日記:2010年1月
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1月31日(日)  宿直当番

 朝から薄日が差して風もなく、穏やかな一日だった。
 午後1時に大丸8階のイノダコーヒーで姉と会い、「ゆうちょ銀行」関係の書類に住所と氏名を記入し押印してもらった。
 午後2時から、紀伊国屋書店で開催された赤十字セミナーに顔を出す。動員で参加する講演やセミナーは退屈なものだが、NHKのお天気キャスターの菅井貴子さんのお話しは面白く、退屈しなかった。
 その後は午後5時半から、宿直当番に入った。


1月30日(土)

 朝から良く晴れて、穏やかな一日だった。
 今日は特に何をすることもなく、昼過ぎに、ポスフールで買い物をして、午後6時に「岳」でカレーとコーヒーをいただいて帰宅した。


1月29日(金)

 朝からどんよりと曇った一日だった。
 仕事が終わってから、野幌に足を運ぶと、名寄市役所から戸籍関係の書類が届いており、「ゆうちょ銀行」からも関係書類が届いていた。これで週明けには相続関係の処理が一気に進む可能性が高まった。



1月28日(木)

 朝から薄曇りだが、この時期にしては比較的暖かい一日だった。
 午後6時から、JUさんと狸小路6丁目の「北の旅籠」で夕食をいただいて、午後8時過ぎに帰宅した。


1月27日(水)

 昨日、一昨日は天候が荒れ模様だったが、今日は一転して穏やかな一日だった。
 昨年末から慌ただしい日々が続いていたが、今日は帰宅後は特に何をすることもなく、久々にのんびりと過ごした。



1月26日(火)  道警警備課との飲み会

 昨夜は吹雪いていたが、今朝は雪がやんでいた。
 今日も、溜まっている仕事の処理に追われて過ごした。
 午後6時から、ポールスター札幌で開催された北海道警察本部警備課のメンバーとの飲み会に参加した。2,500円で飲み放題という安さだが、料理の内容が良く割安感がある。
午後9時近くに散会後、道通ビル地下のスナックで開催された二次会に参加し、午後11時近くに帰宅した。



1月25日(月)

 朝からどんよりと曇って、肌寒い一日だった。
 一週間仕事を休んだので、仕事が溜まっており、片っ端から片付けているうちに、一日が過ぎてしまった。
 夜は、野幌に顔を出して、午後9時54分JR野幌駅発の電車に乗って帰宅した。


1月24日(日)  初七日

 午前10時から、初七日の法要を行った。眞願寺から僧侶が来て、簡単な読経を行っただけで、あっさりと終わった。後は、2月20日(土)に仏壇を納品し、翌21日(日)に35日の法要と併せて「入仏式」を行い、3月7日(日)に49日の法要を行えば、一段落する。
 昼食後、母、姉と3人で遺産分割の打ち合わせを行い、法定相続分をベースに話がまとまった。
 午後4時過ぎに一旦札幌に帰ったが、職場へのお礼のお菓子を買うため野幌に引き返し、「樹里庵」で銘菓の詰め合わせを買った。「八つ目天国」、「クマゲラ」、「レンガの詩」などやぼったいネーミングのお菓子がたくさんあって、なかなか面白い。
 午後9時54分JR野幌駅発の電車に乗って帰宅した。


1月23日(土)

 午前中、大通の事務センターで印鑑証明を取った。
 昼から野幌へ足を運び、相続関係の書類を整理したり、明日の初七日から49日の法要などの段取りについて打ち合わせを行った。


1月22日(金)  北洋銀行、納骨堂購入

 昨日の吹雪は収まったが、かなりの積雪となった。
 午前9時過ぎに北洋銀行野幌中央支店に足を運び、預金の相続手続について相談し、さらに江別市役所に足を運び、戸籍謄本など必要な書類を揃える。
 午後1時過ぎにJR江別駅に近い「眞願寺」に足を運び、納骨堂を購入し、国道12号線沿いにある「野村仏具店」で仏壇購入の相談をする。
 その後、町内会長宅などをお礼にうかがって、午後4時ころ帰宅した。


1月21日(木)

 昨日、一昨日は暖かかったが、今日は一転して寒く、吹雪いた一日だった。
 午前中は疲労回復に努め、昼過ぎから父の死亡に伴う諸手続を行った。午後3時過ぎに江別市役所に足を運んで、健康保険、介護保険などの還付手続を行い、金融機関に相続の手続を照会した。
 日中フルに動けるのは明日だけなので、段取りを考えながら過ごした。


