム(石狩市)のIさんから報告を聞いた。キューバはソビエト連邦崩壊後、経済的な苦境を乗り切るため有機農業に取り組み、自給率100%を達成しているとのことである。首都のハバナでも空き地を利用して有機農業が行われており、苗の段階で虫害を防ぐことにより、農薬を使わなくてもほとんど虫に食われることがなく、立派な野菜が育っているとのことだ。
 午後9時半過ぎに会場を出て、真っ直ぐに帰宅した。



1月28日(水)  早朝1時間スト

 薄曇の、肌寒い朝を迎えた。
午後6時から、教育文化会館(北1西13)で開催された、「現代日本の貧困と格差を考える」に出席する。講師の本田由紀氏(東京大学教授)のお話しは、一度聴いてみたいと思っていたので、良い機会だった。400名程度入ると思われる小ホールは満員で、最後に会場からの質疑応答で今後の日本社会のあるべき方向について問われたとき、本田教授から「課税の累進制を高め、余裕のある人から余裕のない人々に分配することが必要」という発言があり、会場のあちらこちらから拍手が上がった。
 午後9時少し前に会場を出て、西11丁目駅から地下鉄に乗って帰宅した。


1月27日(火)  Kさん引越し

 今日も、朝からよく晴れて寒い一日だった。日中は、仕事の関係で慌ただしく過ごした。午後5時40分から、明日のストについて打合せを行う。セレモニー化したストなので、組合の担当者は大騒ぎしているが、全然気持ちが入らない。
 午後6時過ぎに職場を出て、帰宅する途中、Kさんから電話がかかってくる。Kさんは、今日が新潟市への引っ越しの日だと思っていたのだが、引っ越しは明日なので夕食でも一緒にどうかということになった。Kさんは完全な菜食主義者なので、大通り西6丁目にある「ベジカフェ・まーくる」で野菜ディナー(2,500円)と、富良野産の「羆ワイン」をいただく。午後8時過ぎに店を出て、タクシーで「みんたる」へ。午後10時に店を出て、私のマンションで四方山話をして名残を惜しんだ。零時過ぎに、マンションの前で見送った。


1月26日(月)  Aさん壮行会

 朝から良く晴れて、寒い一日だった。この時期に寒いのは当たり前だが、行動範囲は確実に狭まる。寒い屋外での雪かきは健康面でも心配があり、本道の冬はつくづく過酷だと思う。
 午後5時50分から、高田屋「北3条店」(北3西3)で開催されたAさんの壮行会に出席する。高田屋は、最近あまり使わなくなったが、久しぶりに足を運ぶと、広々として落ち着いた雰囲気で、それ程悪くない。午後8時半ころ散会して帰路に着いた。


1月25日(日)  反貧困プロジェクト

 朝から天気が良く、冷え込んだ一日だった。
 基本的には骨休めをして過ごしたが、午後6時半から、エルプラザ4階で開催された「反貧困プロジェクト」の打ち合わせに出席する。午後9時までかけて検討を進め、2009年度の講座として、「STOP!貧困の再生産〜子どもの貧困」、体験と学び「貧困を知り、貧困をのりこえる」の2つを行うという案が固まった。講座の中では、NPO法人地域生活ネットワークサロンのHさん、体験と学びでは、素人の乱のMさんを招いたり、貧困ビジネスやネットカフェ難民の実態を調べたりという内容で、なかなか面白くなりそうだ。



1月24日(土)  チネマ☆ゆう

 昨日とは打って替わって日差しのまぶしい朝を迎えた。気温はグッと下がって寒くなった。
 午前6時半過ぎに目覚めて、ドーミーイン札幌の向かいにあるアネックス館1階の食事処「旅籠」で朝食をいただき、2階の大浴場で入浴する。その後、本館の部屋に戻って一休みし、午前9時40分ころチェックアウトした。「狸小路6丁目辺りに住んでいれば、休みの日はこんな感じで過ごすのかな?」と思うと、いつもとは気分が違い、同じ札幌市内でわざわざホテルに泊まった意義は十分あったと思う。
 午後6時から、自由学校「遊」で開催された「チネマ☆ゆう」に出席する。午後8時過ぎに終了して、真っ直ぐに帰宅した。


