日記:2010年2月
<日記トップページ>
<次へ>
2月28日(日)  チリ地震津波対応

 午前6時半に目覚めると、薄日の射す穏やかな空模様だった。
 ところが、昨日午後3時34分ころ、南米のチリで発生したマグニチュード8.6の巨大地震の影響で午前9時33分に道内にも津波警報が発令され、直ちにマンションを出て9時48分に職場に到着した。その後は、連絡調整のため大忙しとなった。
 午後11時近くになって体制が縮小となり、11時半ころ職場を出て出て帰宅した。


2月27日(土)  北海道地域防災マスター研修会

 朝から良く晴れて、一足早い春の陽気だった。
 いつもどおり午前6時半に起床し、9時過ぎに釧路支庁へ向かう。午前10時半から、午後5時まで北海道地域防災マスター研修会を開催する。その間、昼食は「竹老園」で天とじソバをいただき、夕食は、泉屋で大盛りスパゲティをいただいた。
 午後7時11分に、JR釧路駅発のスーパーおおぞら2号で帰路に着き、午後10時58分にJR札幌駅に到着した。


2月26日(金)  釧路市へ移動

 朝から薄曇りの一日だった。
 午前11時51分JR札幌駅発の特急スーパーおおぞら5号で釧路へ向かい、午後3時42分に到着する。午後4時前にプリンスホテルにチェックインする。
 午後6時から、「創作居酒屋てっぺん」で開催された懇親会に出席する。午後9時ころ散会し、ホテルに帰った。ホテルでは、テレビで女子フィギュアのフリー演技決勝を見る。注目されたライバル対決は、キム・ヨナ選手がノーミズの完璧な滑りで金メダル、浅田真央選手が銀メダルとなった。


2月25日(木)

 今日はこの時期にしては記録的に暖かい一日で、札幌でも日中の最高気温がプラス6度となった。
 午後7時過ぎに野幌に足を運び、「もりもと」のイチゴ・ショートケーキと清美オレンジを届け、午後9時ころ帰宅した。


2月24日(水)

 朝から薄曇りの一日だった。昼休みに上着を着ずに外に出たが、底冷えする寒さは感じない。確実に春が近づいていることを感じる。
 帰宅途中、大丸で49日の法要のため、引き出物のしいたけを13箱購入した。


2月23日(火)

 朝から良く晴れた一日だった。
 「北海道開発関係予算」の様式ががらりと変わったので、昨年度の資料を新しい様式に合うように整理し、さらに「KU町地域防災計画」の内容確認を行った。
 午後6時過ぎから、職場のメンバーと「福久樓」(北7西3)で一杯やった。午後9時に散会し、札幌駅前の「つぼ八」でもう一杯やって、午後11時ころ帰宅した。


2月22日(月)

 朝から薄曇りの一日だった。
 年度末が近づき、次々と調査ものの取りまとめの仕事が入り、計画通りに仕事が進まないが、何とかこなしている感じだ。
 午後3時から、北大のMU教授と打ち合わせを行い、こちらも地域再生計画の申請ということで、気の抜けない業務が入ってしまった。
 午後7時過ぎに帰宅し、特に何をすることもなく過ごした。


2月21日(日)  入仏式

 朝から良く晴れた一日だった。
 午前11時過ぎに大丸地下1階の餅屋で紅白の餅を受け取り、柳月でお供え用の菓子を買う。11時45分ころ、姉と姪、甥を乗せて野幌へ向かう。
 午後2時半過ぎから、眞願寺の住職を招き、35日の法要と併せて昨日納品された仏壇の入仏式を行った。
 午後4時ころポスフールに足を運び、母用に携帯電話を購入した。午後6時ころ帰宅し、午後7時から食事後、7時半に野幌を出て8時20分ころ札幌に到着した。


2月20日(土)  仏壇納品

 昼過ぎからかなりの量の雪が降った。
 正午過ぎに、MIさんから電話があり、ゲストルームのキャンセルの処理を行った。
 午後1時過ぎにマンションを出て、2時過ぎに野幌に到着する。仏壇の納品に立ち会うつもりだったのだが、午前10時に野村仏具店から仏壇が届いたとのことで、着いたときには既に仏壇が納品されていた。
 午後6時ころ野幌を出て、明日の入仏式用のお供えとして、大丸地下1階の餅屋で紅白の餅を2個ずつ注文した。


