日記:2009年3月
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3月31日(火)  送別会

 薄い雲がかかって、肌寒い朝を迎えた。
 午後6時半から、ポールスター(北4西6)で開催された職場の送別会に出席する。午後8児過ぎに終了後、「ふく楼」(北3西7)で開催されたグループの送別会に出席する。同じメンバーで顔を合わせる最後の飲み会なので、ここぞとばかり本音が聞けていろいろ考えさせられた。
 午後10時半過ぎに散会して帰路に着いた。



3月30日(月)  「ブーリン家の姉妹」

 朝は晴れていたが、昼前から雨が降ったり日が差したりで、不安定な空模様の一日だった。今日もコート無しで出勤したが、今のところコートを着ていないのは私くらいのものである。
 午後6時半から蠍座で「ブーリン家の姉妹」を見る。エリザベス1世の父であるイングランド王ヘンリー8世と生母のアン・ブーリン。そしてその妹メアリーを中心とした政略結婚と愛憎を描いた作品である。午後8時半に終了後、真っ直ぐに帰宅した。



3月29日(日)  心理学者原口鶴子の青春

 朝から良く晴れてはいたが、肌寒い一日だった。
 昼過ぎに、JR札幌駅前の理容アメリカンで散髪し、スッキリする。
 午後4時45分から、蠍座で「心理学者原口鶴子の青春」を見る。100年前にニューヨークのコロンビア大学で学び、心理学博士号を取得した女性の29年の生涯を紹介したものである。27歳で帰国し、研究の成果を精力的に発表し始めるが、結核のためにわずか2年後に亡くなった。短い生涯だったために、かえって「青春」の二文字が輝いているかも知れない。


3月28日(土)  ゲッチョ先生とゆかいな仲間達in札幌

 朝から良く晴れて、暖かい一日だった。
 午後3時から6時半まで、「みんたる」で開催された「ゲッチョ先生とゆかいな仲間達in札幌」に参加する。30人を超える大勢の参加者があり、最前列で床に座ったが、おかげで腰が痛くなった。
 3人の発表者が全員、自然環境の研究者なので、参加者も山歩きのサークルのメンバーのような感じで、その雰囲気が面白かった。いろいろなフィールドがあることで、世の中は面白いのだと改めて感じた。


3月27日(金)  送別会

 朝から良く晴れて、抜けるような青空が広がった。
 午後6時から、「だんまや水産」(北3西3)で開催された職場の送別会に出席する。元々格安の店でそこそこの料金を支払っているので、内容はとても豪華だった。午後8時半過ぎに散会し、帰路に着いた。



3月26日(木)

 薄い雲を通して、柔らかな日差しが降り注ぐ朝を迎えた。
 午前中は、議会に張り付いて過ごす。この手の業務は実に時間を消耗している感じがして馴染めない。昼過ぎに、組合の打合せを行う。
 帰宅後、「みんたる」に足を運び、昨年12月にタンザニアから帰国したSUさんの報告会について日程調整する。4月15日(水)の夜に実施する方向で、数日中にSUさんから回答をいただくことになった。


3月25日(水)  旅する若者たち

 朝から良く晴れて、さわやかな一日だった。
 仕事の方も、午前中は忙しかったが、昼からは一段落して、いよいよこれまで取り組んできた仕事の仕上げである。
 午後7時から「みんたる」で開催された「旅する若者たち〜とにかく見てみた行ってみた!タイ&ジャマイカ、珍道中報告!〜」に参加し、タイを旅行した21歳の大学生OOさん、ジャマイカを中心に旅行したKOさんのお話しをうかがった。KOさんがジャマイカにハマっているのは、レゲエという音楽が好きだからだそうだが、街を歩いていてバックを強奪されるなど危険な目にもあっている。それでも4月10日から再びジャマイカに行くそうだ。今の私には、往復だけで4日間かかるというジャマイカを旅行する時間の余裕がない。でも、写真を見ながら話しを聞いていると現地の雰囲気が伝わってくるようで、新鮮な感動がある。
 午後9時過ぎに報告が終了した後、交流会に参加する。
 午後11時40分過ぎに、報告者のOOさん、KOさんと一緒に店を出た。


3月24日(火)  高田屋

 朝から良く晴れて暖かかったので、今日もコート無しで出勤した。
 午後3時過ぎから予算特別委員会の対応をした。
 午後7時ころから、監以下5名で毎日会館ビルの「高田屋」で一杯やり、10時近くに散会する。その後、TAさん、ORさんと3人でステラプレイス6階の「麻ほろ(まほろ)」でラーメンをいただいてから帰宅した。