1月23日(金)  ドーミーイン札幌に宿泊

 朝から雨交じりの強い風が吹いて、荒れた空模様だった。
 昨夜は熟睡できたが、21日(水)の夜はほぼ徹夜になったため、寝不足が蓄積している感じである。そこで今夜は、狸小路6丁目にある「ドーミーイン札幌」に宿泊し、骨休めすることにした。ここの大浴場は温泉であり蓄積した疲れが取れる感じである。
 午後10時ころ、某氏から「札幌駅北口に向かっているので一緒に飲まないか?」との誘いがあったが丁重にお断りし、午後11時ころ就寝した。


1月22日(木)

 午前5時半から6時半まで1時間は眠ったが、寝不足でスッキリしない。一旦は7時50分にまだ寝ているHさん、Mさんの二人を残してマンションを出たが、目の奥がジーンと痛む感じでとても目を開けていられない。昨年の暮れから目の調子が悪いので、この機会に精密検査を受けることにして午前中は年休を取得し、ステラプレイスイースト6階の「かねこ眼科クリニック」で検査を受けた。入念に視力、眼圧、視野、眼底の検査を受けたがいずれも問題なく、眼鏡も合っているので、眼精疲労のことで点眼薬を処方された。目の病気が心配なので、この機会に精密検査を受けることができて良かった。
 Kさん、Mさんとは大丸7階のイノダコーヒーで遅い朝食を一緒にいただいた。
 午後からは、気力を振り絞って条例のパブリックコメントに対する意見を整理した。
 午後5時半過ぎに職場を出て、真っ直ぐ帰宅し、入浴して汗を流してようやく人心地付いた感じである。今日は、午後6時半からDO!21の例会があったが、とても起きていられる状態ではなく、残念ながら欠席させていただいた。


1月21日(水)  Kさん送別会

 大荒れだった昨夜からは一転して、今日は風もなく穏やかな空模様の一日だった。
 午後1時半から総合防災訓練があり参加した。この手の訓練は、緊迫感がないので、結局のところ身につかない感じがする。
 午後7時10分にJR札幌駅北口のサンクス前で待ち合わせ、Sさんの車でSさんのお母さんがオーナーのスナック(北32条東1丁目?)に移動する。そこで来週27日(火)に新潟市に引っ越すKさんの送別会を開催する。その店で午後1時までとことん飲み、その後、私のマンションに移動して、Kさんを含め5名でさらに飲んだ。午前5時過ぎにようやく寝ることにして、Kさん、Mさんを30階のゲストルームに送り届け、Hさん、Mさんの2名は私の部屋のリビングルームで寝てもらった。



1月20日(火)  第5回検討懇談会

 朝から雪が降っていたが、昼過ぎから一層大降りになり、荒れた空模様の一日だった。
 今日は、午後2時から、条例の検討湖南会があり、昼過ぎからは会場の設営を行った。午後3時に会議が無事終了したのでホッとした。終業後、懇談会の座長を囲んで、読売ビル(北4西4)3階の「魚民」で打ち上げを行う。午後9時に散会して、帰宅した。少々飲み過ぎで気分が悪くなったが、夜中には酔いが醒めて寝付けなくなった。
 米国では、バラク・オバマ氏が第44代大統領に就任した。ブッシュ大統領の時代に、イラク侵攻やサブプライムローン問題など負の遺産を数多く残したが、オバマ大統領の時代に、それらの問題に解決の方向は見えるのだろうか?


1月19日(月)

 薄曇の朝を迎え、天候不順な一日だった。
日中は、明日の午後から開催する条例の検討懇談会の準備をしているうちに一日が過ぎてしまった。明日は、第5回目となる検討懇談会も最終回になるので、それが終われば少し落ち着くはずである。
 会議の準備が一区切り付いたので、午後7時半過ぎに職場を出て帰路に着いた。帰宅後、生協北12条店に買い物に出かけたが、冷たい風が吹いて震え上がるような寒さだったので、途中でめげて「フレッツ」で食品を買って帰った。



1月18日(日)

 朝から天気が良く、寒い一日だった。
 風邪気味で体調がすぐれず、休養に努めて過ごしたので、特に何もない。日中の睡眠時間では、ここ数年の中でも屈指の長さだったのではないだろうか。日中寝すぎると、夜は目が冴えて昼夜逆転するものだが、今日はそんなこともなく。いつもより早く、午後10時半過ぎに就寝した。


1月17日(土)

 朝から天気が良く、寒い一日だった。
 17日(土) 昨日の午後1時からの条例審査の結果如何では、土日が完全に潰れることを覚悟してただけに、ゆっくり休めることがとても有り難く感じられる。思えば、まったく仕事を抱えずに週末を迎えたのは昨年の7月以来である。気持ちが緩んで、退屈してしまったくらいである。