2月19日(金)

 朝から良く晴れた一日だった。
 今日は朝から、来月10日に更新期限が迫った北海道防災会議委員の委嘱手続の処理に忙殺された。
 さらに、KU町から防災計画修正の事前協議が上がってきたので、帰宅間際まで内容チェックに没頭した。


2月18日(木)

 朝から穏やかに晴れた一日だった。
 今日は、長年の懸案事項が片付いたため、不要になった参考書類を処理した。おかげで、机の周りが随分片付いた。
 仕事が終わってから野幌へ足を運び、イチゴを供えて最初の月命日のお参りをした。


2月17日(水)

 朝から良く晴れた一日だった。
 昨日で水防計画の修正という懸案事項に一区切り付き、今朝は周知の手段も尽くしたので、昼前から溜まった書類を廃棄したりしているうちに時間が過ぎてしまった。
 一時期は身辺を片付ける気も減退していたのだが、最近は意欲が湧いてきている。この調子で行きたいものだと思う。


2月16日(火)

 今日は昼過ぎからかなりの雪が降った。
 昨日目処をつけた長年の懸案事項が今日になってハッキリと片付き、その結果を通知したりしているうちに一日が過ぎてしまった。
 1月18日(月)に父が死んでからはじめて、今朝4時過ぎに父が私の夢に現れた。居間の深緑のソファーの横に立っていた。今夜は、DO!21の例会があったのだが休んで、供花を買って野幌に帰宅した。



2月15日(月)

 出勤間際まで、規則改正のためエクセルで図形の処理に取り組み何とか仕上げることができた。これに勢いを得て、出勤後は朝から懸案の仕事を片付ける。一つは平成15年度からの持ち越し、もう一つは平成18年度からの持ち越しである。何とか目処がついてホッとした。
 午後3時半から、最近の懸案についても打ち合わせを行い、方向性が見えたので今日はかなり仕事がはかどった一日だった。


2月14日(日)

 朝から薄日の差す、穏やかな一日だった。
 昨日バンクーバー・オリンピックが開幕し、今日はノーマルヒル・ジャンプやモーグルの決勝があった。上村愛子選手の4位入賞は、メダルを逃した点は残念だったが、本人は実力を出し切っており、善戦した結果だと思う。久々にスポーツの世界の凄さを感じた。


2月13日(土)  小林多喜二講演会

 午前11時から、日之出歯科診療所で右下7番の治療を受け、正午過ぎに、狸小路の理容プラージュで散髪する。
 午後3時から、北濃健保会館で開催された「小林多喜二に学ぶ講演会」に参加する。講師のノーマ・フィールドさんは、淡々とした語り口ではあったが、反戦、フェミニズムといった観点から小林多喜二の作品を評価していたのが印象的だった。
 午後7時ころ野幌へ行き、宿泊した。


2月12日(金)  環境と共存する農業

 朝から薄曇の一日だった。
 午後7時過ぎから、自由学校「遊」で開催された、「環境と共存する農業 「いのち」の視点からみる有機農業」に参加する。講師の小路健男さんは、安平町で無何有の郷農園経営しながら北海道有機農業協同組合組合長を勤めている。「有機農業」と一口でいっても様々な考え方があり、それをまとめて行くのは大変だろうと思う。


2月11日(木)  建国記念日

 朝から薄日が差して、穏やかな一日だった。
 午前10時過ぎに「樹里庵」でお菓子を買い、ポスフールで花を買って、「ケアハウスゆうあい」を訪ね、一週間前に入所したMIさんを訪問する。
 昼過ぎに帰宅して、リフレッシュに努めながら過ごした。


2月10日(水)