1月20日(水)  告別式、出棺、火葬

 明け方5時過ぎに一旦横になったが、ほとんど眠らぬまま午前6時半ころ起床した。午前7時から朝食をいただき、午前10時から告別式となる。午前11時に出棺し、20名で江別市の火葬場へ向かう。
 11時40分ころ遺体焼却炉に入り、1時間半ほどかかるとのことで待合室で昼食をいただきながら過ごした。午後1時40分ころお骨が焼却炉から出され、箸で拾って骨壷に入れた。それを持って再び「ファミリーホール八広」に戻り、骨あげ法要を行って、午後3時ころ帰宅した。
 午後4時過ぎには親類も帰り、ようやく一息つくことができた。18日(日)からほどんど寝ていないので疲れ果てているはずだが、精神的に緊張しているためかあまり疲労感はない。それでも、明日以降はいろいろと手続もあるので、帰宅してゆっくり休むことにした。


1月19日(火)  通夜

 夜明けまでローソクと線香を絶やさぬよう、ほとんど眠らずに過ごした。
 昼前に、来客用のお菓子を買ったり、お金を準備したり、散髪をして過ごすうちに、親戚が集まってきた。
 午後1時から「湯かん」があった。遺体を清めて納棺する儀式だが、想像したこともなくとまどった。午後4時過ぎに、葬儀会場の「ファミリーホール八広」へ向かった。会場に到着後は、直ちに夕食をいただき、司会者と打ち合わせを行う。
 午後6時から通夜がはじまり、45分ころ参集した人たちの焼香が終了した。その後は、11名が残り、夜明けまで飲食をしながら過ごした。



1月18日(月)  父死す

 野幌の実家で母と、万が一の場合の対応を話していたとき、午前1時42分に姉から電話があり、「父の血圧が低下しはじめたので病院へくるように。」とのこと。直ちにタクシーで白石徳州会病院へ向かい、30分ほどで到着すると、脈拍も低下し回復が見込めない状態だった。医師が最後に心臓マッサージを行っても心拍は戻らず、午前2時34分に死亡した。
 病院では遺体を引き取ってほしいとのことで、午前2時57分に母に電話をかけ、葬儀を依頼することを考えていた「八広葬儀社」に連絡を取ってもらうことにした。母からは午前3時3分に電話がきて、遺体を引き取りにきてくれることになった。午前3時半ころ病院を出て、午前4時ころ野幌の自宅に到着した。
 1階の寝室に遺体を安置し、葬儀社の担当者と葬儀の日程を打ち合わせて、19日(火)午後6時から通夜、20日(水)10時から告別式、11時から出棺と決めた。
 その後は、午前中から父の急死を知った近所の友人知人が訪ねてきて、その対応に追われた。富川から叔父夫婦も来た。午後2時半過ぎに一旦札幌へ引き返し、お金を降ろす準備や、礼服の準備などをして午後6時ころ野幌に引き返した。
 その後は、ロウソクと線香を絶やさぬよう気を配りながら過ごした。


1月17日(日)  大雪の一日

 昨夜から大雪で除雪が追いつかず、市内の道路は大渋滞となった。
 午後6時8分に姉から電話があり、父が心肺停止になったとのこと。大急ぎで白石徳州会病院に向かったが渋滞に巻き込まれ、午後5時ちょうどに到着したとき、野幌から救急車で運ばれてきた父がICUに入るところに行き会った。救急車で一緒に来た姉に聞くと、午後3時半過ぎから50分まで雪かきで目を離した間に、階段の手すりに電気毛布のコードを結びつけてことに及んだとのこと。救急車が到着したのは午後4時だったそうだ。
 午後6時ころ救急救命措置を行った医師が来て、「心拍は再開したが自発呼吸はない。これから検査をするが、容態が急変することも考えられる。」とのこと。病院の事務からは「今日中に健康保険証を届けてほしい。」とのことだったので、午後6時ころタクシーで野幌に向かうが、やはり大渋滞で実家に着いたのは午後6時40分ころだった。
 自宅で母から父の健康保険証を受け取り、再び白石徳州会病院へ向かい、午後8時前にたどり着いて受付に健康保険証を提出した。そのとき父は2階のICUに入っていたが、相変わらず意識は無く、人工呼吸器で維持している状態だった。姉の夫の車に乗せてもらい、午後10時ころ野幌にたどり着いて、容態が急変すれば連絡をもらうことになった。


1月16日(土)
 今日は、午前10時から、日之出歯科診療所で右下6番の歯の治療を受ける予定だったが、父の様子がかなりひどいようなのでキャンセルし、今後の対応を思案しながら過ごした。


1月15日(金)

 朝からどんよりと曇った一日だった。
 手間のかかる仕事を順番に片付けながら過ごした。
 今日は職場の飲み会(新年会)があったが欠席し、父の様子を案じながら過ごした。



1月14日(木)