1月16日(金)

 今日も、朝から天気が良く、寒い一日だった。午後1時から、条例の審査があり、どうなることかと心配していたが、特に質問もなくあっさりと終わったので一安心した。土日が潰れることを覚悟していたので、何だか得をした気分である。しかしながら、来週20日(火)の会議が終わるまでは息が抜けないところである。さらに、パブリックコメントの結果についても早急に公表する必要があり、今月は慌ただしいままに過ぎてしまいそうだ。来月になれば議会もはじまり、そちらの方ももう一仕事残っている。時間が過ぎ去るのは惜しいが、現在の仕事は早くけりを付けたいものだ。


1月15日(木)

  朝から天気が良く、寒い一日だった。真冬だから寒いのは当たり前だが、今年は九州でも雪が降ったりして、全国的には厳冬のようだ。相変わらず仕事に追われて慌ただしく過ごしたが、一つの山である明日(16日)に向けての準備は終わっているので、午後6時半には職場を出て帰路に着いた。明日16日に宿題が出れば、土日が完全に潰れることになりかねないので、今日は仕事のことは忘れて、気分転換に努めて過ごした。


1月14日(水)

 朝から天気が良く、寒い一日だった。今日も一日中、仕事に追われて過ごした。年明けからずっと仕事に追われているので、精神的な疲れを感じる。午後9時過ぎに職場を出て、大丸8階レストラン街の「讃兵衛」で遅い夕食をいただいた。比較的空いているため注文したものがすぐに出てくるし、量が少な目なので遅い時間にはちょうど良いのだ。
明後日(16日)の午後になれば大きな仕事が一つ終わる。週末ゆっくり休めるかどうか、心配なような楽しみなような微妙な気持ちだ。


1月13日(火)  みんたる開店

 朝から薄日が差してはいたが、寒い一日だった。連休早々、仕事の方は待ったなしで、一日中息を吐く暇もなく過ごした。
 午後7時に職場を出て帰路に着いた。「みんたる」が今日から新年の営業を始めたので、早速足を運んだ。最近、「みんたる」の近くに引っ越してきた、Hさんが来ていた。相変わらず、にぎやかで面白い人だ。
 午後9時前に店を出て、生協北12条店で買い物をしてから帰宅した。


1月12日(月)  成人の日

 朝は晴れていたが、昼前から雲がかかって、結局日差しを浴びることなく過ぎた一日だった。今日は成人の日で、各地の成人式の様子が放映されていたが、九州でも雪が降っており、全国的に厳しい冬型の空模様になったようだ。島根県の映像で、車が雪まみれになっているのを見ると、雪というものは本当に厄介なものだと痛感する。雪の始末に追われるような状態は、本当にゾッとする。いつもより早く、午後11時半に就寝した。


1月11日(日)  自由学校「遊」新年会

 朝から雪が降って、寒い一日だった。
 午後2時過ぎにKさんが訪ねてきたので、部屋で「こもれびコーヒー」をいただいてから地下鉄で北24条駅へ向かい、午後4時から、はくようクラブ(北23西5)で開催された自由学校「遊」の新年会に出席する。
 30名余りが参加し、盛況だったが「遊」に様々な形で関わっている人たちなので、意外と初めて顔を合わせる人が多かった。午後4時を少し過ぎたころ、Hさんがやってきた。彼女は、人が集まることのできる「図書館」を作りたいという。いろいろな人が持っている本とお金を出し合ってそれを作るのだそうだ。「それでは決まった収入がないのではないか。」というと、「それはそうですね。」と平気で言う。普通は最初から「無理」と諦めることを大真面目で考えるHさんは、今どき珍しい面白い人だ。新年早々、大きな夢を聞くことができて、とても愉快な気持ちになった。
 午後7時に散会後、Kさんと大丸8階の「讃兵衛」」でうどんをいただき、午後8時に別れた。


1月10日(土)

 日中は気温が上がって、比較的暖かかったが、夕方以降は雪が降って厳しい空模様となり、如何にも冬らしい一日だった。
 今日から3連休なので、部屋の掃除をしたり、新年会の飲み会の会場を探したりする。仕事の方の目処が付いてきたので、少しそうしたことを考える気持ちが出てきた。



1月9日(金)

