日記:2009年12月
12月31日(木)
夜半に雪が降り除雪車が通ったため、朝は融雪機を使って玄関前の雪を片付けた。
午後2時から職場に出て、午後4時まで携帯電話の充電をしながら事務処理を行った。思いの外仕事がはかどり、年明けは落ち着いて仕事ができそうだ。
夕食は「年越しソバ」をいただき、いつも通りの年越しだった。例年なら、「朝まで生テレビ」を見て過ごすのだが。最近は、評論家の意見も聞き飽きた感じで、今年は早めに寝てしまった。
12月30日(水) 大掃除
歩道は凍って歩きにくかったが、雪はほとんど降らず、比較的穏やかな一日だった。
午後2時半から、蠍座で「南極料理人」を見る。これを見ると無性にラーメンが食べたくなり、地下街でラーメンをいただいた。
その後、大丸で名古屋のNIさんにお土産を送った。
12月29日(火) HACHI
朝から良く晴れて、久々に日差しのまぶしい一日だった。
二日酔いのせいか午前中は珍しく頭痛がして、気分が優れなかった。
午後4時45分から、蠍座で「HACHI 約束の犬」を見る。午後6時半に終了後、部屋の片づけを行った。
12月28日(月) 仕事納めの飲み会
寒さがようやくゆるみ、路面を覆っていた雪もようやく溶けてきた。
今日は仕事納めだが、大掃除をした以外は、仕事の片付けに追われて過ごした一日だった。
午後6時から、パーティースペース「CHIMATA(チマタ)」(北1西3札幌中央ビル3階)で開催された職場の仕事納めの飲み会に参加し、午後9時に散会して帰宅した。
12月27日(日)
夜半に雪が降ったようだが、日中は穏やかな一日だった。
午後10時から、NHK教育テレビで、「シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」第9回 朝鮮通信使 和解のために」を見る。レポーターは声楽家の田月仙さんだ。秀吉の朝鮮出兵は、当時としては極めて甚大な被害を朝鮮半島にもたらした。朝鮮通信使は、徳川幕府の将軍が交代した際に来ていたようだが、江戸との往復の道中、文化的な交流によって平和の維持に役立ったという評価がされていた。
12月26日(土)
粉雪のちらつく冬らしい一日だった。
昼過ぎから姉を交えて、今後のことを話し合った。先ずは要介護認定を受け、デイサービスなどを利用しながらやっていくのが良いのではないかということに話しが落ち着いた。
12月25日(金) 要介護認定の申請
宿直明けなので、昼過ぎから年休を取得する。
午後3時過ぎに、「ケアハウスゆうあい」に足を運び、施設の職員と面談し、さらにケアマネージャーとも面談を行って要介護認定の申請手続きを始めた。
来月中旬に調査員との面談があり、2月中旬くらいに判定結果が出るようだ。
12月24日(木) 宿直当番
朝から良く晴れて、穏やかな一日だった。
今日も、片っ端から仕事を片付けて過ごした。
午後5時半から、宿直当番になる。今日はクリスマスイブなので、流石に遅くまで残っている人はおらず、かえって集中できて書類の整理が進んだ。
12月23日(水) 天皇誕生日
朝から晴れてはいたが、寒い一日だった。
昼前に姉を交え、父の今後の対応について話し合う。姉が入院して胃の検査を受けられる病院について調べ、私が、「ケアハウスゆうあい」への入所について手続きを確認することになった。
午後6時ころから『坂の上の雲(第8巻)』を読み、午前1時ころまでかかって読み終えた。
その後、「ケアハウスゆうあい」のホームページから利用申込書をダウンロードし、書類の作成に取り組み、気がつくと午前4時になっていた。
12月22日(火)
今日は朝から晴れていたが、日中も気温が上がらず寒い一日だった。
午後6時から大丸で「パールモンドール」のクリスマスケーキを受け取り、野幌まで持って行った。12月12日に江別市立病院から退院してきた父が、急に老け込んだ様子でこれまでのように暮らして行くのは難しい状態になっていることを実感する。
今日も『坂の上の雲(第7巻)』を読み、午前3時ころまでかかって読み終えた。
12月21日(月)
出勤時に外に出ると、昨夜はけっこう雪が降ったと見えて、足のくるぶしの所くらいまで雪が積もっていた。相変わらず真冬日で寒い一日だったが、それ以上に職場が寒くて参ってしまった。暖房費を節減しているためだろうと思うが、空調の良くない古い建物なので、一定程度以下に室温を下げると、足下に冷たい空気が淀むようだ。
12月20日(日) 『坂の上の雲』(第5巻)
寒さは少し緩んだものの、昼過ぎからは雪がちらついて、寒い一日だった。
