1/365

 

 秀一はベッドに俯せのまま顔だけを横に向けて、隣で満足げに煙草を吹かす辰巳を見上げた。
「お前のせいでこの部屋が煙草臭くなる」
 秀一は煙草を吸わない。だからといって、煙を吸うのも嫌だというほど気にもしていない。ただ、この部屋に来る人間で煙草を吸うのは辰巳だけで、その辰巳のためだけに灰皿が用意されているのが気に入らない。
「匂いが染みつくほどには来てへんぞ」
 辰巳は思わせぶりに笑って、
「それに、この部屋におっても煙草を吸うてる時間はそうないからな」
 辰巳の言葉の意味がすぐにわかり、秀一は眉間に皺を寄せる。
 通りがかりに立ち寄っただけのときを除けば、辰巳がこの部屋に来て秀一を抱かないことはない。辰巳は最中に煙草を吸わない。だから、辰巳の言うことは間違いではなかった。
 辰巳が短くなった煙草を灰皿に押しつけ、また新しい煙草に火を付ける。封が切られたばかりの箱は、この部屋にストックされている中の一つだ。切らさないようにいつの間にか補充するのは平の役目だった。
「また平を借りられないか?」
 煙草から平を思い出して、秀一は言った。
 自分の仕事に平を使うことに、最初の内は抵抗を感じていたが、今ではすっかり慣れてしまった。平以上に使える男はそうおらず、その平に慣れてくると他の人間を使えなくなる。
「すぐに必要やったら今呼ぶぞ」
「今?」
「この後、野暮用があってな。下で待たせとる」
 そう言うと辰巳は携帯を手に取り、平の携帯を呼び出した。
「ちょっと待て」
 秀一が止めるよりも早く、平が電話に出たようだ。
「ワシや。上がってこい」
 辰巳は平に短く指示を出し、電話を切る。
「お前、何を考えてるんだ」
 秀一は呆れながらも、急いでベッドの下に散らばった服を拾い上げる。
「そないに急がんでも、いきなり衝立の中に入ってくるような真似はせえへんぞ」
「無神経にもほどがある」
 シャツの袖に腕を通し、ベッドから抜け出ると、秀一は残りを手早く身に着けた。
 平には辰巳との関係を知られている。今更恥ずかしいとも思わないが、だからといっていかにも今したばかりですと言った風情で顔を合わすのは抵抗がある。
「アレのことは気にせんでもええ。真っ最中に呼びつけたこともあったが、顔色一つ変えへんかった」
「平の問題じゃない。俺が気にする」
「妙なとこで神経質やな」
 これにはさすがに秀一も言葉を返せなかった。ヤクザをやっている男にまともな神経など求めてはいないが、辰巳はその認識すら超えていた。
 気が利きすぎる平は、時間を計っていたかのように、秀一が身支度を調え終えた瞬間、ドアをノックした。
「入れ」
 辰巳がドアの外に聞こえるくらいの声でノックに応えた。
「失礼します」
 平がドアを開けて入ってくる。
「それはなんだ?」
 平の手の中に、不似合いな可愛くラッピングされた小さな箱を見つけて、秀一が尋ねる。
「カオリさんに頂きました」
「カオリに? なんや、お前らいつからそういう関係になったんや」
 辰巳がベッドに寝たまま、ニヤニヤ笑いながら軽口を叩く。
「いえ、今日はクリスマスイブなので、みなさんに配っているそうです」
 野田の店で飲んでいた平のところに、カオリたちが現れ、野田や客の一人一人にプレゼントを配って回ったのだという。
「そういえばそうだったな」
 秀一は誰に聞かせるでもなく呟いた。
 世間がこれほど大騒ぎをしているのに、秀一は今日がクリスマスイブだということを完璧に忘れていた。あれだけ派手に装飾された街を歩き、鳴り続けるクリスマスソングも嫌になるほど耳にしていたのに、今日がその当日だと気付かなかった。
 どんなに騒いでみたところで、一年三六五日の中の一日でしかない。去年もその前の年も、ここ数年ずっと仕事で走り回っていた。特別な日だと思っていたのは子供の頃だけだ。だから忘れていたことに関して、後悔など欠片もなかった。
 ただ……。
「そういうたら、昨日、新地でクリスマスプレゼントや言うてなんぞ貰たな」
「ネクタイでした」
 辰巳に渡されたものは、平がチェックすることになっているのか、平が中身を報告する。
「おう、そうか」
 興味もなさそうに辰巳は答えている。
 辰巳も秀一と同じように考えらしい。秀一はそれが気に入らなかった。
「なんや?」
 秀一の視線に気付いた辰巳が問いかける。
「プレゼントの催促か?」
「お前にもらって嬉しいものなんて何もない」
「物よりも態度で示してほしいいうことか」
「いつ、誰がそんなことを言ったんだ」
 秀一が目を細めて辰巳を睨む。けれど、刑事時代、ヤクザたちを竦み上がらせた鋭い眼光も、辰巳を喜ばせるだけだった。
「平、この後、ワシが行かんでもなんとかなるな?」
 なんとかしろとしか聞こえない言葉に、秀一は嫌な予感がして平の答えを待つ。辰巳が行く予定だった野暮用、たいした用でないなら、平は初めから辰巳の手を煩わせたりしないだろう。そうは思っても辰巳の言葉に平が逆らえるとも思えない。
 そのとき、ふいに腕を引かれて秀一はバランスを崩し、ベッドの中の辰巳に抱き寄せられた。
「せっかく服着たとこやけどな、また脱いでもらおか」
 辰巳の手が着たばかりの秀一のシャツに掛かる。
「おい、平」
 辰巳を連れて行けと言おうとして、秀一は振り返った。だがそこに人影はなく、気が利くにもほどがある平は既にドアの外に消えていた。


end.

 



当サイトで使用されている画像及び文書は個人でお楽しみください。
転載、配布、改変はお断りいたします。