3月23日(月)  フェアトレードフェスタ説明会

 朝から良く晴れて、暖かい一日だった。今年になって初めてコートなしで出勤したが、少しも寒く感じなかった。
 お昼休みにEN市役所のYO氏と、ポールスター地下1階のサブールでランチをいただく。競争が激化しているためか全体的にお買い得感がある価格構成になっていた。
 午後6時半から、エルプラザ2階のフリースペースに足を運び、「フェアトレードフェスタ2009inさっぽろ」ボランティア説明会に参加した。



3月22日(日)  自由学校「遊」パンフ発送

 薄い雲がかかって、ハッキリしない空模様の一日だった。
 午後1時から、自由学校「遊」でパンフ等の発送を手伝う。パンフを組み合わせ、袋詰めしてテープ止めする作業を担当した。最初は人数が少なかったが、次第に人が集まり、10人近くになった。昨年12月まで2年間、タンザニアで現地の旅行会社で働き、その前はタンザニアに留学していたというSAさんが、ご主人と一緒に来ていたので、今度、現地のお話しを聞いたり、主食のウガリなどを作って食べる機会を設けることにした。
 午後5時半ころ作業が終わり、帰宅した。


3月21日(土)  えびしゃぶパーティー

 朝から良く晴れて、穏やかな一日だった。
 午後6時半から、「みんたる」で開催された「えびしゃぶパーティー」に参加した。そのえびは、オーストラリア在住で、パプアニューギニアでオーガニックフェアトレードエコシュリンプ!の養殖をやってるMUさんが提供してくれたもので、ブラックタイガーを塩焼きや「えびしゃぶ」で賞味した。参加者が30人を超える大盛況だったため、飽食するほどではなかったが、提供されたえびは大量だった。MUさんは35年前に協力隊でケニアに行っていたとのこと。ワールドワイドな生き方に心が広がるような気がした。


3月20日(金)  春分の日

 時々雪が降って肌寒い感じの一日だった。
 午後2時過ぎに地下鉄円山公園駅へ行き、今月18日(水)にオープンしたばかりの「マルヤマクラス」に足を運ぶ。新しい店舗が入っていて、なかなか使いやすそうだ。
 その後、「らる畑」(大通西23)に顔を出すと、HAさんが店に出ていた。結構欲しいものがあったので、かなり買い込んだ。さらに、「青い空流れる雲」(南1西22)に顔を出して、遅めのランチをいただいた。ここでも、この店でアルバイトをしているというUEさん、「みんたる」で良く顔を合わせる看護師のSAさんと出合って話しをした。SAさんは、滅多にこの店にくることはないそうで、似たような考え方の人は集まる場所も似通ってくるものだとお互いに納得した。


3月19日(木)  すし善

 薄い雲を通して柔らかな日差しが降り注ぐ、暖かい一日だった。
 午後6時半から、AKさんと大丸8階レストラン街の「すし善」で「旬のおまかせ握り」をいただき、イノダ珈琲でケーキセットをいただいた。
 帰宅後『トウキビ』(金繁美由紀著)を読みはじめ、日が変わるころに読み終えた。


3月18日(水)  はらみづほ スライド&トーク

 朝からどんよりと曇った一日だった。
 午後6時半から、「みんたる」で開催された「電気をめぐる旅“原発卒業旅行編” 〜ピースな電気の作り方〜」に参加する。原子力発電を卒業し、自然エネルギーに転換した世界と日本の各地を廻ったのち、北海道でも可能な「ピースエネルギー」の実践例を経て、新しい未来を提言している「はらみずほ」さんによるスライド&トークだった。
 終了後、交流会に参加し、長沼のメノビレッジを取材した『トウキビ』という本を書いた金繁さんなどとも話しをすることができて、なかなか楽しかった。
 店を出たのは、午後11時45分ころだった。


3月17日(火)  エコビレッジ体験塾説明会

 薄日が差して暖かい朝を迎えた。札幌の街角には雪もなく、4月上旬のような感じである。
 午後6時半から、「みんたる」で開催された「エコビレッジ体験塾説明会」に参加する。 札幌近郊で「エコビレッジ」を立ち上げようとしているSAさんは、以前一度お話しをうかがったことがあるが、埼玉県の出身で、札幌市役所を退職して農業を中心とした共同生活の場である「エコビレッジ」を立ち上げようとしている。
 本格的な「エコビレッジ」づくりは、道内ではこれまでになかった取り組みで、今後の展開が楽しみだ。


3月16日(月)

 朝から雲がかかって日は差さなかったが、この時期にしては暖かい一日だった。朝から議会対応の打合せを行い、公報の校正をしているうちに過ぎた一日だった。
 新年度から引越しになったらマンションをどうしようかと心配していたが、杞憂に終わった。


3月15日(日)  日直当番

 昨日、全道各地に出ていた気象警報は明け方までにすべて解除され、札幌も薄い雲がかかってはいるものの風もなく、穏やかな朝を迎えた。
 朝8時45分から午後5時半まで日直当番のため出勤し、職場で過ごした。
 午後5時半過ぎに職場を出て、三省堂大丸店で『正社員が没落する−「貧困スパイラル」を止めろ−』(堤未果、湯浅誠)を購入し、午後11時半過ぎに読み終えた。