 朝から日差しの明かるい一日だった。
 今日からデイサービスの利用開始である。朝9時40分ころ迎えに来て、夕方5時ころ帰ってくる予定だが本人は気が進まない様子で反動を心配していた。案の定、帰宅後は大荒れだったようで、先が思いやられる。
 午後7時5分から、蠍座で「エスター」を見た。ここのところ、大変な状況になっていたので、久しぶりに人間らしい生活に戻ったような気がする。


1月13日(水)

 昨夜はかなり雪が降ったらしく、玄関前の除雪を行う。
 今日は年休を取得し、午前10時から江別市の介護保険課の調査員との面談に立ち会う。主治医意見書についても依頼済みなので、要介護認定の判定に必要な手続きはクリアーしたことになる。
 午後8時38分にJR野幌駅発の電車で帰宅した。


1月12日(火)

 朝からどんよりと曇った一日だった。
 懸案となっていた仕事を一つ片付ける目処が付いた。
 仕事が終わってすぐに野幌へ向かい、明日の面談に備えた。


1月11日(月)  成人の日

 朝から良く晴れて、その代わりに冷え込んだ一日だった。
 午後2時に、介護老人福祉施設「静苑ホーム」1階にあるデイケアセンターの見学に立ち会う。午後3時に帰宅後は様子を見て、午後9時48分にJR野幌駅発の列車で帰宅した。


1月10日(日)

 昨夜はかなり雪が降っており、起き抜けに実家前の除雪を行った。
 その後も、ひと時も目を離すことができない大変な一日だった。介護施設の職員は大変な仕事だと思ってはいたが、想像を絶する大変さを感じている。


1月9日(土)

 朝起きてからほとんど外出することもなく過ごしたが、ほとんど落ち着いて過ごすことがなく、大変な一日だった。介護保険を使うことができるようになれば、少しは楽になるのだろうが、それまでが長く辛抱の毎日になりそうだ。



1月8日(金)

 久々に朝から良く晴れて、寒い一日となった。
 仕事が終わってからすぐに野幌へ向かい、様子を見ると、大変な一日だったようだ。福祉サービスを受けることに慣れるまでは、いろいろと大変だろうと思う。


1月7日(木)  見守りサービス担当者と面談

 全道的には気象警報が出ている状態だが、今日の札幌は雲間から日差しが差し込む一日だった。
 午後2時半から年休を取得して野幌へ向かい、江別市の見守りサービス担当者との面談に立ち会う。明日、午後2時から5時くらいまで、見守りサービスを利用することになった。


1月6日(水)

 昨夜は全道的に大荒れの天候だったが、札幌近郊は雪がほとんど降っていないため、今ひとつ実感がわかない。
 今日も夜は野幌へ向かい、新鮮なイチゴとお菓子を届けた。今日は午前10時ころ江別市役所から連絡があり、明日の午後4時半に調査員と面談することになったそうだ。私も、同席することにした。


1月5日(火)

 寒さが緩んで、比較的暖かく感じられる一日だった。
 年明け早々だが、手元に溜まっていた仕事を片っ端から片付けながら過ごした。
 仕事が終わってから野幌へ向かい、午後8時過ぎに到着する。昨日のことを含め、いろいろと話をしているうちに午後11時を過ぎ、11時28分にJR野幌駅発の終電で帰宅した。


1月4日(月)  仕事始め

 年末年始は大荒れの空模様だったが、仕事始めの今日は穏やかな空模様の一日だった。
 昨夜から実家に泊まっていた姉と連絡を取ると、今日はケアマネージャーのKAさんがいろいろと骨を折ってくれて、江別市立病院にも連れて行ってくれたとのこと。姉も急遽年休を取って対応しているので、朝から夕方まで十分に動くことができて良かったようだ。


1月3日(日)

 朝から良く晴れて、穏やかな一日だった。
 午前中、大丸8階レストラン街で、「Books&Cafe」、「讃兵衛」、「布屋太兵衛」の福袋を購入した。正午から蠍座で「終電車」を見る。ドイツ軍占領下の劇場を舞台として絶妙なストーリー展開で、公開時に大好評を博したのは当然だったと思われる。
 『9割の病気は自分で治せる』(岡本裕著)が面白かったので、続編と併せて購入し、午後9時過ぎまでかかって読み終えた。健康の秘訣として、@うつむき加減の姿勢をやめる。A便秘をしない。B7時間睡眠を取る。といった提言は分かりやすく、早速実践してみようと思った。


1月2日(土)

 新年早々、全道的に大荒れの空模様となり、札幌でもかなり雪が降った。今朝は雪が止んでいたが、夜中に除雪車が通ったため、玄関先に残った雪を融雪槽に入れて溶かした。
 昼過ぎに大丸に足を運ぶと、初売りの店内は歩くのが大変なほど混雑していたので、買い物は明日以降にすることにした。


1月1日(金)

 朝から雪がちらつくあいにくの空模様の一日だった。
 久々に家から一歩も外に出ることなく、文字通りの寝正月を過ごした。