午後7時前から、大丸8階のBooks&Cafeで、『坂の上の雲』(第4巻)の残り4分の1を読み終えた。午後8時から、NHKで「坂の上の雲」のテレビ番組を見る。こちらは、日清戦争で乃木希典が旅団長として旅順要塞を1日で攻略したところで終わった。その後は、『坂の上の雲』(第5巻)を読み、午前3時過ぎまでかかって読み終えた。主な内容は、203高地の攻略とステッセルの降伏、バルチック艦隊の大航海であり、203高地の攻略によって戦局が日本の勝利に傾いたことが分かる。
12月19日(土) SA先生宅訪問
一時雪がちらついたものの、全般的には良く晴れて冷え込んだ一日だった。
午前10時から日之出歯科診療所で、右下6番の治療を受ける。仮歯を装着して、一応噛めるようにはなったが、鈍い痛みが残っており、なかなか完治しない。
午後2時から、JUさん、FUさんを乗せて恵庭のSA先生宅に向かう。エコビレッジで収穫した米10kgをお歳暮として届け、午後5時半過ぎまでいろいろとお話しをうかがう。高速道路を使って午後6時半ころ札幌に到着した。
12月18日(金) 職場の忘年会
今日も寒い一日だった。
机の周りが書類の山になっているので、大掃除に向けて不要な書類の片付けに取り掛かった。水防計画修正、来年以降のスケジュール入力
午後6時から、「坐・和民」(南1西4)で開催された職場の忘年会に参加する。午後8時半過ぎに散会し、真っ直ぐに帰路に着いた。途中、大丸のBooks&Cafeで『坂の上の雲』第4巻を読みはじめ、午後10時までかかって半分まで読み終えた。
12月17日(木)
朝から薄日は差すものの真冬日となり、寒い一日だった。
一連の仕事は昨日でひと段落したのだが、次から次へと調査物が入り、新しい仕事ができる。仕事のための仕事と思える内容が少なくなく、パーキンソンの法則を思い出す。
帰宅途中、大丸の「BOOKs&Cafe」で『坂の上の雲』を読み、第3巻をざっと読み終えた。黄海海戦が終わり、旅順要塞の攻略戦がはじまる辺りまでだ。全部で8巻ある大作だが、年末年始に読み終えることができればと思う。
12月16日(水)
朝から曇り空で、寒い一日だった。職場の暖房が節約のためか十分に入っておらず、職場にいても凍えている状態だ。
午前11時から来客対応、午後4時から研修会の講師を勤め、その間溜まった仕事を処理する。
昨日斜め読みした『私の人生流儀』(本多静六著)が気に入ったので購入し、午前1じまでかかって読み終えた。
12月15日(火)
街はすっかり雪化粧をして、本格的な冬の到来を実感する寒い一日だった。
朝一番でホームページをアップし、その後は、期限の迫った調査ものや、明日の打ち合わせや講演の資料作りに追われて過ごした。
帰宅途中、弘栄堂書店で『私の人生流儀』(本多静六著)を読む。1866年生まれで1952年(昭和27年)まで生きた本多静六氏は、東大教授として造園の研究をする傍ら、倹約と投資によって百億円を超える資産を築き、85歳で亡くなるまでに370冊を著すなど、この上なく充実した人生を送った人物である。元気一杯に生きる秘訣は、強烈な自我を持つことではないかと思う。
12月14日(月)
薄日が差すものの気温がグッと下がり、寒い一日だった。
明日から入札の公告を行うので、今日は久々にホームページの作成に取り組んだ。しばらくやらないと忘れてしまうが、一通りは自分でやったことがあるので、時間をかければ何とかなる。夕方になって、何とか準備が整ったのでホッとした。
帰宅後、野幌に足を運び、様子を見てきた。一昨日の退院直後よりはかなり落ち着いた感じだが、もうしばらく様子を見る必要があると思う。
12月13日(日) エコビレッジ体験塾ご苦労さん会
朝から晴れてはいるものの冷たい風が吹いて、寒い一日だった。
午前11時ころ、SAさんとFUさんをマンション前で乗せ、さらにMIさんを環状通りで乗せてコモンハウスへ向かう。
昼過ぎからは、堆肥の切り返しやコモンハウスの清掃を行い、午後5時半から、栗山町の「味道広路(あじどころ)」で開催された「エコビレッジ体験塾ご苦労さん会」に参加する。古民家を改造した趣のある内装で隠れ家的な雰囲気だ。
午後8時半過ぎに店を出て、地下手鉄「環状通東駅」の近くにある「にぱぱ」に立ち寄って、午後10時過ぎにJR札幌駅北口でSAさん、FUさんを降ろした。
12月12日(土)
朝から雨が降って、一日中パッとしない空模様の一日だった。
午前10時半過ぎに、今日退院する父を迎えに江別市立病院へ足を運び午前11時過ぎに実家に到着する。この春、大野病院から退院してきたときとは違って、これからはこうした病院との往復が増えそうだ。