3月14日(土)  北海道自治体学会運営委員会

 全道的に大荒れで、気象警報が出たり交通機関が乱れていたが、札幌市内は曇ってはいたものの風雪がそれほどでもなく、むしろ穏やかな天候だった。
 午後1時15分から北海学園大学6号館6階で開催された北海道自治体学会の運営委員会に出席する。5月23日(土)に開催する総会&政策シンポジウムの内容について午後5時近くまで話し合った。
 その後、札幌地下パセオの「荒波魚之助」に移動し、先日米国から帰国したばかりのSA教授を囲んでの懇親会を行う。午後8時半過ぎに散会し、YOさん、ONさんと私のマンションで一服する。9時40分過ぎに二人を玄関先で見送った。


3月13日(金)  「やんばるからのメッセージ」上映会

 どんよりと曇った朝を迎えた。週末は全道的に天候が大荒れになるとのことで、夕方から気象警報が発令されはじめたが、札幌市内はそれほど雪もなく、穏やかな空模様の一日だった。
 午後7時から「みんたる」で開催された「やんばるからのメッセージ」上映会in札幌に参加する。沖縄県北部にある東村高江に建設予定されている米軍ヘリパッドに反対する住民の座り込み運動を撮影したドキュメンタリー映画「やんばるからのメッセージ」を見てから、沖縄と米軍の駐留について話し合った。ゲストスピーカーの愛称「みちるん」は、有機農家の手伝いをしながら、青森県六ヶ所村にある核燃料再処理施設、沖縄県の米軍基地などの問題を全国に伝える旅をしているとのことだ。つい最近まで、1ヶ月半ほど現地での抗議行動に参加していたそうだ。
 午後9時過ぎに終了後、懇親会に参加した。13年前に東京から移住したという男性や、新規就農したいという若い女性などと話し合った。午後0時ころ店を出て、帰路についた。



3月12日(木)

 薄く雲がかかって肌寒い朝を迎えた。仕事の方は、議会の質問が当たり、昨日から今日にかけて答弁を作成したが、特別難しい問題はなく、余裕を持って準備ができた。帰宅後、「みんたる」に足を運び、白ワインを飲みながら、『貧困大国アメリカ』(堤未果著)を読んだ。この本の中では、アメリカの公立学校の給食メニューが掲載されているが、ハンバーガーやピザ、マカロニチーズなどジャンクフードのオンパレードで、「食育」も何もあったものではない。米国で生きるには、ものすごく精神的なエネルギーが必要なのではないかと思う。


3月11日(水)

 朝から良く晴れてはいるものの、冷たい風が吹いて肌寒い一日だった。
 午後6時から、北海道厚生年金会館(北1西12)大ホールで開催された「2009春季生活闘争勝利 3・11全道総決起集会」に参加する。厚生年金会館に足を運ぶのは久しぶりだが、施設が古びた感じになっていて、存続するにしてもリニューアルが必要ではないかと感じた。


3月10日(火)  父退院

 朝方は薄い雲がかかっているものの雪も降らず、穏やかな空模様だった。朝9時に野幌を出発し、10時過ぎに大野病院に到着する。3月4日(水)に入院したときは、駐車場が満車で、隣の薬局の駐車場に止めたが、今朝は正面玄関横の駐車スペースが空いていたので、そこに駐車することができた。さっそく退院の手続きを取り、10時10分過ぎに大野病院を出た。7日間の入院だったが、支払った金額は4万4千円程度である。後期高齢者は一割負担らしいので、実際にかかった医療費はざっと44万円になる。
 そのまま真っ直ぐ野幌へ向かい、11時20分ころ野幌に到着した。4月3日(金)から再入院し、6日(月)の週には心臓バイパス手術を受けることになるので、それまでに発作が起こらないことを願うばかりだ。夕方からは空模様が不安定で、雪が降ったり止んだりしていたが、積雪もほとんどなく、冬が終わったことを感じる。


3月9日(月)

 冷たい風が吹いて肌寒い朝を迎えた。空は晴れているのだが、まだ底冷えする感じが抜けない。
 先月くらいからずっと軽い風邪をひいているようで、どうにも体調が優れない。こんな時は、底冷えする北海道の気候が恨めしい。もう少し暖かければ風邪をひきにくく、スッキリとした気分で過ごせるのではないだろうか。
 明日は早朝から、退院する父を迎えに大野病院まで車を走らせることになるため、午後7時に札幌を出て、野幌に宿泊した。



3月8日(日)