 朝から気温が低く、寒い一日だった。
 今日も一日中仕事に追われ、目処がついたのは午後4時になってからのことである。それ以外にも、パブリックコメントの結果の公表や条例の検討懇談会を開催しなけらばならず、3人分の仕事をいっぺんにこなしている感じだ。
 結局、午後10時まで残業し、明日からの3連休開けに備えて仕事を処理した。


1月8日(木)

 今日は良く晴れてはいるものの、厳しく冷え込んだ一日だった。
 条例案が固まったので、関連する資料を訂正しているうちにどんどん時間が過ぎてしまう。相変わらず、仕事に追われて過ごした。
 それでも、今日はそれほど遅くならず、午後7時半には職場を出て帰路に着いた。年明け早々、日中はハードな仕事が続いて疲れが溜まっているので、今日も早めに就寝した。


1月7日(水)

 朝から粉雪が降って、寒い一日だった。
 仕事の方は、午前中にようやく条例案が整理できたので、午後からは説明資料づくりに取り組んだ。この手の資料は、どこまで行っても限度がないところがある。結局、午後9時過ぎまで残業となった。
 大丸8階の「讃兵衛」で定食をいただき、午後10時近くに帰宅した。ここのところ睡眠時間が不足しているので、午後11時半ころには前後不覚の眠りに入った。


1月6日(火)

 朝から粉雪が舞って、寒い一日だった。
 仕事の方も朝から忙しく、目の前の仕事を片っ端から処理しているうちにアッという間に過ぎた一日だった。
 今日は久々に残業せず、午後6時前に職場を出てKさんと一杯やる。Kさんは、今月末に転勤のため新潟市に引っ越すことになったので、送別の飲み会である。大丸8階の「ザ・ブッフェ」で午後9時まで飲んで、その後私のマンションで「ベーシックインカム勉強会」の今後のことなどについて話しをした。午前0時に、Kさんをマンションの玄関先で見送った。


1月5日(月)

 薄曇の朝を迎えた。日中の最高気温もマイナス1度と真冬日になり、寒い一日だった。
 今日から仕事始めだが、一日中息つく間もなく仕事をしていた。
 午後6時半から、自由学校「遊」の企画会議に参加したかったのだが、当然のように残業となり、帰宅したのは午後10時過ぎになってからである。


1月4日(日)

 年末年始の休暇も今日で終わりである。
 気温は低いものの薄っすらと日が差して、穏やかな一日だった。サッポロドラックストアーや北12条生協で明日以降の食料品を購入した以外には、特に何をすることもなく過ごした一日だった。
 明日以降は慌しくなるため、早めに就寝したが、結局あまり熟睡できなかった。


1月3日(土)  初売り

 午前9時半に起床し、外を見ると粉雪が舞っていた。
 頭痛は治まったものの首筋の疲れと眼がショボショボする感じが取れず、休養に努めて過ごした。大丸の初売りものぞいたが、特に急いで買う必要があるものもなく、パジャマを買っただけである。
 午後6時から、Aさんと大丸8階の「讃兵衛」で夕食をいただき。その後、いろいろと話をして午後9時ころ別れて帰宅した。



1月2日(金)

 昨日の朝から始まった頭痛は、大分緩和したもののまだ続いており、どうにも体調が優れない。それでも、運動不足にならないよう屋外を歩くことに努めた。昼からは天気が良く、日差しがまぶしい一日とまった。
 午後7時過ぎになるとようやく頭痛が治まり、ホッとする。やはり、体調が良いことが幸福の条件だ。早く寝るつもりだったが、結局深夜の正月映画を見てしまい、就寝したのは午前4時過ぎになった。明日からは、生活のリズムを朝方に戻したい。


1月1日(木)  イントゥ・ザ・ワイルドを見る

 午前1時半から5時45分まで、「朝まで生テレビ」を見ていた。今年の中心テーマは「派遣切り」に代表される雇用問題だった。内需拡大、新規成長分野への集中投資というお決まりの話になり、期待はずれだった。
 明け方から頭痛がしてきて、一日中悩まされた。体調が悪いと、やはり健康が一番だと思う。
 午後5時40分から、蠍座で「イントゥ・ザ・ワイルド」を見る。優秀で繊細な米国の青年が、大学卒業直後に自分探しの旅に出かけ、2年後にアラスカの荒野で餓死するまでの物語である。最後に、「幸福は誰かと分かち合ってこそ意味がある。」と悟った場面は、とても印象的だった。