ビックカメラで、「いきなりPDF7」を購入し、幾つかのファイルをPDFに変換してみたが、予想していた以上に簡単にできるのでホッとした。
12月10日(木)
朝から良く晴れており、寒くなることが予想されていたが、あまり外出しなかったためそれほど寒さは感じなかった。
長い間、処理に時間があかかっていた某計画に目処が付いたので、他の比較的軽微な事項も処理が進み始めた。この調子で、早めに処理が進めば、年明け以降気楽に過ごすことができるはずだ。
12月9日(水)
朝から日が差して、穏やかな一日だった。
今日は江別市立病院で医師との面談があり、10月23日から入院していた父が、12日(土)に退院するので、朝10時半に迎えにいくことになった。
午後6時40分から、蠍座で「愛を読むひと」を見た。筋書きに無理があり、意味不明の作品だった。
12月8日(火) DO!21望年会
今日も、朝からどんよりと曇って寒い一日だった。
午後6時半から、「みんたる」で開催された「DO!21望年会」に参加する。最初に、シャキナさんからバングラディッシュのお話しをうかがい、その後、バングラデシュ料理を囲んで忘年会となる。バングラデシュ料理といっても特別なものではなく、玉子のカレー、チキンカレー、サラダ、揚げ物程度のものだ。
午後9時過ぎに散会して帰宅し、大豆の殻をむいているうちに11時を過ぎてしまった。
12月7日(月)
一日中、どんよりと曇って底冷えのする一日だった。
仕事の方は、これまで未経験の物品の購入手続きに追われ、慌ただしく日中の時間が過ぎてしまった。
午後7時から、大丸8階の「北の麩庵」でKAさんと夕食をいただき、姓名判断を受ける。私の場合、今年は内面を見つめ学習する時期で、来年は収穫期になるそうだ。気休めかも知れないが、かなり精神的に癒された感じがする。
12月6日(日)
風が強く寒かったが、薄日が差す一日だった。
午前10時過ぎから、コモンハウスに集合し、籾殻を燃やして土壌改良用の炭にする作業を行う。籾殻を焼く煙に燻され続けたので、すっかり燻製くさくなってしまった。午後1時半過ぎに遅い昼食後、ビニールハウスの骨組みを補強する作業を行った。
午後5時半ころコモンハウスを出て、SAさんを乗せて札幌へ向かう。途中、環状通の「パイン館」でカプチーノをいただき、7時半過ぎにエルプラザ前でSAさんを降ろした。
12月5日(土) スライド&トークライブ
朝はそれ程悪天候でもなかったが、昼過ぎから次第に雨風が強くなり、全道的にも大荒れの天候となった。
朝9時から、日之出歯科医院で右下6番の歯の治療を受ける。抜髄後、感染したりしてなかなか痛みが取れなかったのだが、かなり状態は良くなっているとのことで、次回以降冠の装着に取りかかれるようなら年内に治療が終わるかも知れない。
午後1時から3時45分まで、中島公園のパークホテルで開催された集まりに出席する。その後、一旦マンションに引き返して、午後5時過ぎに中島公園方面に引き返し、午後6時半から8時40分過ぎまで「あじと2」で開催された、「スライド&トークライブ」に参加した。
12月4日(金)
朝から良く晴れた一日だった。
年内に処理する仕事が重なっているので、息苦しい日々が続いているが、何とか来週を乗り切りたい。
午後6時半過ぎから職場の同僚と、富士ビル地下1階の居酒屋「ちょくちょく」で一杯やり、午後8時過ぎに散会して帰宅した。
12月3日(木) 全体ミーティング
朝からどんよりと曇った一日で、昨日ほどではないが寒かった。
12月に入って、年内に片付けなければならない仕事を片っ端から片付けた。かなりハイペースで処理できたと思う。
午後6時半から、私のマンションでエコビレッジ体験塾の全体ミーティングを開催した。
午後10時50分ころ散会し、マンション前で見送った。
12月2日(水)
朝から良く晴れて、寒い一日だった。
北海道水防計画の修正作業に取り組み、夕方になってようやく完成に漕ぎ着けた。
12月1日(火)
今日も寒い一日だったが、既に真冬の時期なので、寒いのは当然と言えば当然だ。
今日も朝から計画の修正作業を行い、午後3時過ぎに一応の形を仕上げることができた。
午後6時から、日之出歯科診療所で右下6番の根管治療を受ける。神経を抜いた部分が感染しているのだが、ようやく排膿が治まったので、今月中に冠を装着して一連の治療が終わる目途が付いた。思えば、今年のゴールデンウイーク前から悩まされた歯なので、早く通院から解放されたいものだ。