 朝から良く晴れて、暖かい一日だった。
 父の退院が10日(火)の午前中に決まったので、明日は野幌に泊まり、明後日は早朝に野幌を出て迎えに行くことにする。午前9時の退院だとすれば、8時前には野幌を出発することになる。
 特に何をすることもなく過ごし、明日以降に備えるため、早めに就寝した。


3月7日(土)  LSI札幌クリニック

 昼過ぎから暴風雨になった昨日とは一転し、比較的穏やかな一日となった。
 2月18日(水)に受けた脳ドックの際に受けた血液検査の結果で尿酸値とコレステロール値が高かったため、健康相談サービスを利用して、午前10時半からLSI札幌クリニックのKA所長と面談した。KA所長はブログが面白いので愛読している。
 午後6時から、AKさんと大丸8階レストラン街の「宮川」で夕食をいただき、午後9時ころ分かれた。



3月6日(金)  主治医と面談

 今日は朝10時から、カテーテルでの冠動脈造影があり、午後2時から、検査結果について説明を受ける予定だったが、冠動脈造影検査の時間が大幅にずれこみ、検査結果の説明は午後5時半からとなった。
 主治医の説明ではバイパス手術が必要とのことで、執刀の順番待ちのため来週中に一旦退院し、4月3日(金)に再び入院し、4月6日(月)以降の手術を待つことになった。
 午後6時過ぎに母と姉を車に乗せて、暴風雨の中を宮の沢経由で私のマンションへ向かう。午後7時過ぎに大丸地下3階の駐車場に車を停め、8階レストラン街の「布屋太兵大衛」でそばをいただいてから、私のマンションに移動してコーヒーをいただく。
 午後9時ころマンションを出て、9時半ころ野幌に到着した。


3月5日(木)

 朝は良く晴れて、底冷えも感じられない暖かさだった。久々に地下街を使わず、地上を歩いて出勤した。仕事が終わってすぐに、大丸地下1階のフルーツコーナーで果物を買い、午後7時過ぎに駐車ビル「ビッグシャイン」(北4西6)から車を出して大野病院へ向かう。
 午後8時過ぎに、大野病院を出て、午後9時にマンション近くの24時間駐車場(北8西1)に駐車して帰宅した。



3月4日(水)  大野病院

 朝8時半に車で野幌を出発し、9時半過ぎに大野病院に到着する。すぐに病室に入り、午前11時ころ、山下副院長から今後の治療方針について説明を受ける。昼は1階の軽食喫茶でピラフをいただく。午後1時ころ、病院の斜向かいにある宿泊所にチェックインして、私は車でマンションに引き返した。
 午後3時50分から、蠍座で「タンゴ・イン・ブエノスアイレス」を見て気分転換を図った。


3月3日(火)  野幌宿泊

 朝から良く晴れて、寒い一日だった。
 明日は、父が大野病院(西区西野4条1丁目)入院するため、冬季休暇を使って車で病院まで連れていくことになった。病院には午前10時までに着く必要があり、野幌からは1時間くらいかかることが予想されるため、仕事が終わってから野幌へ行って明日に備えた。


3月2日(月)  プルサーマルデモ

 明け方は良く晴れていたが、出勤時には小雪がちらつきはじめ、午前中から大降りになった。
 午後6時から、大通6丁目で開催された「プルサーマル計画は絶対に認めない!3・2全道集会」に参加する。労働組合の動員により参加したものだ。主催者発表は26団体、500名の参加ということだったが、実際の人数は半分もいなかっただろう。底冷えがして寒い中で6時半過ぎまで集会があり、その後札幌駅方面へデモ行進し、午後7時過ぎに散会した。


3月1日(日)  ソクラテスカフェ

 朝から良く晴れてはいたが、気温はそれほど上がらない一日だった。
 夕方、古本と珈琲のBookCafe「ソクラテスのカフェ」(西区琴似2条7丁目 くすみ書房地下)に足を運ぶ。『ブックカフェものがたり』(矢部智子ほか著)という本が面白かった。
 午後10時から、NHK教育テレビのETV特集「ひとりと一匹たち 多摩川 河川敷の物語」 を見る。17年前から多摩川に住む猫を撮影する写真家・小西修さんと、二人のホームレス(佐藤さん、中野さん)に焦点を当て、猫とホームレスの人の秋から冬にかけての3か月ほどを取材している。
 昨年10月以降の急激な世界経済の悪化により派遣切りが深刻化して以来、マスコミも、ようやく貧困問題を大きく取り上げるようになってきた。この中でも、昨夜10時からETV特集で報道された一人は、5人兄弟だったのだが小学校3年生で母親が、中学校3年生で父親が亡くなり、20年前からは誰一人連絡が取れないとのことだった。20年前と言えばバブルの最中であり、日本経済がまだ強かったときも、根深い貧困があったことが分かる。今後、わが国の経済が悪化すれば、こうした悲惨な状況が激増することが懸念される。