 昨夜は0時半過ぎに寝たのだが、朝寝過ごしてしまい、気が付くと8時5分だった。慌てて身支度をして出勤したが、8時25分にマンションを出て、途中ローソンで感k-ひーを買って何事もなかったように出勤した。
 職場では、昼休みも潰して北海道防災会議の委嘱手続を行い、午後5時20分前にようやく仕上げることができた。
 午後7時ころマンションを出て、野幌に足を運んだ。


2月9日(火)

 朝からどんよりと曇って、比較的暖かい一日だった。
 午前中は、画像ファイルの作成に専念し、午後からは北海道水防計画の仕上げを行った。
 帰宅後は、特に何をすることもなく午前0時過ぎに就寝した。


2月8日(月)

 朝から薄曇りだが、厳しい寒さが緩んでしのぎやすい一日だった。網走では昨日流氷が着岸しているが、日もすっかり長くなり、季節が春に近づいてきていることを実感する。
 仕事が終わってから車で実家に帰り、49日の法要について相談した。3月7日(日)は、正午から49日の法要、12時40分から納骨堂への納骨を行い、午後1時過ぎには散会するスケジュールとし、持ち帰りの品としては、仕出し料理の「はやし」で折り詰めと酒を取り、大丸で引き出物を用意することにした。



2月7日(日)

 今日は寒さがゆるんで、比較的暖かい一日だった。
 父が亡くなる前から野幌に足を運ぶことが多く、部屋の片付けも後回しになっていたが、今日は久々に部屋の片づけをして、かなりスッキリした。


2月6日(土)  反貧困フォーラム

 今日も朝から吹雪いて、寒い一日だった。
 午後1時半から、北大学生交流会館で開催された札幌司法書士階主催の「反貧困フォーラム」に参加する。第1部は、生田武志氏(野宿者ネットワーク代表)の講演「社会に広がる二つの貧困−野宿者とこどもの視点から」で、釜ケ崎の日雇労働者・野宿者支援活動に、20年以上かかわってきた生田武志さんから、お話しをうかがった。
 生田さんによれば、若者を中心に不安定労働が広がっている現在、ホームレスが顕在化しないのは自宅に住めるからで、今後実家に頼れない人々がホームレス化していくだろうとのことだった。確かにそんな気がする指摘だった。


2月5日(金)

 今日も朝からグッと冷え込んで、寒い一日だった。
 日中は、片っ端から仕事を片付けて過ごした。
 仕事が終わってから野幌に行き、宿泊した。



2月4日(木)

 今日は暦の上では「立春」で日差しのまぶしさに春の訪れを感じる朝を迎えたが、今朝も昨日に引き続いて厳しく冷え込み、占冠村では、マイナス34・4度を記録したとのことだ。マイナス30度を超える寒さは久しく体験していないが、懐かしいような気がする数字である。
 帰宅途中、大丸8階のBooks&Cafeで本を読んでいると、MIさんから電話がありゲストルームの予約を変更してほしいとのこと。書店からも早く引き上げることとなり、気分的に疲れを覚えた。


2月3日(水)

 今朝の札幌の気温はマイナス12.6度となり、この冬一番の寒い朝を迎えた。日中の最高気温もマイナス8度までしか上がらず、寒い一日だった。
 午後6時から、マンションの受付前で、3月21日のゲストルーム予約の抽選に参加し、部屋を確保することができた。
 今日は節分なので、「恵方巻き」を買って野幌に足を運ぶ。今年の恵方は南南西とのことで、南南西を向いて「恵方巻き」をいただいた。


2月2日(火)

 朝から良く晴れて、冷え込んだ一日だった。
 午後6時過ぎから、JR札幌駅前の「魚民」で一杯やり、午後8時過ぎから日興ビル地下1階の「海老天」で午後10時半ころまでもう一杯やってから帰宅した。


2月1日(月)

 朝から良く晴れて、穏やかな一日だった。
 宿直明けなので、昼過ぎから年休を取得し、相続関係の処理を行った。先ず、午後2時過ぎに錦町郵便局に足を運び、書類を提出する。
 次に眞願寺に足を運んで2月21日(日)の午後2半時から入仏式をお願いするとともに、納骨所の冥加金を支払った。さらに、野村仏壇店に足を運んで2月20日(土)の午前中に仏壇の納品を予約した。